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興福寺から東大寺へ(2011.10.01 夕刻)

2011.10.10(18:00)

興福寺東金堂の仏像群111001

 ふたたび興福寺です。写真は東金堂内の薬師如来とその脇侍の菩薩です。大きく扉が開かれて、ここだけは撮影禁止の札が見えなかったのでよいかなあ、と。
 さて、仏教や寺社仏閣に興味のない方にはつまらない写真が続くことになるかも知れませんが、当ブログはぼくのさまざまな想いを記録する日記も兼ねていますので、そこはお許しいただきたい、と思います。

 ところで、興福寺の中心的な建物である中金堂は復元再建中で幌に覆われていて、見ることができません。また、国宝 三重塔と国宝 北円堂の公開は10月8日からであり、ぼくは6日には奈良から横浜へ帰るのでやはり見ることができません。昨日も書きましたが、このような運・不運は必ずあるものとして受け容れざるを得ないようです。


興福寺南円堂111001

 写真は重要文化財の南円堂です。午後遅く、高台の上での西向きとなるので、加工しないとなかなか見られる写真にはなりません。


興福寺北円堂111001

 こちらが国宝の北円堂です。看板によりますと発掘調査中とのことで、フェンスに囲まれています。フェンスの上にカメラを突き出し、液晶を回転させてライヴヴューで撮影しました。


興福寺北円堂縦111001

 北円堂は藤原不比等の一周忌に元明・元正天皇が不比等の霊をなぐさめるため平城京を見渡せる地に建てられたのがのちに平家の焼き討ちで焼失し、1210年に再建されたものです。
 中臣鎌足が中大兄皇子に「蘇我入鹿をやってしまえ」と仕掛けたことが、天皇家の力を強大にし、その鎌足の子孫が代々の摂関家として権力を振るったのですから、北円堂を見ているだけでいろいろと思いめぐらして歴史がおもしろくなります。
 繰り返しになりますが、中臣鎌足の息子の不比等が藤原の姓を名乗ったのです。平安時代に権勢を極めた藤原氏の、興福寺はその氏寺です。
 この写真の角度からは、フェンスは低く、工事中の道具が見えないため、落ち着いて北円堂のよい写真が撮れます。


鹿と観光客111001

 午後三時過ぎ、興福寺に別れを告げて奈良公園内を東大寺へと向かいました。
 ああ、そうか、これが有名な鹿の出迎えなのか…(笑)


東大寺大仏殿への道111001

 何も知らないぼくは、前方に見えているのはひとつの建物だと思っていましたが、中門の上から大仏殿の屋根が見えていたのですね。大仏殿の鴟尾(しび)の金色の輝きが美しく、惹かれるように歩いていきました。
 土曜日の夕刻です。まだまだ混雑しています。興福寺で大勢いた修学旅行生たちは、なぜか一服して、一般の観光客が多くなっています。

2011年10月10日

  1. 興福寺から東大寺へ(2011.10.01 夕刻)(10/10)