

撮影場所:千葉県・マザー牧場
撮影日:2018.02.03
撮影機器:Canon EOS 5D Mark III
レンズ:EF24-105mm f/4L IS USM 以下同じ
「あ〜ん、ゆるして!」
2月3日、極寒のマザー牧場です。
羊の毛刈りショウが始まったところです。

「はい、お客様にごあいさつ」「ぶす。いやだ!」
タンクトップの彼は、ニュージーランド人だそうです。

押さえ込んだ羊を、電動バリカンでどんどん刈っていきます。

「わ、わ、やだあ! 寒いよぉ」

「はあい、ヤギになりましたぁ」と、ほんとうにそう言ってました。
日本語はとても上手です。
刈り始めたら5分もかかりませんでした。
このショウは1日3回
ということは毎日3頭が丸刈りになるわけですが、暖かい季節ならともかく、なんだか羊がかわいそうでした。
刈った毛はあとで自由に触らせてもらえます。内側の白いところはふわふわしていて暖かい。
外側はかなりべたついています。脂っぽい、とでもいいましょうか。
背後の雛壇が気になりますか?
近日中、もう一度記事にしましょう。羊は世界に1000種類以上いるそうです。
そのほんの一部を紹介します、という内容でしたが、羊の姿が品種によっていろいろと変わっていて、とてもおもしろく感じました。
【本土寺】

撮影場所:松戸市北小金駅付近
撮影日:2017.06.18
撮影機器:OLYMPUS E-M5 MarkII
レンズ:OLYMPUS M.30mm F3.5 Macro 以下同じ
「本土寺から大谷口歴史公園、東漸寺へ」というのは、6月18日の San Poの会ウォーキングのキャッチ・フレーズだ。
常磐線北小金駅に13時半に集合し、本土寺(松戸市)に向かった。
たまたま17日の朝日新聞に「本土寺のアジサイ約3万本が見ごろを迎えた」との記事が掲載され、期待された。

正直な感想を言えば、やや期待外れだった。アジサイには最近目が肥えてしまい、立派なアジサイを数多く見ている。3万本とか、アジサイの味わいはそもそも本数の多さから深くなるという性質のものではないだろう。ひょろひょろとした小さな花房のものが多い。どうも剪定の仕方があまりよくないのでは…、との印象を抱いた。

松戸市ではこれだけの数のアジサイを見られるところがほかにない、のかも知れないが、横浜に住んでいる私は、ほかに素晴らしいアジサイの見られるところを鎌倉も含めて数多く知っている。

上はウズアジサイ。これはなかなかよかった。

感心させられたのは境内の広さで、歴史的な位置付けも高いことだ。本土寺は日蓮宗で、日朗を招いて開堂したのが始まりだという。仁王門、五重塔などお堂も立派だ。
この後、廣徳寺、東漸寺にも立ち寄ったが、いずれも広大な境内に巨木が茂り、住民が支えてきた歴史を感じさせられる。また散策途中、古い住宅街を歩くと、広い敷地に庭木などよく手入れされた屋敷が多く、この地方の歴史文化の豊かさを感じた。

San Poの会のウォーキングなので、写真はその場その場で歩きながらいい加減に撮影したもので、必ずしもここぞという見どころは撮影していない。本土寺ではほかのお客さんの写り込みも多く、ブログに載せるわけにはいかない写真ばかりとなってしまった。
【廣徳寺】

廣徳寺というのは、この地方を治めていた高城氏(たかぎし)の菩提寺。曹洞宗の小金領内普及の中心となった寺だ。
当寺は高城胤吉により開山され、小金城主歴代の墓がある。

写真は歴代城主の墓。
高城氏は、下総国葛飾郡小金(現在の千葉県松戸市)を本拠とした国衆で、千葉氏に連なるということらしい。先に菩提寺の廣徳寺にきてしまったが、この後小金城趾の一部「大谷口歴史公園」で解説札などを読み、小金城の広大さに驚かされた。
【大谷口歴史公園】

小金城は東西800m、南北700m におよび、12もの郭を備えて、当時の下総国北西部においては最大規模を誇った城だそうだ。
Wikipedia によると、秀吉の「小田原征伐において高城胤則は北条方の一員として小田原城の籠城に参加、その間に小金城は浅野長政によって包囲されて開城した。このため、胤則は所領を没収されて蒲生氏郷に預けられた。胤則の没後、未亡人の縁戚であった佐久間安政らの計らいで胤則の遺児胤重が江戸幕府の旗本に召しだされた」という。
大谷口歴史公園は小金城趾ということだが、じつはこの公園部分は広大な小金城の北の端のほんの小さな一画の跡に過ぎない。
崩れかけた堀の写真など掲載してもおもしろくないと思われるので省略させていただく。
【東漸寺】

東漸寺は、江戸初期に関東十八檀林(浄土宗の学問所)の1つとされた名刹だそうである。
18日に訪れた中では最大の寺で、美しく整備され、樹木の多い広大な境内に圧倒された。
とくにカエデの樹林は見事なもので、秋にはすばらしい紅葉が楽しめそうだ。

東漸寺はこの日最後の訪問地。すでに雨も降り始めていて、時間をとれなかったが、心洗われる寺というのは、このような佇まいをいうのであろう。紅葉の頃などに訪れ、ゆっくりと過ごしたいお寺である。