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神奈川県立金沢文庫

2010.05.17(19:00)

中世の隧道100430

上の写真は「称名寺」(5月14日記事)の境内奥にある中世の隧道です。小さなトンネルのようなものです。
現在は崩落の危険があるため通り抜け禁止となっていますが、記録によると、江戸時代にはこの向こう側は「文庫が谷(ぶんこがやつ)」という地名であり、金沢北条氏が建てた金沢文庫があったはずの有力な候補地だそうです。
現在は、この左横の小さなトンネルを抜けると、向こう側は「神奈川県立金沢文庫」です。
金沢文庫を創設したのは北条実時であり、以降代々書籍を集めていきました。現在の県立金沢文庫はこの遺産を引き継ぎ、称名寺の資料ほか、郷土の資料を蓄積しています。


金沢文庫表紙100430


4月30日、私は称名寺の庭園を一巡りしたあと、隧道を通って金沢文庫を見学しました。
「武家の都 鎌倉の茶展」という展示をやっていました。左記の展示名をクリックするとその紹介をご覧になれます。

わが家の家系調べ

「神奈川県の資料を集めているここならもしかしてわが家の家系を調べられるかも知れない…」と、金沢文庫の図書室に入ってみました。
父が亡くなったことで、本家の跡取りの方へ墓地のことなどであれこれ相談したりするようになり、家系についてなんとか調べられないか、と考えていたのです。
角川日本姓氏歴史人物大辞典の中から、第14巻神奈川県姓氏家系大辞典(H5.4.8初版)を開いてみました。ありました。わが家の先祖のことが載っています。

わが○○家の先祖は三浦氏に仕えたといい、醤油醸造も行っていました。文化10年(1813年)の当主市左右衛門は沿岸防備に当たった会津藩より苗字帯刀を許されました。天保14年(1843年)には豊之介が、やはり沿岸防備に当たって川越藩よりある役を任じられ、在勤中の苗字帯刀を許されています。江戸時代は名主だったようです。
明治になり、○○太七は、堀内に郵便局を開設した、とあります。別の資料から、これが明治25年だったことがわかります。この太七が私の祖父敏三の父親に当たります。


現在の○○本家の当主は、神奈川県立公文書館(保土ヶ谷)にかなりの量の古文書を寄託したそうなので、それを調べればさらに何かわかるかも知れません。金沢文庫の展示のように、墨で書かれた古文書をひとつひとつ解読するような、地味な作業ができれば、の話でありますが…。

クスノキの若葉とつぼみ(おまけ)

クスノキの若葉とつぼみ100508

2010年05月17日

  1. 神奈川県立金沢文庫(05/17)