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三渓園のオオガハス ~ 原三溪の私邸だった「三渓園」

2011.08.09(18:08)

ハスと三重塔110808

 私が小学生の頃、小学一年生の初めての遠足は「三渓園」と決まっていた。
 小学生にとって日本庭園ほどつまらないところはない。だから「三渓園というのはつまらないところ」という強烈な刷り込みが行われて、私は五十過ぎまで一度も三溪園には足を踏み入れなかった。

 見方が変わってきたのは、横浜美術館へ通うようになってからだ。
 地方美術館は、地元の生まれでなくても、何かしら縁があって地元で活躍した画家をピックアップし、コレクションに加えていくのが普通だ。そこで登場するのが「原三溪」である。
 生糸貿易で財をなした実業家は、日本美術院の創始者、岡倉天心の求めに応じ、横山大観、下村観山をはじめとする同時代の作家たちを支援し、明治末から大正期の代表的な美術のパトロンとなったのだ。
 観山は三溪園に滞在して制作し、本牧和田山に住居を与えられるなど、厚い庇護を受けた。また三溪は安田靫彦、今村紫紅らを招き、自ら蒐集した古画の名品を供して鑑賞会や研究会を催し、若手作家の育成にも力を注いだ。小林古径や前田青邨らも加わり、日本画家たちと横浜の地は、原三溪のおかげで強い絆で結ばれた。こうして横浜美術館にはこれらの画家たちの作品が多く収集されていて、企画展とはまた別に、それらを楽しむことができるのである。

 七、八年前「三渓園」を小学生の時以来初めて訪れて、びっくりした。広いのだ。
 「三渓園」は明治三十九年に一般公開されたが、原三溪の私邸のあった「内苑」には立ち入りできなかった。どうも私が小学校三年生の頃に、「内苑」に入れるようになったらしい。京都や奈良などから原三溪が私邸の庭園へ移築させた建物の数は17棟に及ぶ。その中にはたとえば紀州徳川家の別荘で吉宗も使ったと言われる「臨春閣」など、あっと言わせられるような建物もある。
 
 梅、桜、蓮、菊、紅葉を楽しめる市民の公園などという、歴史のない規模の小さな日本庭園とは格が違うのだ。それを五十過ぎまで私は知らなかった。
 今晩は文章中心のほんの導入部で、このあと蓮を紹介したい。みなさんのブログには立派な蓮の写真が溢れているが、これは上のような歴史のある「三渓園」の蓮なのである。

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2011年08月09日

  1. 三渓園のオオガハス ~ 原三溪の私邸だった「三渓園」(08/09)