箱本館「紺屋」の藍染め体験施設

2014.11.18(18:00)

141015 郡山 箱本館紺屋の藍染め体験施設1

 10月15日の大和郡山、藍染めの博物館である箱本館「紺屋」については、体験施設部分の写真を前回紹介していませんでした。
 雰囲気を感じ取ってください。とくに解説はありません。


141015 郡山 箱本館紺屋の藍染め体験施設2


141015 郡山 箱本館紺屋の藍染め体験施設3


141015 郡山 箱本館紺屋の藍染め体験施設4


141015 郡山 箱本館紺屋の藍染め体験施設5


141015 郡山 箱本館紺屋の藍染め体験施設6


141015 郡山 箱本館紺屋の藍染め体験施設7

箱本館「紺屋」

2014.11.15(18:00)

141015 郡山 箱本館紺屋外観

 10月15日、近鉄郡山駅から徒歩で約10分、箱本館「紺屋」を訪れました。

 「箱本」とは豊臣秀長の頃から始まった自治組織のことです。
 近世の都市においては、町屋敷地にかかる地子(農村の年貢に相当する)を領主権力が免除することがありました。城下町・宿場町などでは商工業振興のための町人誘致が行われ、地子免除が行われたと言うことのようです。
 地子免除の特権を受けたのは十三の町で、特権を示す文書は朱印箱という箱(現物が残っている)に収め、封印して1ヶ月毎に十三町で持ち回っていました。当たり月の町を箱本と言い、治安、消化、伝馬などの問題を自分たちで協議し解決していたということです。ほかにも、藩からの通達事項の伝達、税の徴収、訴訟や株仲間の統制、南都祭礼への奉仕などの民政を担当していました。


141015 郡山 箱本館紺屋内部全景

 そうした町の中に染め物(藍染め)を職業とする人たちが集まった職人町として「紺屋町」があり、豊臣秀長の時代に町ができたと見られているそうです。
 江戸時代に大きく発展しましたが、明治維新後は紺屋を職業とする家が少なくなり、現在藍染めの博物館となっている「奥野家」は、紺屋の技術を現代に伝えてきたのだ、ということのようです。


141015 郡山 紺屋の座敷への上がり口


141015 郡山 紺屋座敷の藍染め製品

 写真の枚数が多くなりますが、それはやはり藍染めの色がとてもきれいで、安らぎと美しさの双方を感じるからです。


141015 郡山 藍瓶全体像


141015 郡山 紺屋藍瓶アップ

 箱本の箱 付近の展示物を除いては撮影可となっていました。


141015 郡山 藍染め展示1


141015 郡山 藍染め展示2


141015 郡山 藍染め展示3


141015 郡山 紺屋中庭に面した縁側


141015 郡山 紺屋の内部の金魚飾り

 余談になりますが、郡山のもうひとつの名物「金魚」に関しても多少の展示がありました。


141015 郡山 金魚模様の座敷机

 螺鈿細工でしょうか、金魚の模様が美しい。


141015 郡山 紺屋中国金魚展示文

 上は読んでみて「不気味な話だなあ」とびっくりしたものですから、写真をそのまま出しておきます。

 なお、「奥野家」の一部では、藍染めの体験ができるようになっていまして、その施設の様子も撮影してありますが、枚数が多くなりすますので、それはまた次回に。

大和郡山で出会った風景

2014.11.11(18:00)

141015 養魚池の景色ワイド全景

 10月15日、近鉄郡山線の近鉄郡山駅に降り立ちました。
 市内を少し巡った後、南の方へ歩くと、上の写真のような景色が広がっています。
 プールではありませんし、田んぼでもありません。これは養魚池です。たいしておもしろい景色でもありませんが、こんな光景を見るのは初めてでした。


141015 養魚池とセイタカアワダチソウ

 江戸時代(1724年)、柳澤吉里が甲斐から郡山に入り、金魚を持ち込みました。そして江戸末期には、藩の下級武士の内職として金魚の殖産が奨励されたそうです。郡山の金魚の生産量は日本全国の半分を占めるまでになったそうですが、現在はどうなのでしょうか。
 昭和40年代くらいは、子どものいる家はどこの家でも金魚を飼っているというくらい流行りましたが、いまはあまり見ないような気がします。


141015 養魚池と金魚の資料館

 写真にも写っているのですが、郡山金魚資料館というのがあります(左端)。


【郡山金魚資料館の琉金】

141015 資料館の琉金

 まあ、それなりに、金魚の品種改良の系図表みたいなものもあるのですが、水槽は汚れていて中が見にくいし、めずらしい金魚だからこれは見てみたい、と思う品種に限って水槽の中が空(から)。そんな水槽がたくさんあって、ちょっといい加減。


【郡山金魚資料館のオランダシシガシラ】

141015 資料館のオランダシシガシラ

 もう少し観光に力を入れてもいいんじゃないか、とは思いますが、経営もたいへんなのだろうな、と察します。


【養魚池の向こうは古墳】

141015 養魚池と新木山古墳

 写真に木がこんもりとしたところが写っていますが、新木山古墳(にきやまこふん)というようです。
 その近くに「大納言塚」というのがありまして、大納言というのは豊臣秀長のこと。Wikipedia によれば「大和・紀伊・和泉の3ヶ国に河内国の一部を加え、約110余万石の大大名」。なかなかの名君だったようです。
 しかし、今回の記事は金魚の話。豊臣秀長については、いずれまた紹介いたします。

 つまらない写真ばかりだと言われるのがいやなので、取って置きの写真を出します。


【市内で見つけた電話ボックス】

141015 電話ボックスと張り子の金魚

 この写真なら、どうだ?!
 隣の空きスペースでは、祭りに使うのでしょうか、金魚の張り子を作っていました。


141015 金魚の電話ボックス全景

 最後にまとめです。 
 大和郡山というところは、郡山城の城下町。筒井順慶のあと、豊臣秀長がよい政治をしたらしいです。
 市内に藍染めの資料館がありまして、見学すると豊臣秀長が善政を行っていたことがわかります。
 そして江戸時代は1724年から柳澤吉里。柳澤吉里というのは柳澤吉保の長男であり、名君だそうです。吉里が大和郡山藩の初代藩主となって、以降郡山は廃藩置県が行われるまで柳澤家の支配下にありました。

 郡山城跡も訪ねましたので、いずれまた紹介いたします。


【日常の記録】

11月9日、草むしり。スポーツ・ジムでストレッチ&筋力トレーニング。
11月10日、料理教室(えびときのこのグラタン、かぶとベーコンのスープ、りんごとクレソンのサラダ)。草むしり。証券会社担当者と面談。

郡山

  1. 箱本館「紺屋」の藍染め体験施設(11/18)
  2. 箱本館「紺屋」(11/15)
  3. 大和郡山で出会った風景(11/11)