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尾形光琳 ~ 紅白梅図屏風

2009.03.07(14:48)

紅白梅図屏風

 尾形光琳のの紅白梅図屏風は国宝に指定されており、熱海のMOA美術館では毎年梅が開花している2月頃に展示している。
 美術雑誌などに図版が掲載されることが多く、一般にたいへんよく知られているが、実物を前にすると、印刷物を見ているときよりもはるかに強い印象を受ける。
 まず屏風が大きい。左右の白梅と紅梅は、樹肌の描き方などがかなりリアルだ。
 しかし、そうはいってもこの作品は図案である。梅を写したものではなく、いかにも梅らしく見えるようにデザインされた図案なのだ。尾形光琳という絵師は江戸時代初期に登場した革新的なデザイナーであり、光琳図案と呼ばれる数々のデザインを生み出した。
 紅白梅図屏風を前にすると、じつは妙な違和感を覚えるのがふつうで、その理由は真ん中にある川である。これは川であることは間違いないが、梅が梅らしく見えるほどには川らしさを感じさせないし、あまりにもどんと大きく真ん中に存在しすぎているのだ。

 画家の立場になって制作過程を思い描くと、こういうことだろうか。
 左側に白梅を、右側に紅梅を配し、真ん中の川で隔てられているという紅白梅酢屏風をデザインし、制作したい。左右二枚の屏風をそれぞれ二分して、一枚の左半分に白梅を、もう一枚の右半分に紅梅を描く。川はそれぞれ残りの半分で、並べれば真ん中が川になるようにする。白梅と紅梅はそれぞれ変化をつけて、性格の異なる様子の梅としたい。川は真ん中になるが、主役は白梅と紅梅だから、川が主役に見えてはならぬ。
 であれば、川は単純なデザインで、写実性は必要なく、見る人に「これは川だよ」とわかる程度に描くのがよいだろう。流れを図案化して、それとわかる記号(マーク)でよいのだ。
 とまあ、こんなところだろうか。
 しかし、記号にしては川はボリュームが大きかった。しかも真ん中である。
 けれども小さくしてしまうわけにはいかない。白梅と紅梅が川の流れで隔てられているところを描くのであって、簡単に飛び越えてしまえる小川であってはならないのだ。
 このような過程で出来上がったのが、この紅白梅図屏風であろう、とぼくは想像する。

 屏風絵だと思うから余計な違和感があるのであって、現代アートだと思えば、何でもありの世界だから「ふうん」となりそうだ。
 尾形光琳というアーティストは、そのくらい革新的なアーティストなのだと思う。尾形光琳に限らず、浮世絵など、日本画には近・現代アートと通じ合うセンスの作品が多い。日本のアートは西欧の絵画よりよほど時代を先取りしていたのだ。

白いジンチョウゲのつぼみ

2009.03.07(13:30)

白い沈丁花

昨年「馬の博物館」の馬頭観音の前に白いジンチョウゲがあるのに気がつきました。
そのときはもうほとんど終わりかけていたので、今年は是非つぼみの頃から観察しよう、と思っていました。

2009年03月07日

  1. 尾形光琳 ~ 紅白梅図屏風(03/07)
  2. 白いジンチョウゲのつぼみ(03/07)