
藤原京の跡地にできたコスモス畠のコスモス、その第2回です。
背景の耳成山は、ここは藤原京です、というサインのようなもの。
9時過ぎに到着してから少しずつ時間が経過し、ぼくはすっかり腰を据えてしまったので、花の中に埋もれたような写真が多くなっていきました。

発掘調査の終わったところに柱を立てて目印にしているのでしょうか。




コスモス畠の中に座り込んで見上げて撮る写真、花に親しみが出てくるし、花に囲まれているという実感が出てくるし、いいと思いませんか。




【日常の記録】
11月3日、スキップの散歩で根岸森林公園へ。写真整理。買い物。
11月4日、草むしり。アイロンかけなど家事。原稿書き。スポーツ・ジムでストレッチ&筋力トレーニング。
11月5日、チューリッヒ美術館展/国立新美術館。土門拳 ふたつの視点 第1部「こどもたち」/FUJIFI
ILM SQUARE、『火星の人』(アンディ・ウィアー)読了。夕刻 草むしり。

10月19日、奈良県南部橿原市を北に向かって歩いていました。
あれに見えるは「耳成山」。ということは、この付近は持統天皇の頃につくられた「藤原京」の跡地です。
写真の上下のまん中あたり、横にビンク色の帯が伸びているところはコスモス畠で、時刻は9時3分です。
今日は横浜へ帰る日ですが、午前中はこのコスモス畠で、花に囲まれてのんびりと過ごしたい、と思ってやってきたのです。

まずは耳成山を背景に入れて一枚を。
花に囲まれて過ごす時間が長くなりますと、次第に気分がよくなってきて、やがて地面に腰を下ろしてしまうようになります。
最初は上のような写真が多いのですが、やがて視線が低くなり、文字通り花の中に埋もれたような視点から撮影した写真が多くなります。
概ね、撮影した時刻順に並べていきたい、と思います。







このシリーズは、あともう一回続けます。

2010年の10月から奈良や京都などをめぐり神社仏閣の旧跡を訪ねる旅を始めた。
ただ、本尊などの仏像は信仰の対象であるから、カメラでパチパチと気軽に写真を撮られることは好まれず、ほとんどの寺では「撮影禁止」となっている。
ひとつの旅行でたくさんの仏像を眺めることになるから、仏様の姿を拝んでも片っ端から忘れてしまうだろう、とはじめは思っていた。
ところが、仏像の写真集というのはたくさんあって、後からそれらをめくっていると、これは見たことがある、というふうに、案外と「画像記憶」はしっかりとしている。
人の記憶というのは大したもので、数多く仏像を見れば見るほど感性は鋭敏になり、しっかりと記憶に残るようになるようだ。
一度見たものは確かに記憶に残っていると、ぼくは自信を持つようになった。
歴史に関する記事や本などぼくはけっこうたくさんのものを読む。平城京ができる前の時代のことにも興味が出て、いろいろと学んでいるうち、飛鳥寺の飛鳥大仏の話が出てきた。
ところが、飛鳥大仏がどんな姿の仏像であるのか、さっぱり思い出せない。飛鳥寺は確かに訪れたことがあるのに、飛鳥大仏の姿を拝んだ記憶がない。
そういえば、と思い出す。近くに蘇我入鹿の首塚があると聞いて捜したのに見つからなかった。
2010年のあの頃、まだ心臓の不整脈の具合が不安定で、飛鳥駅から自転車を借りたのだが、途中不整脈が起きて、沈静化するのに時間が掛かった。道がわかりにくく、貸し自転車屋のモデルコースをこなすのに一生懸命だった。中には、「なんとなく適当に見てまわっただけ」というポイントも出てくる。飛鳥寺はどうもそんな感じだったようだ。
そう思うとずっと悔いが残る。
その後いろいろと学習してきた新たな目で、明日香村をまわってみたい、とくに飛鳥寺を訪れてみたい、と思っていた。
トップの写真は2010年10月4日に撮影した飛鳥寺で、お堂などをまともに撮影している写真はこの一枚のみだ。あまりの少なさが、しっかり気を入れて見学していなかった自分の心理をあらわしているような気がする。

10月17日、社会科見学らしい小学生がたくさん付近を歩いている。
すれ違えば「こんにちは」と挨拶してくる。こちらも挨拶を返す。東京や横浜ではほとんどないことなので「ああ、自分はいま明日香村にいるんだ」と思う。
友だちに神社の参拝方法を教えている子どもの声がきこえてきたり、この付近の小学生はさすがによく勉強していると驚いたりもする。

飛鳥寺(あすかでら)は奈良県高市郡明日香村にある蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺の後身である。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基は蘇我馬子だ。
現在の建物は江戸時代に再建した講堂(元金堂)であり、元の法興寺または元興寺は平城京に移転し、上の写真の元 中金堂のみが「安居院」として残り、ここは通称「飛鳥寺」と呼ばれている。

写真は境内に残る法興寺時代の伽藍の礎石だ。
当時の法興寺は、現在の飛鳥寺周辺の田んぼを含む広大な敷地に建てられていた大寺院だったのである。

本尊の釈迦如来(通称飛鳥大仏)は飛鳥寺に残っている。鞍作鳥(止利仏師)作の本尊像だが、損傷が後の時代に修復されていて、頭部と、身体のごく一部のみがオリジナルだと言われている。

写真は撮っていただいてかまいません、とのことだが、2010年10月には一枚も撮影していなかったのだから、そもそも2010年には見ていなかったのかも知れない。
「右側と左側では表情が異なるので、必ず両側から撮影してください」などと注文を付けられる。

ただしフラッシュは禁止だ。
じつは、ぼくのカメラにはフラッシュは内蔵されていない。お堂の中などでもフラッシュなしで撮影可能なカメラを選んだのは、こういうときのためである。

中大兄皇子(後の天智天皇)・中臣鎌足らのいわゆる乙巳の変のクーデターによって、蘇我入鹿は伐られ、雨が降る外に遺体を打ち捨てられたという。
その首塚が現・飛鳥寺の西側の田んぼの中にある。
こんなに目立つものを、2010年には見つけられなかったというのだから、この飛鳥寺については、当時のぼくは妙に運が悪かったか、ぼんやりしていたか…。
ともかく、今回再訪して、ようやく気持ちが落ち着いた。
【日常の記録】
10月22日、原稿書き。ショスタコーヴィチなどを聴いて過ごす。
10月23日、スキップの散歩で根岸森林公園へ。午後、スポーツ・ジムでストレッチ&筋力トレーニング。ノルウェーTV映画『私立探偵ヴァルグ--死の代償』
10月24日、スキップの散歩で根岸森林公園へ。横浜バロック室内合奏団定期演奏会(ボッケリーニ:ギター五重奏曲、ヴィヴァルディ: ヴァイオリン協奏曲集『ラ・ストラヴァガンツァ』より第1〜第6曲など)
10月25日、San Poの会「三浦氏の史跡を訪ねる」。北久里浜駅→満昌寺など三浦氏ゆかりの寺→衣笠城趾(三浦氏の居城)→衣笠山公園→佐野天然温泉処 のぼり湯→横須賀中央駅。アップダウンが厳しく大汗をかきました。