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わが家の花壇から ~ ヒメフウロ、シラン、ツルマンネングサ、アヤメ、コバノタツナミソウ

2010.05.23(19:00)

ヒメフウロ100506

ヒメフウロが玄関先や庭など、こぼれ種でどんどん増えて、たくさん咲いています。
近寄ってマクロで一枚。雄蕊と雌蕊が揃っている花を撮影するのは、タイミングが合わなければいけません。


正面からのシラン100506

nakamura さんのお宅と同様に、芽を出してから傷んでしまい、葉が赤茶けて苦しんでいます。
春の寒さ、そしてわが家は、植わっている場所の陽当たりの悪さが原因のようです。
そんな理由から、今回は花の写真だけをあえて正面から。真横から撮った花の姿を、ぼくは映画の『エイリアン』に似ていると思います。


咲き始めたツルマンネングサ100513

今年もツルマンネングサが花壇の外側で咲き始めました。
もう少したくさん咲いたら、元気のよい全体像を紹介できるかも知れません。


色の薄いアヤメ100516

さて、本日のメインエベント! こんな色が薄くても、これはアヤメなのでしょうか。
植えたのは父ですので、もう確認する方法がありません。


玄関先のタツナミソウとヒメツルソバ

玄関先にはレンガを敷き詰めてありますが、土がこぼれ、種がこぼれ、好き放題にいろいろな花が咲いています。
こぼれ種からのコバノタツナミソウ、どこにでも出てくるヒメツルソバ、花は写っていませんが、背景にトキワツユクサが見えているように思います。

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さて、明日から日大生物資源科学部のバラ園の様子をお伝えします。
「 なんだ! またバラか! 」と思って見逃したら、きっと損をします。ここはふつうの営業用のバラ園を越えています。こんなバラもあったのか、というほどのバラを、しかも見事に咲かせています。

イギリス館のバラ(2) ~ 撮影日5月14日

2010.05.22(20:12)

カズエ100514

横浜市中区 港の見える丘公園 隣接のイギリス館バラ園からの第2回です。
上は「カズエ」という品種のバラ。日本で作出したものと思われますが、詳しいことはわかりません。


ホワイトクリスマス100514

こちらは「ホワイト・クリスマス」。米国ハワード&スミス社1953年の作出です。


花霞100514

上は1984年 京成バラ園芸 作出の「花霞」です。


宴100514

同じく、京成バラ園芸1979年作出の「」です。


ブルーライト100514

歌にもある「ブルー・ライト」。伊東良順氏1995年の作出です。
一昨日の「シャルル・ド・ゴール」と同様、ブルー(青色)を狙って創られたバラらしく、紫色でもかなり青い成分の多い、微妙な色合いとなっております。
上の写真は、ほぼ正確な色再現ができている、と思います。

さて、本日紹介のバラは、なんと、5点のうち4つが日本で作出されたバラでした。


イギリス館南側100514

最後に、このバラ園が付属しているイギリス館を、前回とは違った角度からご紹介して、本日のバラの記事を終わりにいたします。

ご注意の記事(5月14日撮影)をご覧になって、いまから出かけても「港の見える丘公園」のバラ園のバラは本日現在傷みが目立つということのようですから、ご注意ください。

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イギリス館の「バラ園」のバラは、環境もよく立派に咲かせておりますが、本日はもっとすごいバラ園を見てきてしまいました。
日本大学生物資源科学部(藤沢キャンパス)のバラ園です。こちらのバラを育てているのは日大の学生たちだと思いますが、めずらしいパラがたくさんあり、しかも一般に知られているイギリス館のバラ園よりも、もっと元気で、大きく、立派なバラなのです。
というわけで、イギリス館のバラは今晩でお終いとします。明後日の晩の紹介は、日大藤沢キャンパスのバラとなります。

「正岡子規と明治の鉄道」展 ~ 旧新橋停車場

2010.05.21(19:11)

旧新橋駅停車場100518

 旧新橋停車場鉄道 歴史展示室にて、第23回企画展「正岡子規と明治の鉄道」という展示が行われています。(2010年7月19日まで開催)

 鉄道歴史展示室は鉄道や汐留の歴史などを紹介するもので、財団法人東日本鉄道文化財団が旧新橋停車場駅舎を再現したその建物の中にあります。上の写真がその再現された旧新橋停車場です。外観については、当時の鮮明な写真、駅舎基礎など信頼性の高い資料が残っており、これを基に可能な限り正確に、本物が存在した「場所」の上に当時の「外観」を再現した、といいます。
 当時の石積みなど、古い建築物の一部を残して見学できるよう、巧みな工夫が施されています。

 さて、今回の展示は、正岡子規が1893(明治26)年夏に1ヵ月かけてめぐった奥羽旅行の紀行文『はて知らずの記』の記録をたどるというかたちで、当時の交通手段や社会情勢を眺められるようになっています。古い記録写真がとても興味深く思います。

 NHKのドラマ『坂の上の雲』に人気にあやかって、正岡子規だけでなく、夏目漱石、秋山真之の写真も展示されています。ぼくが子規に興味を持ったのもこのドラマが最初でした。
 NHKの『坂の上の雲』を見ていたら、
 「五月雨を集めてはやし最上川」という芭蕉の句と、
 「五月雨や大河をまえに家二軒」という蕪村の句を比較して、
 正岡子規は「蕪村の句のほうがよい。なぜなら誰でもその情景がぱっと頭に浮かぶように詠まれているからだ」と語っていました。言い換えると、技巧に走り過ぎて写実的でない歌を子規は嫌っていたのです。  
 古今調を嫌い、勇壮な万葉調が好まれた。明治のこの頃は、そういう時代でした。
 このドラマをやっていた頃、私はたまたま『百人一首の歴史学』という本を読んでいました。歌というものは、その場その場の個人的なシチュエーションだけでなく、その時代の文化的な背景があって、そこから生まれてくるのだ、ということに、『百人一首の歴史学』とドラマ『坂の上の雲』とがうまい具合にシンクロして、私に気がつかせてくれたのでした。
 当時の写真の数々を眺めているだけでもおもしろく感じます。20分もあれば十分楽しめる程度の展示ですので、通りかがりでもよいから、入室、見学されることをお薦めいたします。
 場所は現JR新橋駅から汐留方面へ徒歩5分程度のところです。


ふれ太鼓(おまけ)

ふれ太鼓100518

本日のおまけ写真は、京成バラ園芸社1974年作出の「ふれ太鼓」です。
昨日と同様、港の見える丘公園隣接のイギリス館バラ園で撮影しました。

イギリス館のバラ(1)

2010.05.20(19:13)

シャルル・ド・ゴール100514

今晩は、横浜市中区・港の見える丘公園隣にあるイギリス館付属のパラ園のバラを紹介いたします。
上のバラはフランス・メイアン社1974年作出の「シャルル・ド・ゴール」です。原色通りの写真です。紫色のバラです。


木陰からのイギリス館100514

せっかくですから、いままであまり撮っていない角度からのイギリス館を上に載せました。旧イギリス総領事館公邸で1937年(昭和12年)建造の西洋館です。


チェリッシュ100514

米国ジャクソン&バーキンス社1980年作出の「チェリッシュ」です。


インカ100514

これはドイツ、タンタウ社・1978年作出の「インカ


ブラックスワン100514

上は日本・浅見均氏1988年作出の「ブラック・スワン」です。


わが家の庭のバラ(おまけ)


庭のクリーム色のバラ100514

今晩のおまけ画像は、わが家の庭のバラ。撮影は5月14日でしたが、その後つぼみが次々と開花し、本日の雨天の下、ピーク期を迎えています。

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さて、3月以降、「初体験」続きです。
「花嫁の父」「喪主」「退職」「ルーツ探索」そしてきょうは「ハロー・ワークで手続き」!
ほかにも小さな初体験がたくさん。「頸椎神経症」「離檀申し出」なんていうのもそうですし…(笑)

大隈庭園 ~ 早稲田大学

2010.05.19(19:00)

大隈庭園と講堂の塔100518修正


大隈庭園は、もとは彦根藩井伊家や高松藩松平家の下屋敷の庭園だったそうです。大隈重信が購入して邸宅を構え、山や谷、泉や塔を配し、文人風の庭に改造させたのだそうです。
思い出してみると、4年間も通っていながら、ここへ入ったことは確か一度しかありません。学生時代は立て看板に囲まれ、アジ演説を聞きながらわずかながら授業に出、後は麻雀をやったりしながら遊んでおりました。
日本庭園で優雅な時間を過ごす、などということは、考えても見なかったのです。


大隈庭園の木陰100517

このあと、しばらくキャンパスを歩いて、いろいろなことを思い出しました。たまにはよいものです。ぼくの場合、一番メリットがありそうなのは図書館の利用かも知れません。


大隈庭園の鐘楼修正100518


大隈庭園の屋敷100517


大隈庭園の灯籠100517


大隈庭園のキショウブ100517

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大学の名誉教授というのは、長年の研究努力を認められて受けられる地位であり、一般的には「社会的な地位」として認められています。しかし、たとえば大臣、社長、教授など「社会的地位」のある人物を、そのことを理由に「偉い」とするについては、ぼくは相当な抵抗があります。

社会的にちやほやされていると、苦労して働いている人間の事情が、わからなくなるようです。
他人の価値観を認めない、尊重しない。自分だけが正しい。そういう家父長との生活は、傍にいる家族にとっては迷惑きわまりない、窮屈なものでした。
会話をすれば不愉快になるだけですから、必要でない限り、子も孫もまったく話しかけようとはしなくなります。寂しかったでしょうが、それは自分で招いたことでした。だからこそ一層、表へ出れば「いい人」になります。教え子の面倒見がよく、すばらしい先生だと慕われていました。
亡くなった人物のことは悪くは言わない、のが美徳でしょうから、これ以上は申しません。葬儀は「よき教授(せんせい)」としての葬儀にふさわしいものとなるよう配慮しました。

ルーツ探索とか、叙勲・叙位とか、そうそう話題になることではありませんので、ぼくは単純に「話題としておもしろい」と思って記事にしています。「おめでとうございます」と言われれば、「ありがとうございます」と挨拶いたします。誰かさんが「偉い」から記事にしてお知らせしているのではありません。社会的に功績が認められた、ということは、確かにめでたいことに間違いありませんですし。

ちなみに、国立大学の名誉教授は申請がなくても亡くなれば叙位を受けられるそうです。私大の場合、大学を通じて申請が必要だそうです。教え子さんたちの組織などもあり、私は「そんなものいらない」とは言えない立場です。
叙位の申請ですが、死亡後10日以内に除籍謄本を文部科学省に申請するよう言われました。死亡届は2日後に横浜市の区役所へ提出していますが、そこから本籍地の町役場へと回っていきます。町役場へ電話したら、「区役所から書類が届いてから除籍謄本を発行できるまで、最低でも20日間はかかります」と言って取り合ってくれません。
困りましたが、結局町役場は多少早めにやってくれて、期限を2日過ぎてから大学へ提出しました。大学が文部科学省へ掛け合ってくださり、叙勲申請のときの戸籍謄本のコピーでつなぎ、後で差し替え、という約束をしたようです。
国と地方公共団体が互いに矛盾する無理な規定で運用していることには、行政とはこんなものか、と呆れた次第です。古い戸籍謄本が大学に残っていなかったら、叙位は申請できなかったかも知れません。

玄関前の花から ~ トキワツユクサ、オステオスペルマム、セイヨウヒルガオ

2010.05.18(19:00)

トキワツユクサ2100508

玄関前の煉瓦の隙間にびっしりと群生しています。
トキワツユクサは帰化植物で野生化し、日陰を好むようです。
ツユクサ科ムラサキツユクサ属です


トキワツユクサ1100508


トキワツユクサマクロ100508


黄色いオステオスベルマム横100506

キク科のオステオスペルマム。白いオステオスペルマムはすでに紹介しています。
玄関前のオステオスペルマムは、花弁の裏が濃い黄褐色です。
花弁の表は、咲き始めは黄色ですが、少しずつ白くなっていきます。


キイロイオステオスペルマム縦100506


プチナコンボルブルス縦100506

園芸種で、苗には「プラチナ・コンボルブルス」という札がありました。
どうみてもセイヨウヒルガオに見えるので調べてみると、Convolvulus属 というのは和名ではセイヨウヒルガオ属のことのようです。「コンボルブルス・なんとか」というのがたくさんあるようです。


イチハツ(おまけ)

イチハツ100506

庭のイチハツはすでに紹介済みですが、自然な感じに撮れたので、こちらはおまけです。

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ほんとうに久しぶりに、早稲田のキャンパスを歩いてきました。
学生時代には大隈会館の庭園は一度しか入ったことがありませんでしたが、ゆっくりと見てきました。(一応、カメラは持っていきました)
亡父が叙位を受けたので、その(なんというのでしょう)内閣総理大臣鳩山由紀夫宣と書いて押印のある書状を、大学事務所へ受け取りに行ってきた、という次第です。
wikipedia で調べると、受けた位階「正五位」は、「現行制度では、位階は死没者に対する栄典として与えられることとなっており、正五位は大学・短期大学・高等専門学校において名誉教授の称号を受けた者、民間企業の経営者のうち秀逸な業績のある者などに叙せられる例が多い」とありました。
そもそも、数が多いほうが位階が高いのか低いのかすら知らずにいました。wikipedia で「叙位」を調べたら載っていました。便利な時代になったものです。

神奈川県立金沢文庫

2010.05.17(19:00)

中世の隧道100430

上の写真は「称名寺」(5月14日記事)の境内奥にある中世の隧道です。小さなトンネルのようなものです。
現在は崩落の危険があるため通り抜け禁止となっていますが、記録によると、江戸時代にはこの向こう側は「文庫が谷(ぶんこがやつ)」という地名であり、金沢北条氏が建てた金沢文庫があったはずの有力な候補地だそうです。
現在は、この左横の小さなトンネルを抜けると、向こう側は「神奈川県立金沢文庫」です。
金沢文庫を創設したのは北条実時であり、以降代々書籍を集めていきました。現在の県立金沢文庫はこの遺産を引き継ぎ、称名寺の資料ほか、郷土の資料を蓄積しています。


金沢文庫表紙100430


4月30日、私は称名寺の庭園を一巡りしたあと、隧道を通って金沢文庫を見学しました。
「武家の都 鎌倉の茶展」という展示をやっていました。左記の展示名をクリックするとその紹介をご覧になれます。

わが家の家系調べ

「神奈川県の資料を集めているここならもしかしてわが家の家系を調べられるかも知れない…」と、金沢文庫の図書室に入ってみました。
父が亡くなったことで、本家の跡取りの方へ墓地のことなどであれこれ相談したりするようになり、家系についてなんとか調べられないか、と考えていたのです。
角川日本姓氏歴史人物大辞典の中から、第14巻神奈川県姓氏家系大辞典(H5.4.8初版)を開いてみました。ありました。わが家の先祖のことが載っています。

わが○○家の先祖は三浦氏に仕えたといい、醤油醸造も行っていました。文化10年(1813年)の当主市左右衛門は沿岸防備に当たった会津藩より苗字帯刀を許されました。天保14年(1843年)には豊之介が、やはり沿岸防備に当たって川越藩よりある役を任じられ、在勤中の苗字帯刀を許されています。江戸時代は名主だったようです。
明治になり、○○太七は、堀内に郵便局を開設した、とあります。別の資料から、これが明治25年だったことがわかります。この太七が私の祖父敏三の父親に当たります。


現在の○○本家の当主は、神奈川県立公文書館(保土ヶ谷)にかなりの量の古文書を寄託したそうなので、それを調べればさらに何かわかるかも知れません。金沢文庫の展示のように、墨で書かれた古文書をひとつひとつ解読するような、地味な作業ができれば、の話でありますが…。

クスノキの若葉とつぼみ(おまけ)

クスノキの若葉とつぼみ100508

2010年05月

  1. わが家の花壇から ~ ヒメフウロ、シラン、ツルマンネングサ、アヤメ、コバノタツナミソウ(05/23)
  2. イギリス館のバラ(2) ~ 撮影日5月14日(05/22)
  3. 「正岡子規と明治の鉄道」展 ~ 旧新橋停車場(05/21)
  4. イギリス館のバラ(1)(05/20)
  5. 大隈庭園 ~ 早稲田大学(05/19)
  6. 玄関前の花から ~ トキワツユクサ、オステオスペルマム、セイヨウヒルガオ(05/18)
  7. 神奈川県立金沢文庫(05/17)
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