
MOA美術館の敷地内に、尾形光琳の屋敷を復元した光琳屋敷があります。この日はたまたま学生相手の実習が組まれていて、中を見学することはできませんでした。
そこで、写真の右側に見えている茶店に立ち寄ることにしました。
茶店の様子は次回の記事をごらんください。

秀吉が作った黄金の茶室を復元したものだという。
MOA美術館のエントランスを入ってすぐ左側の部屋だ。
茶室奥の掛け軸は、秀頼が七歳の時に書いた自筆で、たしか「豊国大明神」と書かれていた。
極端に華美な印象だ。全国の大名に対する虚仮威しが狙いなのだろうが、秀吉とはそういう趣味の男でもあったのだろう。
わびさびの世界とはまったく逆を往っている。

MOA美術館のエントランスを右側に曲がったところです。
たしか中近東のどこかの壺だったとおもいますが、ぼくが語りたいのは、この美術館はカメラ撮影を拒否しない、ということです。
当美術館の創設者岡田茂吉さんの信念は「美術品は決して独占すべきものではなく、一人でも多くの人に見せ、娯しませ、人間の品性を向上させることこそ、文化の発展に大いに寄与する」ということだったそうで、おそらくはその信念のもとに経営されているのでしょう。

8月18日、めずらしく家族の休日が重なるので、ぼくも夏休みをとって熱海のMOA美術館へ出かけました。
メイン・エントランスから入ると、ロビーから湾が見渡せます。天候は曇りでしたが、それでもすばらしい眺望でした。
ぼくは美術館へよくでかけますが、「○○展を見に行く」というだけが美術館の楽しみ方ではありません。建物自体が建築家の作品で、豊かな空間を楽しむことができます。豊かな空間や眺望、庭園を楽しむひとときを過ごしにでかける。そういう「自分の場所」を見つけておく、というのは、気持ちがとても裕福になります。
ここ2、3日、そういう楽しみ方をご紹介したいと思います。

講談社ブルーバックスの新刊です。植物には、葉とか根とか、いろいろな部分があるわけですが、この本ではとくに「花」という器官にスポットを当てて書いています。
第1章 花の多様性、第2章 花の色のふしぎ、第3章 開花のふしぎ、第4章 花たちの環境への適応戦略、第5章 人類によって作られた花たち、という構成になっています。
第1章のポイントは「花は生殖器官である」ということ。花にどれほどの多様性があるにせよ、元々は生殖器官であるということに花の存在意義があります。そう考えていくと理解を間違えたりすることも少なくなるようです。
第2章は花の色の二大色素、アントシアニンとカロテノイドの解説に多大なページが割かれています。あれほど多様な色があるのに、ほとんどの花がアントシアニン系色素(赤色や紫色を発現する色素)とカロテノイド(黄色色素)のふたつの組み合わせで色を出している、というのは驚きです。いくつかの例外や色の仕組み、色が持つ意味に触れ、最後にはたとえばツユクサのような濃い安定した青色を発現する仕組みについて解説してくれます。
第2章はとても長く、1、2章で全体の半分以上のページ数を占めます。最初は化学式の話など、基本的な話が続いて読むのがつらい部分もありますが、第2章の終わり頃から、読者にも基本的な考え方が浸透してきて、読むのがおもしろくなってきます。やはり基本として「花は生殖器官である」ことを、しっかり頭に入れておくことが大切なようです。
第3章の開花の仕組みは、5月26日に記事にした本「葉っぱのふしぎ」とダブっています。第3章で「葉っぱのふしぎ」の復習ができます。
第4章 花たちの環境への適応戦略 では、乾燥や高山、熱帯植物、水生植物の話など、話題が豊富で、これまでの基礎を理解していると楽しい読み物になっています。
第5章はハナショウブなどの品種改良の話や、青いバラ、青いカーネーションなど、自然界にはない模様や色の花を創る話題です。
「葉っぱのふしぎ」に続いて、全体を通して読むと、植物学の基本の考え方が自然と身についてきます。ぼくはいま「絵でわかる植物の世界」という植物学の基本書を、こつこつと3分の1ほど読み進めていますが、そちらもかなり役に立っていて、ちょっと自信がつき始めたところです。こういう読書とフィールドワークの双方が大切だと思うので、ブログ「デイックの花通信」のほうもひき続き頑張っていきたいと思います。

ヤブツバキの実は、陽が当たると赤くなって小さな林檎のようです。
気がついてみると、今週は実の写真ばかりでした。夏も終わりに近づいて、そういう季節になってきた、ということでしょうか。

花と実がすなおに頭の中で結びつかないのかがネムノキの実ですね。
どうしてこうなるの? と不思議です。