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鎌倉・英勝寺 ~ 「山門」が復興

2011.10.24(18:30)

英勝寺ヒガンバナとアゲハ110923

 日本橋高島屋で「大和の尼寺 三門跡寺院の美と文化展」というのが開催されています。
 焦点を当てられているのは圓照寺、中宮寺、法華寺ですが、それで英勝寺のことを思い出しました。

 尼寺です。江戸時代初期の創建で、代々の住持は水戸家の姫が務め、このため英勝寺は「水戸御殿」や「水戸の尼寺」とも呼ばれたそうです。
 英勝寺は、9月23日にヒガンバナを撮りにいって、そのときすでに紹介済みですし、昨年もヒガンバナを紹介していますが、このお寺はいままでのぼくにとっては秋のヒガンバナと竹林の美しいお寺に過ぎませんでした。鎌倉ですし、境内もさほど広くはなく、花と竹林以外にはあまり見どころはなかったのです。
 だが、先の9月に訪問した際、長い期間「山門」補修中だったのが終わり、いままで公開されていなかった奥のほうまで、自由に拝観できるようになっていました。


英勝寺山門110923

 この山門は水戸光圀の兄である高松藩主松平頼重により造営され、関東大震災後売却されました(個人の敷地に移築)が、平成13年に解体され、その旧部材を用いてついに今年復興がなりました。神奈川県指定重要文化財だそうです。


英勝寺鐘楼110923

 上は鐘楼。この妙な形は袴腰形式というらしいです。寺格の高い寺にしか見られない珍しい様式だ、といいます。神奈川県指定重要文化財。

 奈良のお寺とは比較にもならないほど小粒ですが、じつはしっかりした歴史的背景があって、見どころも多い寺でした。やっとそれに気がつく程度に、ぼくのお寺の見方も変わってきたようです。


英勝寺前の横須賀線110923

 さて、英勝寺にとって最大の問題は、どうもこれの開通だったらしいです。横須賀線が通ったために、寺地や堂宇の一部も失ったのだ、といいます。そういえば、先日紹介した「弘明寺」も、京浜急行が寺の中を通って裏山を公園にせざるを得なかったのでした。


英勝寺唐門裏から仏殿を臨む110923

 上の写真左下の門は唐門といいます。唐門の内側から禅宗の様式をとりいれた重層の仏殿を見ています。


英勝寺の芙蓉とアゲハ110923

 ヒガンバナのほかには白い萩がきれいなのだが、今年は台風にやられて傷んだので、早々に刈り取ってしまった、と聞いた。この日は芙蓉がまだきれいだった。


英勝寺の竹林110923

 竹林はたいへん美しいので、前回の写真を再録しておきます。

〈ご参考〉

 英勝寺のヒガンバナ(2011年)


追記 : 紗真紗さん のために、下に山門の写真を一枚追加いたします。(19:55)
   なぜこれが重要か、記事の文章を読んでいただいた方にはおわかりになると思います。

英勝寺山門の葵紋110923


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 お寺ばかり続きますが、昨晩と今晩は花が多いですから、まあ、いいかな、と。

唐招提寺から薬師寺へ

2011.10.23(18:08)

唐招提寺 この赤い美は何111002の1

 唐招提寺を去る前に、花のきれいなお寺ですから、もう一度それぞれきれいなところをカメラにおさめておこう、と思いました。
 上と下、この赤い実は何でしょうか? どなたか教えていただければ幸いです。

 追記: 空見さん、YAKUMAさん から「おそらくウメモドキだろう」とご教示いただきました。
    ありがとうございました。


唐招提寺 この赤い美は何2 111002


唐招提寺 蓮の実111002

 七月頃はさぞやきれいだったでしょう。


唐招提寺 萩と金堂111002

 今回は金堂ではなく、手前の萩にフォーカスを合わせました。


唐招提寺 金木犀と金堂111002 新

 唐招提寺最初の写真は、背後の金堂をぼかしていました。今回は金堂もはっきり見えるように撮しました。


薬師寺間近111002

 唐招提寺に別れを告げて、薬師寺に向かいます。午後はもう3時頃だったと思います。さすがに疲れてきていましたが、あと一踏ん張り頑張ってみよう、と考えていました。
 薬師寺は唐招提寺の南にあります。
 唐招提寺も薬師寺も、両方とも広いので、すぐ隣とはいえ、門まではかなり歩かなければなりません。
 受付を済ませ、白鳳伽藍の中へ入った後もぐるぐると回ります。
 コムラサキの実が出迎えてくれます。


第一印象の薬師寺

薬師寺の第一印象 大講堂111002

 強烈な第一印象でした。
 これが「ぼくが見た薬師寺の第一印象だ」という印象写真を最初に掲げます。
 なんともまあ、きらびやかなお寺でした。

 薬師寺「大講堂」です。「西の京」が北側にあるので、観光客の大半は北門から入るのですが、本来であれば南門が正門で、真っ先に目に入るのは金堂のはずです。しかし、北門から入ったぼくが真っ先に見たのは「大講堂」でした。



第一印象の薬師寺西塔111002


 そして、大講堂の裏左右には、大きな塔がふたつ見えています。
 ひときわ目立つのは、昭和56年に復興されたという「西塔」です。白鳳時代の彩色そのままに再現された、きらびやかな塔は、見る者に強い印象を残します。

 上の二枚の画像は、心の奥底に刻まれた印象画像です。「あきれるほど、きらびやかだった」という、強い印象をそのまま画像にすれば、こんな感じでした。
 実際によくよく見れば、さすがにもう少し落ち着いた感じになるのですが、まずは第一印象ほど強烈なものはありません。


【ご参考】(Wikipedia からの引用です)

 白鳳文化(はくほうぶんか)とは、645年(大化元年)の大化の改新から710年(和銅3年)の平城京遷都までの飛鳥時代に華咲いたおおらかな文化であり、法隆寺の建築・仏像などによって代表される飛鳥文化と、東大寺の仏像、唐招提寺の建築などによって代表される天平文化との中間に位置する。なお、白鳳とは日本書紀に現れない元号(逸元号や私年号という)の一つである(しかし続日本紀には白鳳が記されている)。天武天皇の頃に使用されたと考えられており(天智天皇のときに使用されたとする説もある)、白鳳文化もこの時期に最盛期を迎えた。


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 本日はすぐ近くの「横浜中消防署」で近隣との触れ合いの会のようなものを開催している、と聞き、歯医者のあとに慌てて行ってきました。
 福島まで出動した特殊車両が来ていたりして興味を惹きました。訊ねればなんでも教えてもらえます。
 いろいろと質問してきてしまいました。私もAEDの使い方、覚えました。傍にいた4歳くらいの女の子、ずっとそこにくっついていて、もう完全に覚えていました。集まった子どもたちは消防車の運転席に座り、子ども用の消火防護服を着たりして、ご機嫌でした。
 写真もたくさん撮りましたので、いずれ記事として載せたいと思います。

唐招提寺 ~ 鑑真和上御廟、戒壇など

2011.10.22(18:30)

唐招提寺本願殿付近111002

 唐招提寺の主要な建物を見てまわりましたので、少し奥のほうへ入ろうと思います。
 松尾芭蕉の句碑「若葉して 御目の雫 拭はばや」のある本願殿(旧開山堂)の横を上がります。
 上の句は、元禄元年、鑑真和上坐像を廃した際に芭蕉が詠んだ句です。鑑真は日本へ辿り着いたときには、何回も難波するなどしたために目が見えなくなっていたのです。
 その辺りで一枚撮りました。一番奥の鴟尾の目立つ建物が金堂、その手前が講堂です。


唐招提寺御影堂111002

 右の方へいくと、「御影堂」があります。国宝の鑑真和上像は、毎年6月6日の開山忌舎利会の際、前後三日間だけ御影堂内が航海されて参拝することができます。本日は外から覗くだけになります。


鑑真和尚御廟へ向かう111002

 鑑真和上御廟へ向かいます。上のような道の奥にあります。


鑑真和尚御廟111002

 これが鑑真和上御廟(墓所)です。


鑑真和上御廟を囲む池111002

 御廟は池に囲まれた閑静な林の中にあります。


唐招提寺地蔵堂前の道111002

 ふたたび道を戻っていき、御影堂入り口を過ぎたあたりの道です。唐招提寺の閑静な境内の様子が察せられると思います。


唐招提寺中興門の瓦111002

 この瓦は、中興堂の門の屋根だったと記憶しています。


唐招提寺戒壇111002

 ずっと奥を回って、唐招提寺境内の西の奥に「戒壇」があります。
 お寺のパンフレットにさえ説明がありませんが、そもそも当時の日本に正式な授戒の作法を伝えたのは鑑真で、東大寺の「戒壇院」のところで書いたように、出家者が正式な僧となるためには、授戒(戒律を授けられる)の儀式を経てようやく僧となることができるのであり、日本にはそのための施設としての戒壇がなかった。鑑真が渡来して初めて戒壇が唐招提寺に設けられたのでした。
 五木寛之氏の『百寺巡礼』第一巻の「唐招提寺」によれば、東大寺は唐招提寺から鑑真を招いて戒壇院を創建し、以降は、僧たちは東大寺で授戒を受けた(受戒した)後に唐招提寺で戒律を学び、それぞれの寺に戻るようになった、といいます。
 鑑真は東大寺を去った跡、唐招提寺にも戒壇を設けました。同寺のホームページによりますと、創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、その後再興されたものの火災により建物は失われました。現在は、3段の石壇のみが残り、その上に昭和53年(1980)にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれました。 

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 ★ 昨晩は横浜バロック室内合奏団の第60会定期演奏会でした。
  コンサートのあと「お茶会」(観客とメンバーの懇親会)にまで付き合ってきたので帰宅が遅くなりました。
  クリックしてください → 横浜バロック室内合奏団第60会定期演奏会/横浜みなとみらい小ホール

ヒメツルソバとシャクチリソバ

2011.10.21(18:30)

玄関前のヒメツルソバ

玄関前のヒメツルソバとハナアブ縦111017

マクロレンズを使ってみたくなる日というのがあります。
Olympus は英国人社長をクビにして、株価急落とか…。内紛のようです。PENとかヒット商品を出して調子のよいはずのときに、ユーザーを心配させないでほしいです。
ああ、見てください。このマクロ撮影の快感!!


玄関前のヒメツルソバとハナアブ111017


玄関前のヒメツルソバ111017

 ヒメツルソバはタデ科。一度植えたら花壇の外へ這い出して、条件の悪いところを喜ぶかのようにどんどん繁殖します。冬に汚くならなければ最高なのですが…。


【玄関前のシャクチリソバ】


玄関前のシャクチリソバ繁み111017

 そうか、ソバもシャクチリソバも、タデ科でソバ属なんですね。タデ科って、とても仲間が多いようです。


玄関前のチャクチリソバ111017


玄関前のシャクチリソバ二輪111017


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 奈良の記事2本を続けたら、違う記事をちょっと挟む、という配慮をしています。
 ブログ「りんどうのつぶやき」のmico さんが、ヒメツルソバの小さな花が開いているところをとらえるのがお上手で、ぼくもやりたいなあ、と思っていました。

 最近読んだ本 : ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈上・中・下〉/塩野七生
        ジウ Ⅰ/誉田哲也ジウ Ⅱ /誉田哲也ジウ Ⅲ/誉田哲也
        夜明けの街で/東野圭吾

唐招提寺

2011.10.20(17:30)

金木犀と唐招提寺金堂横修正111002

 突然金木犀の花が出て、ここはどこでしょう?
 春日荷茶屋で万葉粥をいただきましたが、さて、朝からずっと歩き回ってお昼過ぎ、かなり疲れています。どこへ行くにせよ、しばらくはもう歩きたくありません。とりあえず車道に出て、バス亭を捜しました。
 首尾よくバス亭を見つけて時刻表を確認します。一番早く来るバスは、なんと「法隆寺行き」です。昼間は一時間に一本しかありませんが、そのバスが10分ほど待てば来るというので、それに飛び乗ってしまいました。
 しかし、法隆寺へ行ったときはついでにいろいろと歩き回るつもりでしたから、途中下車するつもりです。そして、バスを下りたここは「唐招提寺」なのです。バスで約40分ほどかかりました。帰りは薬師寺前の「西の京」駅から近鉄で帰るつもりでした。
 じつに、気ままな行き当たりばったりの散策です。


金木犀と唐招提寺金堂縦111002

 金木犀は花期が短いので、横浜へ帰った頃はもう色も香りも薄くなってしまっているでしょう。今年は奈良で楽しまないといけません。


唐招提寺金堂と萩111002

 花の多い唐招提寺です。「金堂」の手前に少し入っているのは萩です。もう少し控えめにすべきでした。


正面からの唐招提寺金堂111002

 でも、唐招提寺の金堂は、なんといっても真正面からが美しい。とても優美に見えます。
 ぼくまだ読んでいませんが、井上靖さんの『天平の甍』は鑑真のことを描いた小説だそうですね。五木寛之さんの『百寺巡礼』を参考にして少し書きます。
 鑑真は日本への渡航を決意して五度も失敗し、失明しながらもなお、ついに日本へ渡ってきた僧で、日本に唐の多彩な文化と、仏教の戒律を伝えた人。だから鑑真が創建した唐招提寺は、律宗の総本山で、律宗とは、「戒律の研究と実践を行う宗派」ということになります。


唐招提寺金堂参拝の様子111002

 日曜日なので金堂の参拝客は多いです。
 本尊・盧舎那仏坐像、のほか、右に薬師如来立像、左に十一面千手観世音菩薩立像ほかを参拝できます。正直に言えば、もう一度見えても区別はできないかも知れません。興福寺の阿修羅像ほかの八部衆、東大寺戒壇院の広目天立像などは一度見たら忘れられない印象を残しますが、「これだ」と言うほどの強い印象は残りませんでした。

唐招提寺金堂前から鐘楼を眺める111002

 参拝の様子の写真は金堂前から右を見ていますが、金堂を左側へ回っていくと、奥に「鐘楼」が見えます。その奥に見えているのは「講堂」です。


唐招提寺鼓楼111002

 逆に金堂を右へ回っていくと、「鼓楼」(ころう)が見えてきます。一階には鑑真が唐から将来した三千粒の仏舎利が安置されているそうです。鎌倉時代に再建された建物です。
 (この付近、空は明るい一方で建物は暗い影になっています。見えやすくなるようかなり苦労してレタッチをほどこしています)


唐招提寺講堂111002

 右端に「鼓楼」、左隅に「金堂」の一部、奥に見えているのが国宝の「講堂」です。平城宮から移築した宮殿建築の遺構だとされています。
 こちらの重要文化財・弥勒如来坐像も、ぼくにとってはいまひとつ印象に残りませんでした。

 唐招提寺にはほかにたくさんの建物があり、とても紹介しきれませんが、どうしても外すことのできない「鑑真和尚御廟」と「戒壇」については、次回の記事に回したいと思います。

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 ブログの記事を書くために、お寺の伽藍の配置図を見ながら、どこをどう歩いてどの写真を撮ったか、自分が何に感動したか、その建物にはどのような歴史的価値があり、背景があるのか、そんなふうに復習しています。
 旅行というものは、予習と復習でこれほどに味わいが深まり、さらに知識や興味が広がっていくものなのか。ただ、引率されてざっと見てまわる、というのでは、これほどの喜びを味合うことはできなかったでしょう。

春日大社

2011.10.19(17:30)

春日大社本殿前111002

 春日大社は大きな神社ですが、古事記・日本書紀の時代のできごとに関連性を持っているというわけではないようです。それならば先日紹介した浦賀水道に面した走水神社(はしりみずじんじゃ)のほうが直接関係していることになります。
 春日大社は768年(奈良時代終わり頃)に鹿島神宮から一神、香取神宮から一神、枚岡神社から二神を迎えて創建されました。天児屋根命(枚岡神社から迎えた あめのこやねのみこと)が藤原氏の祖先神ということから、春日大社も勢力が強くなったものと思われます。全国に約三千の関連神社があると言われているようです。
 写真は中門・御廊であり本殿ではないようです。本殿はこの向こうにあり、上の述べたように四神が祀られているので本殿も四つ並んでいるそうです。500円の特別参拝料金を支払いしても燈籠が並ぶ回廊を通り、中門前まで進み参拝できるだけで、本殿のひとつひとつを覗くことができるわけではないようです。


春日大社回廊と灯籠111002

 中門には回廊が繋がっていて、周囲を囲んでいます。


釣り灯籠の続く111002

 中門に繋がっている回廊には、たくさんの釣り灯籠が下がっています。これはなかなかの眺めです。


江戸時代に寄進された釣り灯籠111002

 大きくアップにした釣り灯籠の文字を読んでみてください。江戸時代のものであることがわかります。


金色に輝く釣り灯籠111002

 金色の釣り灯籠はひときわ輝いています。金箔を貼ってあるのでしょうか。ちょっと気になります。


春日大社拝殿を横から111002


回廊内から見た拝殿111002

 結婚式やお宮参りのお客様もたくさんいらっしゃいます。


結婚式後は人力車で111002

 外へ出ると参道には数多くの灯籠が立ち並んで壮観ですが、そのまま写しても芸がないので、このような風景はいかがでしょうか。


春日荷茶屋で昼食111002

 表参道をずっと歩いて行くと「万葉植物園」があり、その入り口付近に「春日荷茶屋」(かすがにないちゃや)というお店がありました。こちらで名物の「万葉粥」を昼食にいただこう、ということにしました。栗、さつまいもなど季節折々の食材が入っています。


春日荷茶屋の由来111002

 春日荷茶屋の名の由来を示す展示品です。
 江戸末期、てんびん棒に茶箱と茶釜をのせて、さらに餅菓子を盛り参拝客に茶を振る舞っていたという「荷茶屋」が当時名物になっていた、と「大和名所図絵」という書物にあって、それから名をもらったのだそうです

チカラシバ

2011.10.18(18:30)

チカラシバ110922

 チカラシバを初めて見たのは舞岡公園だったか、それとも昭和記念公園でしたか…。
 大きくて見栄えのよい穂に感心したものでした。
 今晩の記事は久しぶりに家のすぐ近く「根岸森林公園」からです。


チカラシバアップ110920

 それが、3年ほど前から根岸森林公園で見かけるようになり、大きな株が多いのでなかなかよい写真も撮ることができてうれしく思っていました。


チカラシバとキンエノコロ110920

 きゅうに勢力範囲を広げたのは今年になってからです。
 ついでに、いままで根岸森林公園では見かけることのなかったキンエノコロもたくさん出てきて、いままでは見たこともないような景色が見られます。
 以上三枚は9月20日と22日の撮影です。


チヂミザサを駆逐したチカラシバ111009

 10月9日です。
 この付近一帯は昨年までチヂミザサの縄張りでした。チヂミザサにはスパンキーともどもかなり悩まされたものですが、今年はすっかり少なくなりました。
 いまはこのようにチカラシバばかりです。


キンエノコロとチカラシバの111009群生

 ここは「ハンブルク桜の女王来日記念樹」に近い丘の斜面です。
 地面が比較的堅く、秋にはヒメムカシヨモギがちょろちょろと生えている程度の原っぱでした。
 今年はチカラシバとキンエノコロに占領されています。

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 こういう勢力分布図の塗り替えがどのようにして起きるのかわかりませんが、なんとなく、草刈りのタイミングなどがきっかけではないか、という気がしています。

2011年10月

  1. 鎌倉・英勝寺 ~ 「山門」が復興(10/24)
  2. 唐招提寺から薬師寺へ(10/23)
  3. 唐招提寺 ~ 鑑真和上御廟、戒壇など(10/22)
  4. ヒメツルソバとシャクチリソバ(10/21)
  5. 唐招提寺(10/20)
  6. 春日大社(10/19)
  7. チカラシバ(10/18)
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