
奈良での二日目は早朝7時30分にホテルを出ました。
昨日の反省を踏まえて、興福寺の階段前の坂道を東へ、ゆっくりと昇って行きます。
途中通りの右側に「興福寺菩提院大御堂」を見つけました。 美しい佇まいに心惹かれますが、ここは公開されていません。ちょっと門から覗くだけです。

春日大社「一ノ鳥居」に着きました。ここは左(北)へ曲がってまっすぐに大仏殿の方向へ向かいます。
参道の奥のほうまで眺めても、まだ人影はまばらです。
追記訂正: 左(北)の方角へ曲がってまっすぐ行くと県庁に出てしまうので、広大な奈良公園の中を斜めに東北の方角へ向かい、国立博物館の南を迂回しながら東大寺方面へ向かいます。

早朝で観光客は少ないため、鹿たちものんびりとしています。

昨日は写真を撮らなかった東大寺南大門です。
Wikipedia よりますと、南大門は国宝で、平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗坊重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくようともいう)を採用した建築として著名、だそうです。
東大寺は広くて、先は長いです。ゆっくりと歩きます。

中大門に到着です。大きな屋根はその先にある大仏殿の屋根が重なって見えています。大仏殿に入るには西(左)の端の入り口へ回らねばなりません。中大門を通してくれるわけではありません。

だから、中へ入って最初に見える大仏殿の全体は、このように左斜め前から見るかたちになります。
全体を見渡した写真は、「なんだ、大したことはない」と思われるかも知れません。でも、正面へ回った写真には人物が写っています。この巨大な建造物の大きさが実感されると思います。下の写真をご覧ください。

すでにご紹介した興福寺五重塔の高さは約50m、この大仏殿の高さは約48~49m だそうですから、横幅ほか全体を勘案すると、とんでもなく大きな木造建造物です。何回も炎上したりして、現在の大仏殿は江戸時代に再建されたものだそうです。

途中にあるのは灯籠でしょうか。使用するときは、鍵を解錠して開いて使うのかな。
この灯籠もこのように見上げなければなりません。凝った細工です。ほぼ同様のものが興福寺の宝物殿にも展示されていました。
いま調べてみました。
写真の灯籠は国宝であり、「金銅八角燈籠」と称するようです。


ああ、ようやく大仏様に会えました。
ちなみに、大仏の正式名称は「盧舎那仏坐像」、大仏殿の正式名称は「東大寺金堂」です。(本尊を安置する寺院の仏殿のことを「金堂」といいます)
姿はよく見られる如来像と区別が付きませんが、東大寺は華厳宗を学ぶため創建されたお寺ですから、本尊は盧舎那仏(るしゃなぶつ)ということになります。
今後の記事の中で、奈良のお寺の特色について、すこしずつ書いていきたい、と考えております。