


長男が研修先から一時帰省し、長女夫妻も泊まりにきて、次女も一緒に横浜ベイサイド(金沢区)の三井アウトレットパークへ行こうと、長男の運転で出掛けました。(8月17日)
この週はぼくはあまり体調がよくはなく、「歩かないでよいならどこへでも行く」と気楽なものでした。

上の灯台型の建物の下がカフェ。テラスへ出て外を眺めれば、お金持ちの方たちが係留したクルーザーが一杯です。


当方はまあ、あれこれ買い物をして、カフェで冷たい飲料を飲んで、気分だけはリゾート気分。
帰りはCOSTOCO に立ち寄りました。
COSTOCOで買い物をするには4200円を支払って会員証をもらわなければいけません。そうしないと入場できない。長女夫婦が会員なので入館証を一緒にもらって入場。
確かに安価なのですが、すべてアメリカサイズ。いくら安くてもわが家では使い切れない、食べきれない。こんなところで食品を買って生活したら、どう考えても健康に悪いです。
そして、買い物をするのに疲れる。なぜなら、広すぎるのです。倉庫を延々と歩かされる。
疲れたよ、そのケージに乗せてくれよ、と言い続けました。いやほんと、ぼくを乗せても十分な広さがあるるのです。
さあ、下の写真、これがCOSTOCOだ!

写真は出入り口から見たほんの一部です。野球場全部が倉庫になっているという感覚です。
家庭に超大型冷蔵庫を備えた働き盛りの大家族が、ご近所と連れ立ってやってきて、ワゴン一杯にお買い物して、余分なものは後で分け合って精算、というスタイルなら最適でしょう。

紗真紗 さんが、もっと意表を突いた写真を載せたい、とブログに書かれていたのを思い出し、なんだか自分もそんな気分になりました。
今日の1枚目は唐突ですが、「オニユリと京浜急行」にしてみました。(7月28日撮影)
青木橋の本覺寺へいったあと、沿線を少し歩いていたらオニユリを見つけまして、電車がちょうどよい位置を通過するまで、じっと待機 ! こういうときだけは辛抱強い(笑)
背景にこだわるのも、ときには楽しいです。
以下はわが家の庭のシンテッポウユリです。


以上二枚はフヨウを撮ったのと同じ雨上がりの早朝(8月20日)の撮影です。
以下二枚は、その前日で、12時頃でした。


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最近読んだ本: リレキショ/中村航、逃亡のガルヴェストン/ニック・ピゾラット
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等々力渓谷を抜けると、渓谷内をもどって等々力駅へもどるのはおもしろくないからと、少し付近を散策するのだが、すぐ近くに「善養寺」というお寺がある。
しかし、このお寺はどうもふつうと雰囲気が違う。
この石像群は住職の趣味なのだろうか。ずいぶんたくさん集められた、と感心しつつカメラを向けてしまう。


ほんとうに日本の仏教のお寺? インド仏教の出張所? などと思いつつネットを調べても、この記事の最後に掲げた写真の「善養寺の大榧」(都の天然記念物) のことばかりが書いてある。
なんとなく釈然としない思いを抱きつつ、NHKテレビで三夜連続の「空海特集」を見始めた。国立博物館の「空海と密教美術展」に合わせた企画らしい。
テレビを見ていて、「善養寺」を思い出し、あの寺は密教の寺(真言宗の寺) に違いない、と閃いた。もう一度調べてみると、写真の中に「善養密寺」の字があった。さらにネットを調べた。
善養寺は真言宗のお寺に間違いなかった。

仏教に関しては、ぼくは「禅」から入り「道元」から「釈迦」の教えへと遡っていったので、曼荼羅とか、密教とか、その方面には疎い。上のNHKの特集番組は、「なるほど、そう考えるのか」というところがたくさんあり、よい勉強になった。

上が天然記念物の大榧だ。これについてのネットの記事は多いが、善養寺の由来に触れた記事はとても少ない。
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いずれにせよ、近いうちに「空海と密教美術展」を見にいくつもりでいる。
空海が渡った唐の長安では、当時信仰の自由が許され、仏教の書く流派のほか、イスラム教、道教、儒教が盛んだったそうだ。「庚申塚」の件で道教にも興味を抱いたので、密教と道教について、少し理解を深めたい、と考えている。

19日の昼頃に庭へ出て、今年一番のフヨウの写真を撮ろうとしたら、炎天下でもう傷み始めていました。撮影写真を点検はしましたが、これはボツ扱い。
19日の夜から翌朝にかけて降っていた雨は止んだので、早朝に庭へ出て、フヨウの写真を撮りました。今度は空が曇っていて、明るさが足りません。
フヨウは開ききらないので、やや色が濃く映りますが、こういう写真もまあいいか、と記事にすることにしました。






ハマユウは今年二度目です。暑くなり始めた頃に一度咲いて、真夏は一休み、立秋の頃になるとまた咲き始める花はハマユウに限りません。身の回りで気がついたところではキョウチクトウ、ノウゼンカズラもそんな感じになっています。
背景のOさん宅の左側、明るく飛んでいる辺りが東の空です。曇っているので明るく写るだけになります。
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先週は月曜日に横浜美術館へ「横浜トリエンナーレ」を楽しみに出かけましたが、全般的に心臓の調子が悪く、家で高校野球の応援などしていた一週間でした。
古い食器棚のニス塗り再生は、本日塗装が終わりました。ひどい油汚れをサンドペーパーでごしごし落とした部分などは色がよくのらずにムラもありますが、納戸に押し込んで文庫本ほかの本棚として使う予定につき、ぱっとみて油汚れが無く、艶がのっていれば、それで十分です。
半分書庫兼作業所として使う予定のキッチンには、大きい書棚を作り付けにして制作してもらいました。こちらはなかなか「壮観」です。本の量が半端ではないので、こうでもしないと収まりが付きません。
三十代の頃、一度大量に本を処分したことがあります。ずいぶんと後悔しました。
どこに何が書いてあったかなど、けっこう憶えています。読んだ本のメモもあります。いわば私の外部メモリです。以前本を処分したのは、外部メモリを処分したのと同様で、痛みを伴いました。

「等々力不動尊」を見てからまた谷沢川まで降りて戻り、歩き始めるが、少しずつ付近は明るくなっていて、そろそろ「等々力渓谷」も終わりかと思う頃、目の前にこの門が現れる。
「日本庭園入り口」とある。
「等々力渓谷」は世田谷区の区立公園であり、日本庭園もその一部ということらしい。

ヤブミョウガの写真を撮っていると作業着姿の初老のおじさんが現れて、「これは何ですか」と問う。
「たしか、ヤブミョウガと言ったと思いますが、違うかな?」
ヤブミョウガの実物を見るのはこれで二回目なので、ぼくとしてはさほど自信があるわけではない。
「いや、それでいいんです。あってます」
わかっているのだったら訊くなよ、と一瞬思いましたが、このおじさんは日本庭園の管理者で、業者に聞いた名前を忘れていて、それをぼくに確認したかったらしい。


崖の傾斜を利用して作られた日本庭園を上っていくと、ユリなどもあって、きれいな整備されている。

書院もあり、覗き込むと四季の写真などが飾られている。

湧水など見ながら、また谷底の谷沢川へ下っていった。

少し歩き進むと「矢川橋」にぶつかり、ここが「等々力渓谷」の終点だ。
上の説明図で、ぼくは右端下の等々力駅で下り、ゴルフ橋から谷沢川へ下りて、渓谷の中を左のほうへと歩き進んだことになる。
環状8号の下をくぐり、横穴古墳を見学し、「不動の滝」から上へ登って「等々力不動尊」へお参りして、それから左上の日本庭園を見て、矢川橋の「現在地」まできたわけだ。
急ぎ足で歩けば20分くらいの距離だと思う。それが「等々力渓谷」だった。
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さて、繰り返しになるが、長男は2001年に横浜線淵野辺駅付近の日大三高の中等部へ進学した。
この年に高校の野球部は夏の甲子園に行った。「二度とないことかも知れないから甲子園へ応援に行け」と両親で息子を送り出したが、なんとそのまま勝ち進み、優勝するまで帰宅できなかった。
朝は4時過ぎに起こされて、8時くらいまでに球場へ行かねばならず、それから炎天下の応援であり、長男にとってはかなり厳しい状況だったらしい。
その後の文化祭等ではかみさんが野球部員のサインをもらって嬉しがっていたとか、いろいろとエピソードもあるが、長男は日大生物資源科学部藤沢キャンパスへ進学し、それが当ブログでのパラ園の写真に結びついたりしている。
今年は十年ぶりの夏の甲子園大会優勝だが、監督は2001年当時と同じ。しかし、打撃と守備の実力は2001年を大きく上回っているというのが、わが家全員の評価だ。
横浜線の沿線だから、西東京代表といっても、半分は神奈川代表のようなもの。久しぶりに楽しい真夏を過ごさせてもらった。

横浜から東急線で自由が丘へ出て、東急大井町線へ乗り換え、大井町駅とは反対の溝の口駅方面へ向かうと三つ目の駅が「等々力駅」だ。
等々力駅へ出て、徒歩わずか5分、緑深い木々の見えるほうへ向かって進んで階段を下ると、そこが「等々力渓谷」だ。
大きな地図で見る
上の地図では、尾山台駅と上野毛駅の間のマークに「等々力駅」が隠れてしまっている。
「等々力渓谷」はCのマークの付近だ。

ここはウォーキングの会でぼくが体調不良のため参加し損ねたコースで、「等々力渓谷」という言葉の響きに、いったいどんなところか、そのうち自分で行ってやるぞ、と思っていたのだった。
聞くところによると、等々力という地名は、渓谷内の不動の滝の水が落ちる音が周囲に響き渡り「轟いた」ことからついた、と言い伝えがあるそうだ。
その不動の滝の写真を撮ってきたと、ブログ「花と滝とつれづれなるままに」の紗真紗さんのところでついコメントしたのがいけなかった。
そんな誇大な話は、尻つぼみの結果となるに決まっているのである。数枚後に出てくるから、みなさんお楽しみに!

谷沢川という川が台地を浸食してこのように地形になったそうで、この川は多摩川の方向へ向かって流れ、丸子川とぶつかって合流して多摩川へと流れ込んでいる。その手前がこの写真のようになっている。両側の崖の上はおそらくふつうの住宅地だろうと思われる。

渓谷の付近には、古墳時代末から奈良時代にかけての、有力な農民の墓が、横穴式古墳としていくつか残されている。次の「不動の滝」もそうだが、これを「古墳」というと、ブログ「りんどうのつぶやき」の mico さんに笑われてしまいそうだ。

「不動の滝」というのはどうもこれらしい。紗真紗 さんに期待されても、笑い話にしかならない。

絵にならないから、横から菩薩(たぶん)像を入れて撮ってみるが、滝の水量が増えるわけではない(笑)。

「不動の滝」から階段を登って、等々力不動尊へ向かう。

紀州の根来寺を開いた興教大師が日頃信心する役行者作の不動明王に関東の霊地があると告げられて、ここに不動尊を安置したのが等々力不動尊の始まりだという。興教大師が錫杖を振るったところ、霊泉がほとばしり出て「不動の滝」となったのだそうだ。それが轟いて「等々力」という地名が生まれたというのだが、古くはもっと水量があった、ということなのだろうか。
等々力不動尊の前はふつうの車道、脇の階段を下れば等々力渓谷。河岸段丘の浸食によって生まれた地形だそうだが、都内世田谷区にこのようなところがあるとは驚かされる。
今回の撮影は、崖と緑に囲まれた中でとても薄暗く、暗さに弱い Olympus E-3の感度を目一杯上げたため、画面にノイズがたくさん出て、つらい画像となった。ノイズ低減フィルターを使ってごまかした写真がたくさんある。画質が落ちているところはご容赦願いたい。
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長男の出身校日大三高が決勝戦へ進んだ。9回表の始まる直前に地震があって、放送が中断してしまったのが残念だ。
前回の決勝戦は長男が新中学生のとき、「めったにないことだから甲子園へ行ってこい」と家内とともに勧めたら、勝ち進んだため決勝が終わるまで帰ってこられなくなった。

前回までのサルスベリの記事で、白に薄いピンクのかかったサルスベリの人気が高く、濃い色の花はあまり人気がなかったように思います。
自分の撮影枚数、あるいは、ある程度(記事にするのに耐えうる程度)の水準以上の写真の枚数そのものも、かなり少なくなっています。
中途半端なピンクよりは、むしろ濃い色ならずっと濃いほうがよいような気もします。

前回の記事の最初に花のアップの写真がありましたが、短くて黄色い葯の目立つ雄しべ38本、長細い雄しべ6本、雌しべ1本、花弁6枚で、その花弁の下部は細い柄のようになっているという、じつにややこしい構造の花のようです。


最後の写真の色のサルスベリは、自分であまり気に入らなかったらしく、アップの写真がありません。
中距離からの写真はフォーカスの精度が悪く、なんとか見られる写真はこの1枚だけでした。