吉野山 峯の白雪踏み分けて

2015.02.27(18:00)

141016 吉野 町屋と蔵王権現の提灯1

 喜蔵院と勝手神社を見たあと、ぼくは「吉水神社」(よしみずじんじゃ)に向かった。
 もう、金峯山寺・蔵王権現の提灯が目立つようになっている。

 じつは、とにかく吉野山へ行くんだ、とろくに予習もしないで出掛けたために、ふつうの仏教とは違う修験道(修験宗)のあやしい雰囲気に、ずっと戸惑い続けていた。
 吉水神社が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素の一つとなっていることも後から知った。


141016 吉野 吉水院 の門

 吉水神社のホームページにしたがって、簡単に紹介すると…
 「元は吉水院といい、天武天皇のときに役行者が創建した修験宗の僧坊でした。明治時代の神仏分離のときに、ここが後醍醐天皇の時に南朝の皇居であったことから、吉水神社に改められました」ということらしい。


141016 吉野 後醍醐天皇の玉座

 「後醍醐天皇の玉座」(上の写真)とか「頼朝に追われた源義経と静御前の潜居の間」(下の写真)とかがある。

 展示された宝物の中には後醍醐天皇が使われた硯箱など日常の品々があり、「えー? これ本物」と驚いたのは「蝉丸の琵琶」。朽ちかけていた。これで音を出せたとはどうも信じられない。
 例によって、怪しげな話も残っている。「弁慶の力釘」といって、弁慶が2本の釘を石に親指で押し込んだその石が残っている。その様子を見て頼朝の追っ手が恐れて逃げだしたのだそうだ。
 また、秀吉が吉野で花見の宴を催したとき、ここを本陣としたといい、それに関連した品々も残っている。


141016 吉野 義経潜居の間1


141016 吉野 義経潜居の間2

 こちらの写真では、「義経潜居(隠れ住むこと)の間」の右側に、弁慶控えの間が見えている。

 「後醍醐天皇の玉座」とか「義経の座敷」と「弁慶の控えの間」とか、そんなものを写真撮ってよいのか、と思ったが、とくに「禁止」の表示がない。
 なんとなく遠慮して、二、三枚をそそくさとしか撮らなかったのと、著しく暗いのとで、よい写真にはならなかった。
 ブログ記事にするのにやはり心配なので調べてみた。
 宮司の講演録が見つかった。「吉水神社では写真撮影を禁止していない。これは私の宮司としてのスタンスで、
重要な美術品は国民の財産だと考えている。是非、玉座の写真を撮りに来てください」と書いてある。
 
 この宮司さん、こうした発言の一方で、ヘイトスピーチでも話題となっている。当ブログではこの問題には深入りしないこととする。


141016 吉野 吉水神社の社殿と書院

 上の写真、左側の平屋建てに見えるのが、「後醍醐天皇の玉座」と「義経潜居の間」などがある書院だ。平屋建てに見えるが、この地域の建物は一筋縄ではいかない。
 下の写真を見ていただきたい。


141016 吉野 崖に立つ書院

 見晴らしのよい側へ回れば、このような建て方になっている。


141016 吉野 吉水神社書院から見える蔵王堂

 書院からは、金峯山寺の蔵王堂がこんなに近くに見える。


141016 吉野 書院の庭

 書院の庭の一部。


141016 吉野 吉水神社の多宝塔

 これは吉水神社の多宝塔。


141016 吉野 吉水神社のピラカンサ

 多宝塔の近くのピラカンサがきれいだった。

 朝からずっと歩き回っていたので、ぼくはかなり疲れていた。
 いろいろと物珍しい品々がある一方、怪しげなものもあるので、疲れもあって注意深く見て回ることができない。もう少し身を入れて見学すればよかった、と反省しているが後悔先に立たず。

 ただ、4月に再訪を考えている。下千本、中千本の桜と蔵王堂、吉水院くらいなら、ゆっくり見られるかも知れない。どれだけ混雑するのかは見当も付かないが…。

喜蔵院と勝手神社 〜 吉野山を歩く

2015.02.24(22:45)

141016 吉野 中千本 喜蔵院の外門

 大和三庭園のひとつ 竹林院の「群芳園」を散策したあと、「桜本坊」に立ち寄り、「天武天皇・夢見の桜」など眺めて「修験道」について考えた、というのが、吉野山散策の前回までの記録です。

 そのあと訪れたのは喜蔵院(きぞういん)。
 金峯山寺の子院(塔頭)で、平安時代初期に智証大師円珍が一宇の堂を建てたのが始まりとされる、と吉野山観光協会のページにありました。
 智証大師円珍といえば、ぼくは比叡山で憶えました。つまりは天台宗の僧侶です。
 前回、修験道と密教は山岳修行という面から親和性があるということを勉強しましたが、やはりここで出てきました。


141016 吉野 中千本 喜蔵院の内門


141016 吉野 中千本 喜蔵院の本堂

 喜蔵院の本堂です。


141016 吉野 中千本 勝手神社

 こちらの写真は勝手神社(かつてじんじゃ)。

 大海人皇子(後の天武天皇)が社殿で琴を奏でたところ、天女が舞い降り、袖を振りつつ5回舞ったと伝えられるそうです。
 このような妙な伝説が残るところが、いかにも修験道の吉野山、というところでしょうか。
 社殿が見えませんが平成13年9月27日に不審火で焼失。現在再建復興のための寄付を募っているようです。「ご神体」は吉水神社(この記事の後に参拝します)に仮遷座されているとのこと。


141016 吉野 中千本 通りの様子

 さて、付近の通りを紹介しておきます。


141016 吉野 中千本 土産物店

 こんな様子ですが,道路の片側は崖で、家々は2階もしくは3階が店先や出入り口になっています。それだけ山が急だということです。


141016 吉野 中千本 崖際の建物


141016 吉野 中千本 道路際のクサギ

 崖下から伸びたクサギ。花が咲いています。
 妙なところに電線があると思われるでしょうが、崖下から見れば、ふつうに電線のある高さ、というわけです。


【日常の記録】

 2月24日、スキップの散歩で根岸森林公園へ。スポーツ・ジムでストレッチ&筋力トレーニング。

吉野山「桜本坊」にて修験道を考える…

2015.02.18(16:00)

141016 吉野 桜本坊門

 長い山道を下りてきたが、竹林院から先は、山の上とはいえ寺院、神社、僧坊、店舗などがつづいていた。
 竹林院の庭園「群芳園」を出たあとは「桜本坊」に立ち寄った。

 「桜本坊」(さくらもとぼう)は金峯山修験本宗別格本山だ。本尊は神変大菩薩(役行者)。
 じつをいうと、ぼくは仏教の歴史や信仰のあり方などについてはかなりの本を読んでいるが、その中に「修験本宗」なる宗派を採り上げているものはまったくない。
 とくに下調べもせず、歴代の天皇、上皇が好んで出掛けた吉野山とはどんなところか、と訪れたのだが、そうか「役行者」が出てくるのか。だけどあれは「修験道」とかいう民間信仰ではないのか。仏教と何の関係があるのか、と思いながら見てまわったのである。
 そもそも「役行者」とは伝説の多い人物で、物語上の存在ではないのか、とも疑っていた。


141016 吉野 桜本坊 本堂

 この記事を書こうにも、手持ちの本には修験道のことを書いたものはない。しかたがないので Wikipedia に頼ることにした。以下は、Wikipedia を引用しつつ、まとめたものだ。

 ————「修験道」とは、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の混淆宗教のこと。「修験宗」ともいう。修験道の実践者を修験者または山伏という。--------
 どうやら、吉野山にあって修験宗を取りまとめる総元締めが「金峯山修験本宗」だということのようだ。
 ———— 修験道は、奈良時代に役小角(役行者)が創始したとされるが、役小角は伝説的な人物。修験道は、平安時代のころから盛んに信仰されるようになった。その信仰の源は、仏教伝来以前からの日本土着の神々への信仰(古神道)と、仏教の信仰とを融合させる「神仏習合」の動きの中に求められる。そして、それらの神仏習合の動きと、仏教の一派である密教(天台宗・真言宗)で行われていた山中での修行と、さらに日本古来の山岳信仰とが結びついて、修験道という独自の信仰が成立していった。このように、修験道は、密教との関わりが深かったため、仏教の一派とされることもある。---------
 ということで、どうやら全体像がわかってきた。仏教関係の解説書には、修験道についての記述がされることがない理由も、理解できる。


141016 吉野 桜本坊 夢見の桜

 ———— 修験道は、日本各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって超自然的な能力「験力」を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教である。この山岳修行者のことを「修行して迷妄を払い験徳を得る」ことから修験者、または山に伏して修行する姿から山伏と呼ぶ。---------
———— 修験道は神仏習合の信仰であり、日本の神と仏教の仏(如来・菩薩・明王)がともに祀られる。表現形態として、権現(神仏が仮の姿で現れた神)などの神格や王子(参詣途上で儀礼を行う場所)がある。だが、実際には神道としての側面は希薄で、神仏習合といっても、仏教としての側面が極めて強い。--------

 というようなことだから、天皇が観音に祈ったら天候が晴れたとか、桜が咲いている夢を見たら戦争に勝ったとか…、そんな妙な話がたくさん残っているのも、修験宗の吉野山だから…、ということであろう。

 そこで「桜本坊」だが、境内に「天武天皇 夢見の桜」なるものがある。
 天智天皇から逃れた弟の大海人皇子(後の天武天皇)は、「桜本坊」の前身である日雄(ひのお)離宮にとどまっていた。ある冬の日に桜が咲き誇っている夢を見た皇子が役行者の高弟に訊ねたところ、「桜の花は花の王と云われ,近々皇位に着くよい知らせです」と答えた。その後、壬申の乱に勝利し,皇位に着いた天武天皇は、夢で見た桜の木の場所に寺を建立した。それが「桜本坊」だ、というのである。 

 「夢見の桜」は2枚目の大きいほうではなくて、上の3枚目の写真の枝垂れ桜のことをいうらしい。

 今回の記事を書いて、ぼくはようやく「修験道」という山岳修行を主体とする信仰と、吉野山の関係について、理解できた次第だ。


【日常の記録】

2月15日、横浜美術館協力会設立30周年記念コンサート「名画をフルートにのせて」フルート:吉川久子他。田中望展〜潮つ路/横浜美術館。
2月16日、スポーツ・ジムでストレッチ&筋力トレーニング。『PK』/伊坂幸太郎 読了。
2月17日、スキップの散歩で根岸森林公園へ。確定申告用の諸資料確認、医療費控除明細書点検。

吉野 竹林院の庭園「群芳園」の散策

2015.02.14(18:00)

141016 吉野 竹林院1

 吉野山の散策は、まず奥千本の金峯神社まで行って、細い山道を西行庵へ往復し、義経隠れ堂を見てから、上千本の山道をずっと下ってきたのでした。
 長い長い下りの山道で、ようやく竹林院に辿り着いた、と書きました。

 今晩はその竹林院の記事です。


141016 吉野 竹林院2酔芙蓉

 竹林院の庭園「群芳園」、見てまわりはしたものの、よくわかってないので Wikipedia で調べました。
 「竹林院(ちくりんいん)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある単立の寺院。本尊は不動明王、蔵王権現、役行者、弘法大師。大峯山寺の護持院のひとつである。宿坊竹林院群芳園で知られる」とありました。
 単立の寺院というのは、「何々宗何々派」というのではなくて、修験道系統の、たったひとつそれだけのお寺、ということのようです。
 そして「群芳園」は、「大和三庭園の一つとされる回遊式庭園。千利休の作、細川幽斎の改修と伝わる」だそうです。大和三庭園とは、當麻寺中之坊の「香藕園(こうぐうえん)」、大和郡山「慈光院」の庭園、そしてこの「群芳園」のことだそうです。
 池泉回遊式庭園なので、庭園内を散策した眺めをお楽しみください。


141026 吉野 竹林院3 ツワブキと灯篭


141026 吉野 竹林院4 ツワブキと灯篭


141016 吉野 竹林院5


141016 吉野 竹林院6


141016 吉野 竹林院7


141016 吉野 竹林院8 蔵王堂を臨む

 上の写真では、はるか山の上から見下ろしたあのお堂の屋根がかなり近くに見えたので、期待を膨らませました。それでも105mm の望遠で撮った写真ですから、竹林院からまだかなり歩かねばならないのですが…。


141016 吉野 竹林院9 紅葉と遠望

 池泉回遊式庭園ですから、庭園内には築山など小高いところが作ってあり、上へ登ればよい眺めです。


141016 吉野 竹林院10 紅葉と景色


141016 吉野 竹林院11池見下ろし


141026 吉野 竹林院12 ツワブキと灯篭3

 ところで、この記事を書いていて呆然としたのは、「大和三庭園」に関する記述に気が付いたことです。
 ぼくは2012年10月に當麻寺を訪れているのですが、なんと「中之坊」を見落としているらしい。当然のことながら「香藕園」も見ていない。不覚でした。また大和方面へ出かけなくてはいけません。
 また、大和郡山へは昨年10月に出かけていますが、そのときは歩いて行ける範囲のみを見てまわりました。
 「慈光院」はバスで行かねばならないので行きませんでした。もう一度當麻寺へ行くときは、地理的に遠くはないので、「慈光院」も訪ねたいものです。

上千本の山道を下る

2015.02.10(20:20)

141016 眼下遠くに見える蔵王堂

 「吉野水分神社」を出て、私はふたたび長い山道を下り始めた。
 上の写真のような景色が見える。右から伸びた近景の木の枝の先の辺りに、遠く大きなお堂の屋根が見える。
 ずいぶんと大きく立派なので、どうしても目を惹かれる。
 「あれは何だろう? この先、自分はあんなに遠くまで下っていくのだろうか?」と思う。
 このときは、あの屋根こそが「金峯山寺蔵王堂」なのだ、ということを私はまだ知らなかった。


141016 吉野 金峯神社からの地図

 一度掲載した地図を下にもう一度載せる。現在地の位置は無視していただきたい。現在地の表示から赤い道に沿って現在地を下のほうへ歩いて行く途中に「吉野水分神社」の文字が見える。まだそこを出たばかりだ。
 「金峯山寺蔵王堂」はどこにあるかというと、ずっと左下のほうだ。

 吉野山では、通常「吉野水分神社」より山奥のほうを「奥千本」という。そこから下っていくと「上千本」「中千本」「下千本」である。まだまだ歩かねばならない。


141016 吉野 人丸塚

 「人丸塚」とは何か? 石仏が風化したものらしい、ということしかわかっていないらしい。
 この石に願を掛けると子どもに恵まれる、と言われているそうだ。
 このように、わけのわからない塚などが、あちらこちらにある。「○○寺跡」などの標識もある。


141016 吉野 花矢倉からの景色

 ここ「花矢倉」は佐藤忠信が義経を守り、頼朝の追っ手を討ち取ったところだそうだが、いまは桜の名所として人気らしい。季節は秋だが、上の写真のように景色はすばらしい。


141016 吉野 雨師観音堂跡の社

 よくわからない名所はいろいろあって、紹介していると切りがないが、ここは雰囲気のある写真が撮れたので紹介する。
 下に説明板を示すが、「後醍醐天皇が観音堂で歌を詠んだら急に空が晴れて天候がよくなった。その観音堂の跡に社が建てられています」ということなのである。
 天皇や高名な坊さんが何々をした場所、というのは各地にあるが、歌が残っているのだから伝承も具体的で、いかにもそれらしい気がしてくる。


141016 後醍醐天皇の故事説明板


141016 吉野 路傍の花

 長い山道をただひたすら下っていくのだから、美しい花などを見つければ嬉しくなる。


141016 吉野 コムラサキか

 朝買った柿の葉寿司の弁当は、金峯神社を出る前に食べてしまったと記憶しているので、時刻は13時〜14時頃だろうか、私は「竹林院」に辿り着いた。
 ようやく道に沿って建物が建ち並ぶ人里に戻ってきたのである。
 以降は、また次の機会に。

吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)

2015.02.09(18:00)

141016 吉野水分神社 鳥居

 世界遺産について、もう一度ここへ書こう。
 「紀伊山地の霊場と参詣道」の全体が世界遺産に指定されている。その構成要素として登録されているのが、吉野山、金峯神社(紹介済み)、吉野水分神社、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺だ。
 そして、ぼくは金峯神社を拠点に西行庵まで行き帰りし、金峯神社近くの義経隠れ堂(隠れ塔)を見た上で、長い下り道を吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)までくだってきたところだ。
 上の写真の右側の道をずっと下りてくると、写真の左側の鳥居のところに出てくるのだ。


141016 吉野水分神社 楼門と中庭と拝殿

 水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とし、ほかにいくつかの神様たちを配祀している、という。創建は不明で、続日本紀に698年の記録が残っているらしい。
 鳥居から階段を登ったところに楼門があり、楼門をくぐると左側に長く奥へつづく拝殿があり、右側に長く奥へつづく本殿がある。
 楼門の正面が幣殿(参詣者が幣帛をささげる社殿)だ。
 長細い中庭(そうよんでいいのかどうかわからないが)を囲むように、建物が細長い箱形になっている。

 上の写真は、中庭の中央、やや本殿寄りから楼門と拝殿を見ている。


141016 吉野水分神社3 楼門と拝殿

 もう少し拝殿寄りから楼門の方角を見つつ、カメラを拝殿の方へ向けると、上の写真のように見える。

 ちょうど昼過ぎで、四方を建物に囲われた薄暗い中で、どこかの社殿の隅でカメラを構えるしかない。
 上方が明るいので、どこを向いても逆光気味になり、観光案内に載せられているような見やすい写真はとても撮ることができない。なおかつ、狭い中で少しでも全体がわかるように撮るには、レンズ歪みを承知の上で広角で撮る必要がある。
 これでもわかりにくい場合は、もうご容赦願うしかない。


141016 吉野水分神社 拝殿から中庭

 上は、拝殿と幣殿の角から、中庭を見ている。本殿は木の向こう側だ。


141016 吉野水分神社 拝殿から本殿を臨む

 上の写真は、拝殿のやや楼門寄りから本殿を見ている。
 本殿には三つの破風が認められる。本殿の右殿(向かって左)に木造玉依姫命(たまよりひめのみこと)坐像という国宝があるらしい。ご神体ということで、非公開。展覧会などに出品されたこともないそうだ。


141016 吉野水分神社 本殿を見上げる

 本殿を見上げている。
 吉野水分神社は、Wikipediaによれば、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神として信仰を集めている、とのこと。


141016 吉野水分神社 外側から見上げる

 最後に鳥居を出てからもう一度社殿の一部を見上げてみる。
 すごい建て方をしている、と驚くが、じつはこれから道なりにずっと下っていくと、やがて店舗や旅館など並んでいたりするが、それらの家はいずれも急な崖際にあり、どこも見えているのは2階や3階であって、崖にへばりつくような建て方をされているのだった。

義経隠れ堂

2015.02.03(23:00)

141016 吉野 義経隠れ堂遠景

 西行庵から金峯神社へまで帰ってきたので、今度は山道を少し下り、「義経隠れ堂」へ行ってみることにしました。5分足らずのところです。


141016 吉野 義経隠れ堂1

 1185年、頼朝の追っ手から逃れるため、義経、弁慶、佐藤忠信らの一行は吉野山に隠れた、とのことです。その義経らが隠れたお堂、ということです。


141016 吉野 義経隠れ堂2

 吉野なる 深山の奥のかくれ塔 本来空のすみかなりけり
 と詠んだのは、山岳修行の行者だとか…。


141016 吉野 義経隠れ堂近くの見晴台1

 隠れ堂から崖を少し下ったところに、見晴台らしきものが見えるので、行ってみました。


義経隠れ堂近くの見晴台2


141016 吉野 隠れ堂見晴台からの景色1

 見晴台からの景色です。


141016 吉野 隠れ同見晴台からの景色2


141016 吉野 金峯神社からの地図

 さて、もう一度金峯神社にもどってきました。
 ここからいよいよ長い下りのハイキングです。地図にある吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)を目指します。
 吉野水分神社も、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素として登録されています。


141016 吉野 木々を見上げる1

 よく晴れて、ハイキングはとてもすがすがしくよい気分です。


141016 吉野 木々を見上げる2


141016 吉野 吉野水分神社までの景色

 こんな景色を眺めながら、歩きました。

願わくは花の下にて…

2015.02.02(22:45)

141016 吉野山 西行庵への危険な道

 吉野山の金峯神社から山道を登り下りしつつ歩いています。
 やがて木の間から深い谷が見えてきて、その谷に沿って少しずつ下る道になるのですが、おそろしく深く、急な崖に沿って歩いていることに気が付きます。
 上の写真、左側が崖、道幅は1メートルもなく、どんどん細くなります。右側に見えているのは鉄パイプが2本通っているのです。
 木の枝とか、丸い石などが転がっていて、うかつに足を乗り上げて滑れば左の谷に落ちてしまいます。ものすごく急で、引っ掛かることなど到底望めません。
 桜の季節に西行庵への行き帰りが指定されている理由がよくわかりました。
 すれ違うことそのものが危険だからです。誰だって谷側を通りたくはないでしょう。
 「おれはインディ・ジョーンズではないぞ」と思いましたが、ここまできて引き返すわけにもいきません。
 カメラはバックパックにしまって両手を空け、姿勢を低くしてすぐに鉄パイプを掴むことができるようにしながら、慎重に足を進めました。


141016 吉野山 西行庵

 谷を10分ほど下ったところが開けていて、平たいスペースができていました。
 西行庵です。
 さきほど谷を数人の一行が先へ進んでいく様子が見えましたが、いまは誰もいません。


141016 吉野山 西行庵の屋根


141016 吉野山 西行像1

 ぼくが西行のことを詳しく知ったのは吉川英治さんの『新・平家物語』でした。
 俗名を佐藤義清という武士の出で、23歳で家族を捨てて出家。日本各地を旅し、気に入ったところでは庵を結ぶなどして、生涯を漂泊の旅に過ごし、多くの和歌を残しました。


141016 吉野山 西行像2

 ぼくと同世代には西行に惹かれる人も多いように感じます。漠然と、人生は旅のようなものと感じ、やがては土に帰るのみ、というような気分を抱いているからでしょうか。


141016 吉野山 西行庵の谷の対面の山

 西行庵の前から、谷を挟んで対面の山を見ています。
 それにしても、とんでもない山奥の、さらに谷を下った途中の隠れ家のような場所です。ほんとうにこんなところで一人で暮らしたのか、と驚かされます。
 有名な例の歌があるので、ここも桜の季節にはさぞ美しいのだろう、と思うのでした。

 願わくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ


141016 吉野山 西行庵周辺の木々1

 前の記事の地図にあるように、帰路は往路とは違う道を通って帰ります。


141016 吉野山 苔清水

 「苔清水」です。

 とくとくと 落つる岩間の 苔清水 くみほすほどもなき 住居かな


141016 吉野山 西行庵からの帰路

 帰り路は危険を感じるようなところはありませんでした。
 眺めを楽しみながら金峯神社まで歩きました。

み吉野の山の秋風

2015.02.01(22:20)

141016 吉野山 吉野山ロープウエイ

 2014年10月16日、前日大和郡山市内を歩いて、橿原神宮前のホテルに泊まっていたぼくは、朝早くホテルを出て、近鉄吉野線で終点の吉野駅へ向かった。昼食は橿原神宮駅で弁当を買っておき、バックパックに替えレンズなどを詰めて、カメラを手に持っている。
 吉野口から歩いて吉野千本口からロープウェイで一気に吉野山まで登る。歩いて20分くらいとはいうが、この日は一日中歩き回る予定なので最初からハードな登りは避けたいと思っていた。
 ロープウェイを下りたところのバス亭から、奥千本口までバスに乗る。午前中3本、午後に3本しかバスはない。
 奥千本口を下りて少し歩くとコンクリートの鳥居があり、登りの簡易舗装された道が見えるが、かなりの直登を強いられる。「いきなり、これか!」と思う。


141016 吉野山 金峯神社参道からの眺め

 しかし、上のほうは眺めがよい。
 平家物語を読んだことがあると、吉野山に憧れる。吉野の桜は和歌に詠まれ、諸天皇が行幸を繰り返し、義経は吉野に隠れ、西行が庵を結んだ。だから来てみたかったのだ。


141016 吉野山 金峯神社正面1

 金峯神社(きんぷじんじゃ)が見えてきた。
 吉野山は少しややこしい。景色がよくて立派なのは蔵王道のある金峯山(きんぷせんじ)寺であり、こちらは金峯神社なのだ。これでも世界遺産の一部である。「紀伊山地の霊場と参詣道」の全体が世界遺産に指定されていて、その構成要素として登録されている。構成要素として登録されているのは吉野山、吉野水分神社、金峯神社(ここ)、金峯山寺、吉水神社、大峰山寺だ。
 金峯神社だけを見るならば、これがなぜ世界遺産なのか、と不思議に思う。


141016 吉野山 金峯神社拝殿見上げ


141016 吉野山 金峯神社拝殿内部

 祀られているのは吉野山の地主神である金山毘古命(かなやまひこのみこと)だそうだ。
 拝殿の奥に本堂はなく、いきなり山となっている。


141016 吉野山 金峯神社拝殿前からの眺め

 拝殿前からの眺めだ。


141016 吉野山 西行庵への地図


 これから地図にしたがって西行庵へ行くつもりだが、桜の季節は道順が指定されている。逆に行ってはいけないらしい。どういう意味なのか、それが気になる。いまは桜の季節ではないが、地図に従うのが無難であろうと思った。

141016 吉野山 金峯神社からの登り道

 行き20分、帰り20分などと書いてあるが、見ればかなりの勾配の登り道が続いている。


141016 吉野山 西行案への分岐

 こんな道はどうということはないが、歩いているのはぼくだけだ。
 分かれ道にきた。ここを左へ行くらしい。

 次回へ続くが、ここから西行庵へと向かう道には、ちょっと驚かされることになった。

吉野山

  1. 吉野山 峯の白雪踏み分けて(02/27)
  2. 喜蔵院と勝手神社 〜 吉野山を歩く(02/24)
  3. 吉野山「桜本坊」にて修験道を考える…(02/18)
  4. 吉野 竹林院の庭園「群芳園」の散策(02/14)
  5. 上千本の山道を下る(02/10)
  6. 吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)(02/09)
  7. 義経隠れ堂(02/03)
  8. 願わくは花の下にて…(02/02)
  9. み吉野の山の秋風(02/01)