
平塚農業高校初声分校の周辺を、和田城趾の碑を捜して3、40分うろうろしていたことは、昨日書いた。
結局城趾の碑は見つからなかったのだが、その代わりおもしろい写真が撮れた。
これは「ブラシの木」だが、わが家の近所や港の見える丘公園の山手111番館などで撮影してみたがどうもぱっとしない。この背景はインパクトがあっておもしろいぞ、と閃いた。

送電線もおもしろいが、これは何だろう?
「CV初声町」の札があった。ドコモとパケット中継業者を接続するための Con Verter 装置のことらしい。

ここは最初に和田城趾ではないか、と疑った坂の上を見た写真だ。
上は広い台地が広がり、見渡す限り畑と住宅地が広がっている。もう少し行けば、そこに和田城趾の碑があったのかも知れない。鎌倉時代の話だから、城というより「館」程度のものだったかもしれない。「和田の里」は三浦半島有数の穀倉地帯だったそうで、和田義盛は三浦義明の孫に生まれ、現三浦市初声町和田を領したことから和田氏を名乗り、父の死後にこの付近へ居館を移して、拠点に定めたのだ。
【エル】(日本大学生物科学資源部のバラ~最終回)

「エル」は「ELLE」で、女性誌にちなんで名付けられたバラだ。
フランスのメイアン社が1999年に作出したもの。
さて、バラの写真はまだまだたくさんストックがあるが、いつまでも続いて切りがないし、そろそろ自分でも飽きてきたので、今回をもって終了としたい。
【山手111番館のニオイバンマツリ】(5月21日撮影)

港の見える丘公園の隣り、「山手111番館」の「ニオイバンマツリ」。
これを撮るならこの位置からしかない構図だが、これまで5年間というもの、失敗写真の山を築いて、一度もここへ掲載したことがない。
「上手に撮ることができない原因」ははっきりしている。
a. 脇の道が狭く、離れることができないので、ワイドになりすぎる。
そのためしっかりとフォーカスが合わない。
b. 陽が向こう側から当たり、ニオイバンマツリと赤いカエデが影になり、
暗くなって色が出ない。空は青くならない。
このような無理難題を解決するためには、より高性能のカメラを入手するか、それができないなら、現像レタッチ技術で補完するしかない。そこで、ぼくはとうとう Photoshop ( Elements ではない) を入手して、ここ数ヶ月レタッチ技能の向上を目指してきた。上の写真がその成果という次第だ。
【山手111番館のゴールデンボーダー】 (5月21日撮影)

山手111番館は、J・H・モーガンが大正15に年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として設計した。現在は横浜市が寄贈を受けて管理し、一般公開をしている。
こちらの表玄関のバラがいい。「ゴールデン・ボーダー」といいフランスのメイアン社が1987年に作った品種だ。
これも白と黄色と、色飛びしやすい組み合わせで、気をつけていても失敗しやすく、なかなか上手に撮ることができない。多少曇りかけていたのが幸いしたかも知れない。
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きょうは梅雨の晴れ間がのぞいたので、また「三浦海岸」方面を歩いてきた。
潮風、鳶と鶯の声、そんなウォーキングだった。
【牛頭天王社の和田義盛の碑】

5月19日快晴だ。前日にひき続き、外を歩きたい。
またまた京浜急行に乗って三崎口駅まで行った。前日は苦労したので、きょうは場合によってはコースの一部を端折ってもよい、と考えていた。
きょうは山側のコースで、「和田の里」付近を歩きたい、と考えた。
父型の祖先は三浦氏に仕えていたとされているのだが、本家筋から聞いたところでは、三浦氏の支族の和田家に仕えていたらしい、という。和田義盛 (三浦義村の従兄弟) は鎌倉幕府の初代別当を勤めたが、北条義時と対立して「和田合戦」で滅ぼされた。
三崎口からバスに乗って和田で下車し、まず「和田の里」の鎮守とされていた牛頭天王社の和田義盛の碑を見て、それから和田城趾を捜しに歩いた。
例によって路傍の花など撮影しながら、この日も最初は軽快だった。
【オオトキワツユクサ】

房総半島と三浦半島は陸続きだったから、三浦半島の「トキワツユクサ」は、じつは「オオトキワツユクサ」だと ブログ「土のうた」の nakamura さんのご教示を得た。
それで「トキワツユクサ」と「オオトキワツユクサ」の見分け方など、ネットを使って調べてみた。
「トキワツユクサ」は小さくて、茎と葉裏が赤紫色だという。わが家の「トキワツユクサ」はどうも「トキワツユクサ」でよいらしい、と思われるが、上の写真は茎がはっきりと緑色に写っている。
それに、思い出してみると、この写真を撮ったとき、ずいぶんと成長のよい、背の高いトキワツユクサだなあ、と思っていた。
上はやはり「オオトキワツユクサ」だろう。
【ヒルガオ】

今年初めてのヒルガオ。
萼は調べていないが、葉が典型的なヒルガオであり、コヒルガオではないと思われた。
【県立平塚農業高校初声分校の温室】

写真は県立平塚農業高校初声分校の温室だが、これを右に見て少し行き、「左への曲がり角の道路沿い」に和田城趾の石碑がある、という。「」内はどういう表現なのか。曲がった道路沿いなのか、曲がらず進んだ道路沿いなのか、どちらかわからない。両方をかなり歩いた。三十分近く捜した。かなり大きな石碑のはずが、とうとう見つからなかった。
ああ、なんといい加減なガイドブックだ。地図もついているのだが、これが当てにならないことは昨日すでに証明済みなのだった。
バス停から往復一時間程度かかるという「天養院」という寺の参拝は、この時点で断念した。それに、このガイドブックの所要時間は、ぼくが実際に歩くと倍くらいはかかるのだ。用心したほうがよい、と思った。
(つづく…)
【シャルル・ドゥ・ゴール】(日本大学生物科学資源部バラ園のバラ)

すでに「ブルーライト」を紹介しているが、紫色系のバラの代表格が「シャルル・ドゥ・ゴール」だ。
フランスのメイアン社が1974年に作出。
「港の見える丘公園」のバラ園にもあるが、大輪のこの花は、見に行くと大概傷んでいて、なかなかよい写真を撮ることができない。この花はかなりよい状態だが、それでも縁のほうは傷み始めていた。
【ブルー・ムーン】(日本大学生物科学資源部バラ園のバラ)

紫色系をもうひとつ。上の写真は「ブルームーン」だ。
ドイツのタンタウ社が1964年に作出した。銘花と言われているそうだ。
「ブルーライト」もそうだが本来の紫色の紅色成分をできるだけ落としていって、ブルーと称しているように思われる。
【バルカロール】(日本大学生物科学資源部バラ園のバラ)

色の話のついでだが、黒バラというのがある。実際に黒いわけでなく、濃い赤のバラが限りなく黒に近づいていった、という感じになっている。
上の写真は「バルカロール」。ドイツのタンタウ社が1989年に作出した。バルカロールというのはゴンドラの舟歌のことだ、と説明の札にあった。
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【わが家の開花情報】
・シチダンカ
・ブルーのセイヨウアジサイ
・アフリカン・サン
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本日の記事は二本だ。下にバイカウツギの緊急掲載がある。

「三浦半島の海岸方面」とか「日大藤沢のバラ園」とかやっているうちに、わが家ではバイカウツギが満開です。
いつ撮ろうかとタイミングを図っていましたが梅雨入り。明日は晴れるらしいですが、花が傷み始める可能性があります。しかもここは北東向き花壇で明るいのは朝のうちだけ。
というわけで、先ほど5月30日朝9時30分頃撮影したバイカウツギを緊急掲載いたします。



ならべてみると、やはりトップの写真が好みですね。
【海岸地帯の花々】

まず先に、海岸地帯で撮った花をいくつか記事にしておきたい。
どうせ「ハマなんとか」だろうと調べ始めたが、案の定、これは「ハマボッス」ではあるまいか。
仏具の払子がどんなものか知らないので、名前の由来がぴんと来ないが、全体の様子から間違いないだろう。オカトラノオの仲間というのも、やはりびんとは来ないのだが…。

これも「ハマなんとかだろう」と調べたら、「ハマダイコン」ではないだろうか。花びらの先がピンク色に染まったのものがほとんどだが、ごくたまにこのように白い花があった。花期はほとんど終わりかけ、実が目立つ。

こちらはニガナの仲間だろうと思って「ハマニガナ」を調べたが、葉が違う。海岸でよく見かけたので、何か特別な種類ではないかと思ったのだが…。
【道に迷って…】

荒崎を崖の上に登ると、荒崎公園があり、奥にバス停があった。一時間に二本というのが厭になって、歩こうとしたのが間違いの元だった。
住宅街と畑を抜けて、「ソレイユの丘」という観光公園へ出て、それから三崎口駅へ戻るつもりだったが、ハイキングガイドの地図がいい加減で、道がさっぱりわからず迷った。
住宅街を抜けたところで道がわからなくなった。畑の中を延々と歩く。「観音像の庚申塔」に出会う。どちらへ行ったらよいですか、と手を合わせる(笑)。
(「庚申信仰」というのはどんなものか知らなかったので調べた。へぇ、このような信仰が民間にあったのか…)

観光地然とした建物を見て「ソレイユの丘」へ出た、と思った。それは間違っていなかったが、そもそも道を間違えていたので、広い「ソレイユの丘」の中で向かっている方向がまったく間違っていた。行きすぎて、もどって、方向を九十度訂正して、また畑の中を延々と歩く。
道に迷ったせいかこの辺りで急に疲れが出てきて、不整脈が出てきた。少し苦しいが、完全な発作になってしまわない限り頓服薬は飲みたくはない。なんとなく息苦しく思いつつゆっくりと歩く。
もうやけっぱちで、畑の中の花を見つけたらカメラを向けて一休みだ。

この花は何だろう。わからない。
下はホトケノザだということはわかる(笑)


これはいったい何だろう。畑で栽培しているのだから、言われてみれば「あ~、なーんだ」なのだろうけれど。
あちらこちらの畑で数多く栽培されていた。
心臓の不調に悩まされつつ、延々と歩く。案内板すらなく、どこを歩いているのかわからない。
そのうち国道134号線の矢印を見つけて、どうやらこのまま歩けばよいとはわかったが、その道が曲がりくねり、余分に歩いているとしか思えない。
ようやく国道に辿り着いたとき、そこにバス停を見つけた。どのバスも三崎口駅を通る。ほっとした。バスに乗ってから、頓服薬をのんだ。早く服用すれば、苦しい思いをしなくてもよかったかも知れない。
将来、たとえば「癌」とか、何かの病に罹ったとき、心臓の弱りは致命的かも知れない。それなら、いまのうちにやりたいことをやっておかなければ…。
しかし、そういう思いで自分を追い込み、自らストレスを作り出す傾向が自分にあるのはわかっている。
この性格は「両刃の剣」であり、自分の向上心や知的関心の幅広さを支えてきた一方で、自分を追い込んで病気を誘発する原因にもなってきた。なかなかうまくいかないものだ。
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これまで地名の字を間違えていた。
「佃嵐崎(つくだらさき)」 はそれで正しい。
「嵐崎(あらさき)」は間違いで「荒崎」が正しい。
思い込みとは怖いものだ。
以上訂正させていただく。
【蔦の這う壁】

「旧根岸競馬場一等観覧席廃墟の裏側の壁」なのだが、セットにすべき写真も撮ってなくて、ただ壁があるだけ…(笑)。ただ、なんとなく捨てがたく、ボツにするのも惜しいような気がしていた。
【根岸外人墓地のシャガ】

管理事務所と樹木の影の薄暗い場所で撮ったため、どことなくアピールに乏しい写真だ。
ただ、今年はこれ以外にシャガの写真はないし、花の咲いている様子というか、モデルとしては申し分なかった。カメラマンのせいでボツにするのはどうもかわいそうな気がする。
【馬の博物館のシラン】

シランの記事を書いたときに、単純にこの写真だけ掲載しわすれた。
構図や色など落ち着いた雰囲気に撮れていて、このままボツにするのはもったいない、と思った次第。
【花壇のミヤコワスレ】

これもミヤコワスレの記事を書いたときセットにし忘れた写真。真ん中のバッタか大きめに撮った写真を掲載した。ミヤコワスレはいまもほとんどこのまま健在で、写真もよく撮れているほうなので、このまま埋もれさせてしまうのはもったいない、と考えた。
【見晴台から見下ろす荒崎】

和田長浜海岸から荒崎までのハイキングも目的地へ着いた。最後に見晴台から一枚。
断崖の右上から陽が射して、ややつらい写真となったが、この角度からしかこの景色は撮ることができない。
あとはただ帰るだけ、のはずだった。道に迷ったりしなければ…。
【ニコール】( 日本大学生物資源科学部バラ園のバラ )

ドイツ コルデス社が1984年に作出したバラ。一目瞭然のフロリバンダ系。
フロリバンダの意味はこれで3回目になるのでもう書かない。
ピンクの縁取りがかわいい。
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なんたかんだと、目新しいことは試してみたい。Facebook をなんとかかたちにしようと、頑張っている最中だ。
【カラー】( 園芸種 )

園芸種だが、この清楚な感じがとてもよい。
【トキワツユクサ】

昨年、「土のうた」の nakamuraさんと、「公園おさんぽ日記」の はもようさんのあいだで、これはトキワツユクサではないかも知れない、というような会話が交わされていたように記憶している。
では「これは何なのか」とか、現状ではよくわからないので、とりあえずトキワツユクサとしておく。
わが家の玄関前の花壇脇の薄暗がりで、大量に繁茂している。
【クリーム色のバラ】

北東向き花壇のバラ。品種名はわからない。陽当たりが悪いためか、今ごろになって成長してきた。
【セライティウム】( 園芸種 )

英名:mouse-ear chickweed。本来咲いた花を集団で眺めるべき花だが、この儚げな色をアップでとらえてみよう、と思いついた。
【どんどんびき】

荒崎は波による浸食が激しい。陸のほうへふかくえぐれたところもある。

ここは「どんどんびき」と呼ばれている。この入り江に入ってくる波が打ち寄せてきた後、どんどんと引いていく様子からこの名が付いたという。しかし、この日は干潮で、その様子は観察できなかった。
【コティヨン】(日本大学生物科学資源部のバラ

米国J&P社が1999年に作出。花の名前は、18世紀フランスの躍動的な踊りの一種だそうだ。舞踏会で踊られるようなものらしいが、ぼくにはわからない。フロリバンダ系。フロリバンダの意味は前にも説明したが、中輪で枝分かれをしてたくさんの花を咲かせる種類をいう。
4枚上の写真、わが家の品種のわからない「クリーム色のバラ」も、そんな感じの咲き方をしている。

日大生物科学資源部バラ園のシリーズで最初に紹介したバラ「バタースコッチ」は、黄色味があって、茶が混じるという雰囲気だったが、こちら「ジュリア」は、あまり黄色味を感じない。
花弁に多少フリルが掛かったような花のかたちが美しく、古風な味わいがある。
英国の Wisbech Plant Co. が1976年に作出したバラ。

【椎の木の花】 (本牧山頂公園から)

本牧の中図書館で本を借りたり返却したり…、晴れていれば本牧山頂公園に立ち寄る。
こちらは何らかの種類の椎の木だと思うが、ドングリを確認していないし、この公園とはまだ丸一年と少しの付き合いなので、詳細はわからない。
ただ、花がきれいに開いて垂れ下がった様子がいいな、と思った。
【本牧のマンション群と埠頭のクレーン】

本牧山頂公園は大きな木も残っているが、その合間から見える景色はご覧の通りだ。
見えているクレーンは、たぶん下のクレーンと同じで、南本牧埠頭コンテナターミナルのものだ、と思われたが、数が合わない。別のコンテナ埠頭かも知れない。
なお、下の写真は J-Power のボイラー棟の上から2月に撮影したものだ。

【十文字洞 ~ 荒崎を歩く(2) 】

上の写真は「荒崎」の「十文字洞」と名付けられた海食洞だった、と思う。もしかすると別の海食洞だったかも知れない。
「十文字洞」は、内部で四方からの洞窟が繋がっているため、このような名前が付けられたもののようだ。昨日の「荒崎を歩く」の荒崎の写真の最後に登場したのは間違いなく十文字洞だった(と思う)。

周囲を巡って覗き込むと、このような写真も撮ることができる。
モミジイチゴだかカジイチゴだかわからないが、洞窟の前で実がなっている。

ここへきて「津波注意」の看板を見たが、荒崎の登り道が見つかるまで岩場を渡っていかなければ逃げ道はない。道から離れて海に近づいて遊んでいて地震が起きた場合、避難にはかなり時間が掛かる、と思われる。考えてみれば、この時期を考えると危険なハイキングだったとも言えよう。
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本日は、東京国立博物館平成館で『写楽展』を楽しんできた。
写楽の対抗馬とされた浮世絵師たちの作品もたくさん展示されていて、寛政の頃の江戸の庶民のエンターテインメントがどのような様子であったかまでよくわかり、充実した美術展となっていた。