
大仏殿の中、大仏の周囲をぐるぐると回っています。ある程度大きく撮らないと大きさが伝わらないと思い、工夫しています。
鎮護国家、国威発揚というような考え方があって創建されたのですから、見上げる人は誰しもが「うわあ、すごい!」と声を上げるくらいでなければならなかった、ということでしょう。
盧舎那仏の名称は「輝く」「照らす」に由来し「日輪」を象徴しているそうで、なんだか考え方は「大日如来」と似ていますね。ひろ さちや さんによりますと、盧舎那仏は自分では説法しないけれども、大日如来はご自分で説法されるのだそうです。(「仏像でわかる仏教入門」講談社α新書による)
たしかに、螺髪(らほつ)がひときわ目立ちますね。

拝観者の出口は中大門の袖回廊の右端にあるので、右側のほうから大仏殿に別れを告げます。

出口を出たら、中大門の回廊に沿って時計回りに回っていきます。

昨日拝観した戒壇院への階段を登っていくお坊さんの後ろ姿が見えます。
ちなみに、このお坊さんはお葬式をやりません。奈良のお寺は基本的に仏教を研究するために国家が創建したのであって、檀家がなく、お墓を持っていません。東大寺は華厳宗(けごんしゅう)の大本山であり、昨日の興福寺は法相宗(ほっそうしゅう)の大本山です。

ずうっと歩き続けます。大仏池の周りをわざわざめぐっています。大仏殿はどこからでも絵になります。
よいポイントを見つけたくてわざわざ遠回りする。これを物好きというか、余裕というか…。
たとえ写真として残さなくても、この角度から眺めると美しいという景色をひとつでも数多く見る、それが楽しみなのです。

早朝は観光客が少なく、鹿たちも落ち着いています。

正倉院の前を通り、次の目的地である二月堂へ向かって歩きます。
こちらはまずまずよく撮れている写真だと思いますが、建物が何かは確認しませんでした。たくさんありますから、見えるものすべてを確認していると先へ進めなくなります。