月1回のペースで学生時代の友人たちほかとウォーキングの会 (San Po の会) に参加している。
7月23日は品川駅を起点に目黒駅まで歩いたが、コースの中に「旧島津公爵邸」という大物がある。
例月であれば、コースの様子を紹介するが、今回は「旧島津公爵邸」を独立した記事とし、まず、その様子を紹介しよう。

現在清泉女子大学のある島津山の一帯は、仙台藩伊達家の下屋敷(敷地面積22,670坪)だった。明治初年に島津家の所有に移るまで約130年間使われた。明治になってからは、旧鹿児島藩主島津公爵家の屋敷となり、この付近はいまでも「島津山」という地名になっている。
当初は旧伊達家の建物をそのまま使用していたが、老朽化が進んだため、明治39年に英国人のジョサイア・コンドル氏に洋館の設計が依頼された。
ジョサイア・コンドル氏といえば、日本政府が招聘した英個人建築家で、丸の内の美術館「三菱一号館」がやはり同氏によって設計されたものとして知られている。
大正時代には天皇・皇后の行幸があり、盛大に園遊会が開かれた。
清泉女子大学が昭和37年にこの地に移転し、現在旧島津公爵邸の建物は清泉女子大学の管理下にある。
写真の建物は、大正時代に旧島津公爵邸としてジョサイア・コンドル氏が設計したイタリア・ルネサンス様式の洋館だ。
上は旧島津公爵邸の正面玄関に向かって歩いている。

建物は、玄関の横へ、上の写真のように広がっている。

裏側の庭園のほうへと回り込んで行くと、大きな木と広い芝生が見えてきた。
写真の木は台湾フウの一種で、樹齢200年と言われているそうだ。

右側に見えてきた建物は、建物の外側に柱廊が付けられ、まるでイタリアの建物のようだ。
この前庭で、大正時代には天皇・皇后両陛下を迎えて園遊会が開かれた。
清泉女子大学のホームページには、当時の写真が掲載されている。




外観の見学を終えて建物の外側を巡っていく。
庭園の様子はとても美しい。

このように、手入れがしっかりと行われている様子だ。

清泉女子大学の正門だ。
なお旧島津公爵邸建物外観の見学は正式な申し込み手続きが必要なので、ふらっと出掛けても校内に立ち入ることはできない。ホームページ等で確認の上、手続きをとらなければならない。
また、建物内部の見学は時期が決められていて、今回は期間外なので見学はできなかった。
日を改めて、「物流博物館」「池田山公園」などを巡った今回のウォーキングのコースを紹介する。