「シャーリ修道院」の城館

2014.07.14(17:00)

140616 Chaalis 城館建物正面側

 6月16日に訪れた「シャーリ修道院」の記事の最終回です。

 「シャーリ修道院」はフランス革命後、教会と回廊のかなりの部分が破壊され、残されたのは古典主義様式の巨大な館と古い礼拝堂だけになりました。
 持ち主は次々と移り変わり、Madame de Vatry が貴族風の大邸宅(城館、chateau)にしようとします。
 この人も亡くなって、1902年、銀行家エドゥアール・アンドレの寡婦であるネリー・ジャックマールが不動産を購入しました。
 この女性はかなりのコレクターで、世界各国の美術品を買い集め、パリの館(現ジャック・マール・アンドレ美術館)も手狭になって、シャーリ修道院の不動産を購入し、城館(貴族風の大邸宅)部分に陳列していたのです。

 上の写真はその城館(大邸宅)の正面側です。


140616 Chaalis 美術館の建物1

 裏側のほうへまわって撮影しています。

 ネリー・ジャックマールが亡くなるときにシャーリ修道院の資産をすべて INSTITUT DE FRANCE に寄贈すると遺言したので、大邸宅は現在は美術館として運営され、一般に公開されています。


140616 Chaalis 美術館の建物全景2

 赤い垂れ幕があるのが美術館の入り口です。

 内部が撮影禁止となっているのが残念ですが、美術館といっても単に絵が並べられているというのではなくて、たとえば2階部分は個室が当時のまま(お屋敷の貴族が生活していた頃の様子のままに)に並んでいて、各部屋にすばらしい家具や調度品が据え付けられ、壁はタペストリーや絵画で飾られています。
 それぞれの個室には必ず、メイドまたは従者の部屋が付属しています。そのままに残っています。
 その贅を尽くした様子にはただただびっくりさせられます。
 銀行家ジャック・アンドレの寡婦とのことですが、いったい自由にできる資金がどれほどであったのかと、驚かされます。


140616 Chaalis 美術館入り口


140616 Chaalis 美術館外壁の胸像1


140616 Chaalis 美術館外壁の胸像2


140616 Chaalis 城館前の庭園1

 2階から広大な庭園が眺められます。
 当初はイタリア式庭園で、後にフランス式古典庭園となり、さらに後にイギリス風の趣味がくわえられたそうですが、基本は整然とした「平面幾何学式庭園」のようです。
 広い庭園の様子をぼくは外で撮っていますけれど、あらためて理解したのは、「平面幾何学式庭園」というのは、大金持ちの王侯貴族が大邸宅の2階(といっても1階天井はとても高いので現代ならビルの3、4階)の窓から眺めたときに、その美しさを実感できるように造られている、ということでした。
 王侯貴族の権力誇示の趣味を満足させるように意図され、造られた庭園だ、ということです。


140616 Chaalis 城館前の庭園2

 こうしたフランスの庭園はイギリスにも採用されますがも、イギリスでは産業革命が起きて中産階級の力が強くなり、庭園の様式はまた別のイギリス独特の流行で変化していきます。そういうところを味わえるのも、今回の旅行の楽しみのひとつでした。


140616 Chaalis 城館前の庭園3


140616 Chaalis オレンジ貯蔵施設

 敷地内にはほかにもいろいろな建物があり、上の写真は、フランス語版Wikipedia の図面で調べたところでは、オレンジの貯蔵施設ということのようです。

 さて、このあとサンリスという町で食事をして、それから近くの「シャンティイ城」というところへいくのですが、シャーリ修道院の城館など、まだまだ子どもの遊びのようなものだった、と圧倒されることになりました。

シャーリ修道院の廃墟

2014.07.11(17:00)

【シャーリ修道院の廃墟全景】

140616 Caaalis 修道院の廃墟全景

 シャーリ修道院の廃墟の全景です。
 左奥に現存する中世の建物「礼拝堂」が見えています。

 「シャーリ修道院」については、フランス語版の Wikipedia に公園の図面が掲載されていて、現存している建物部分が黒く塗りつぶされ、存在していた建物と、そのうち現在する建物部分とが、対比できるようになっています。
 6月16日時点では、この遺跡はどういう部分だろうかと単に想像していたに過ぎませんが、いまはフランス語版 Wikipedia のおかげである程度わかるようになりました。


【身廊の礎石跡】

140616 Chaalis 身廊の礎石跡

 キリスト教建築においては、ロマネスク様式、ゴシック様式ともに、教会の入り口を入ると正面に主祭壇があり、その主祭壇に向かって、長い中央通路が続きます。その部分を「身廊」と呼びます。その「身廊」部分はすっかり破壊されていて礎石しか残っていないようです。


【翼廊の崩れた壁から城館を臨む】

140616 Chaalis 廃墟翼廊の崩れた壁から城館を臨む

 入り口から「身廊」を歩ききると、十字型に横に直角に張り出した「翼廊」があり、左右の「翼廊」を横に見て真っ直ぐ行った奥に「主祭壇」があります。
 トップの廃墟全景写真のうち、背の高い部分は「主祭壇」、右へ張り出しているのは「翼廊」の壁の残っている部分です。

 上の写真では、その翼廊の崩れた壁の跡から「城館」を見ています。


140616 Chaalis 翼廊付近から身廊の礎石跡方向を臨む

 この写真では、反対側の「翼廊」付近に立って、「身廊」の礎石方向を眺めています。


140616 Chaalis 翼廊跡から礼拝堂を臨む

 この写真では、「翼廊」跡から「礼拝堂」を眺めています。


【主祭壇の表側】

140616 Chaalis 廃墟主祭壇部分表側全景

 「主祭壇」の全体を、建物の表側から撮影しました。


140616 Chaalis 廃墟主祭壇表側の部分

 主祭壇の建物表側の一部分です。


【主祭壇内側】

140616 Chaalis 廃墟主祭壇内側の一部1

 廃墟の中へ入り、「主祭壇」を内側から見上げています。


140616 Chaalis 主祭壇内側一部2


140616 Chaalis 主祭壇内側一部3


140616 Chaalis 主祭壇左と右翼廊跡の奥に見える礼拝堂

 上の写真は、左側が「主祭壇」の一部で、その右が内側から主祭壇に向かって右側の「翼廊」跡。そこから「礼拝堂」が見えています。

 フランス革命においても、明治維新と同様に、文化財の破壊が起きました。革命で数多くの修道院が破壊されたそうです。当時の建物で現存しているのはすでに紹介した「礼拝堂」だけ、ということです。

 余談ですが、全般的にフランスは管理がおおらかです。
 ぼくは自由に廃墟へ出入りしてカメラで撮影していますが、日本であれば、「廃墟が崩れて事故が起きたら管理責任を問われる」とか、「廃墟の石などの文化財を持ち出されてはいけない」とか、そういう考え方が先に立ち、厳重に管理されて、一般の観光客はこれほど簡単に出たり入ったりできなくなっているでしょう。


【日常の記録】

 7月10日、佐々木譲の北海道警シリーズ第6巻『人質』を読了。規模の大きな物語ではないですが、ストーリー・テリングの巧みさと、泣かせ所を心得た描き方は秀逸です。

シャーリ修道院のバラ園(2)

2014.07.09(22:30)

140616 Chaalis 遠景と近景の紅いバラ

 シャーリ修道院のバラ園の続きです。
 いろいろな説明は昨晩の記事に書きました。
 今晩は写真だけといたします。


140616 Chaalis バラ園の門内側縦


140616 Chaalis 赤とピンクのバラ近景と門


140616 Chaalis ブルーのクレマチスと白のバラ


140616 Chaalis バラ園右手前隅一画


140616 Chaalis ピンク一重のバラのカーブした並び


140616 Chaalis バラ園右半分


140616 Chaalis 赤と白のバラ縦


140616 Chaalis 赤とピンクのバラと門縦


140616 Ghaalis 水盆とピンク一重のバラ


 なお、7月7日の記事の「礼拝堂のフレスコ画」の写真をご覧いただいていない方は、ぜひ一度ご覧くださいませ。

シャーリ修道院のバラ園

2014.07.08(21:30)

140616 Chaalis バラ園の門表から

 昨日の記事の礼拝堂、修道院の廃墟等はローネッテ川(the river Launette)に囲まれた造りとなっていて、これらレイアウトが決められたのは16世紀半ばのこと。例の イッポーリト・デステ枢機卿が指示したことのようです。
 昨日の記事の「修道院長の礼拝堂」の背後に「庭」があります。
 デステ枢機卿はこの庭の外観として、狭間のある壁と、腕を広げるかのような門を造らせました。内部はイタリア式庭園でした。


140616 Chaalis バラ園の門裏から

 じつはイタリア式庭園はすでにひとつ紹介しています。ジェルブロワの村にあった「シダネルの庭」です。
 イタリアの土地柄に思いを巡らせばなるほどと思うのですが、イタリア式庭園というのは、Wikipedia の言葉を借りますと、幾何学式庭園であるけれども、「テラス式、あるいは露段式庭園とも呼ばれ、丘の中腹に配される隠れ家のような敷地の立地条件、庭園敷地が長角形などの形態のテラス数段での構成、上段テラス中央に建物を配して軸線(ビスタ)を設定し左右対称の構成をとる、多くの人工物を配して訪れる人々を楽しませる、庭園の内部から周囲の風景を眺めパノラマ景を楽しむ、などを特徴とし、14世紀から16世紀にかけて主にイタリア郊外の別荘(ヴィラ)で発達した庭園を指す」ということのようです。
 ここは平坦ではありますが、こちらの門や城壁は、城塞跡を庭園とした「シダネルの庭」と通じるものがあるように感じます。
 いまはバラ園に改装されているので、全体の配置(左右対称で幾何学的)や庭園に残されている人工物(水盆など)に、イタリア式庭園の面影を感じます。


140616 Chaalis つるバラと城壁型の壁


1400616 Chaalis アーチの赤いバラ一重


140616 Chaalis 赤い蔓バラと門と壁


140616 Chaalis ピンクと白一重フロリバンダ


140616 Chaalis バラと樹木縦


140616 Chaalis バラ園全景

140616 Chaalis バラのベンチ

 最後の写真、大きく載せるわけにはいきませんが、よい雰囲気でしょう?

 バラ園の様子の写真記事は、さらにもう1回続きます。
 なお、昨日の礼拝堂内部のフレスコ画の写真をご覧になっていない方は、ぜひ一度ご覧ください。


【日常の記録】

 7月7日、夕刻雨が上がったので、スポーツ・ジムへストレッチと筋力トレーニングに出かけました。

シャーリ修道院の礼拝堂

2014.07.07(22:30)

140616 Chaalis 修道院跡・礼拝堂・バラ園遠景

 6月16日、パリの北方40km、エルムノンヴィル(Ermnonville)の森の中、シャーリ修道院(Abbaye de Chaalis)を訪れました。
 敷地の門をくぐると、このような光景が見えてきます。
 右端が中世の修道院跡、正面が唯一中世の建物が残されている礼拝堂、その左奥にバラ園のゲートが見えています。


140616 Chaalis 修道院跡に集う子どもたち

 立ち位置を少し左のほうへ変えました。
 観光地としてはさほど知られていなくて、左の子どもたちは社会科見学か何かのようでした。


140616 Chaalis 礼拝堂前に集う学生と観光客

 最初の記事で、カペー朝のルイ六世が「シャーリ修道院」を創建した、と書きました。
 ケン・フォレット原作のドラマ『大聖堂』などを見ていると、修道院には相応に収入があり、その収益がどこに入るかというのも、教会や王侯貴族の間の権力争いのもととなっていたようですが、シャーリ修道院は王立ですから、収益が誰に帰属するかは国王が決めることができる、ということになります。
 1541年、国王(たぶんヴァロワ朝のフランソワ1世)は、その権利を従兄弟の聖職者イッポーリト・デステ(Hippolyte d'Este "Cardinal of Ferrara”)に与えました。

 イッポーリト・デステというのはとても贅沢な人で、ティヴォリのエステ家別荘(Villa d'Este" in Tivoli)は世界遺産に登録されている後期ルネッサンス期の代表的な庭園で、イタリア一美しい噴水庭園として称えられているそうです。
 そんなイタリアの枢機卿がシャーリ修道院の修道院長になったことで、中世から残っていた礼拝堂の建物は彼の好みで改修され、庭園はイタリア式の庭園になりました。庭園のほうはその後はフランス式庭園となり、いまはバラ園となって残っているわけです。左手奥にバラ園の門と壁が見えていますが、本日は修道院長の礼拝堂を紹介します。


140616 Chaalis 礼拝堂近景

 礼拝堂の外観は中世の建物です。


140616 Chaalis  礼拝堂内部

 内部のステンドグラスや天井画は、おそらくほとんどが修道院長イッポーリト・デステが改修させたものでしょう。


140616 Chaalis 礼拝堂天井画

 修道院長イッポーリト・デステはイタリア人の画家フランチェスコ・プリマティッチオ(Francesco Primaticio)に礼拝堂のフレスコ画を描かせました。
 フランチェスコ・プリマティッチオはイタリア人のマニエリスムの画家・建築家・彫刻家で、主にフランスで活躍した人だそうです。


140616 Chaalis 礼拝堂の受胎告知図

 これが受胎告知の様子を描いたものだ、ということはぼくにもわかります。
 大天使ガブリエル(左)が純潔を象徴する白いユリを手に持って、ひざまずくマリアにイエスを身ごもっていることを知らせにくる、という光景です。


140616 Chaaalis 礼拝堂祭壇


140416 Chaalis 礼拝堂の窓


140616 Chaalis ネリー・ジャックマールの墓

 黒い像はおそらくネリー・ジャックマール(Nellie Jacquemart-Andree)だと思われます。
 1902年にこの修道院跡の不動産を購入した女性(銀行家の寡婦)で、芸術作品の蒐集家です。彼女は死後にこの礼拝堂の中に葬られることを主張したとのことで、これは彼女の墓ということになります。銘板には彼女がフランス学士院に不動産を寄付したことが書かれているようです。


140616 Chaalis 礼拝堂内部浮き彫りのプレート

 これがどういう人物の、何のためのレリーフなのか、わかりません。

 エルムノンヴィルというところは、ルソーを記念した公園があって訪れる人がいるそうです。人口は2008年で913人の村。(適当に村とか町とかぼくは言っていますが、フランスの最小自治体単位は commune といい、町とか村とかの区別はありません)
 そんなところにこのシャーリ修道院がある。こんな美しい礼拝堂があるのです。
 ぼくは2日目にして、フランスの底力を感じ始めていました。

シャーリ修道院(Abbaye de Chaalis)

2014.07.05(17:00)

140616 Chaalis 修道院教会堂跡の廃墟

 パリ近郊の庭園巡りの旅の2日目(6月16日)は、まずパリの北方40km、エルムノンヴィル(Ermnonville)の森の中、Abbaye de Chaalis(シャーリ修道院)というところへ向かいました。


140616 Chaalis バラ園正面の門

 企画された 元木はるみ先生 はシャーリ修道院には美しいバラ園があるからということだと思いますが、シャーリ修道院は日本人にはほとんど知られてなくて、ここを訪れる人は少ないと思われます。
 
 シャーリ修道院はルイ六世(1081-1137)によって創建されたといいます。
 ルイといってもブルボン朝ではなくてカペー朝の時代、絶対王政の時代ではなく、まだ中世で、王は諸侯の反乱に苦しめられていた頃です。
 ルイ六世は聖職者を政治顧問に重用し、修道院改革などを行った人です。
 シャーリ修道院は国王が創建した修道院ということで、イタリアから建築家や画家などが招かれ、かなり大規模で立派な修道院だったようです。


140616 Chaalis 城館の建物の美術館

 フランス革命後、教会と回廊はかなりの部分が破壊され、古典主義様式の城館が残されました。
 この館は19世紀になり、新しい所有者によってその部分が城として改築され、1902年、銀行家エドゥアール・アンドレ(1833-1894)の寡婦であるネリー・ジャックマール(Nellie Jacquemart-Andree)(1841-1912)がその城を購入し、世界各地から収集した芸術作品の一部を展示しました。
 その城と美術品や領地がフランス学士院に寄贈され、当時の様子を残したまま、美術館(La château-musee)及び公園として公開されています。(ただし、建物内部は撮影禁止。)
 展示品はジヨット(1267頃—1337)の二枚の絵画を含むイタリア・プリミティフ(中世から初期ルネサンス期にかけてのシエナ、フィレンツェの画家たち)の絵画、といっても、建物内部の装飾・調度品に圧倒されて何も憶えていませんが(笑) 
 哲学者ルソーの遺品なども展示されています(ルソーは近隣でなくなったようです)。
 元の修道院の教会堂(L’église abbatiale)は瓦礫の残った廃墟となっています。

 トップの廃墟の写真では、左側の壁が崩れた穴から、城館の建物を利用した美術館が見えています。
 また、同じ写真の右端のほうに、礼拝堂の屋根が見えています。


140616 Chaalis 聖マリア教会堂

 聖マリア礼拝堂(La chapelle SAINTE-MARIE)は、内部の天井画などが美しいです(写真撮影可)。

 英語とフランス語のサイトを読んで概要を掴むのに苦労していまして、本日は「バラ園」「修道院教会堂の廃墟」「城館(美術館)の建物」「聖マリア礼拝堂」の写真を一枚ずつ、さらっと紹介して終わりといたします。

 離れた位置で撮影した端整な写真は絵葉書みたいにきれいで、その代わり現実感や迫力に欠けています。
 次回以降は、近寄って撮影した現実味ある写真も紹介していきます。


【パリ近郊の旅の足】(付録)

140615 Gerbroy 観光バス

 3日間のパリ近郊の旅でお世話になった大型観光バスです。
 この大きなバスにたった19人という贅沢を味わいました。


140616 Chaalis バスの運転席

 運転手シェリーさんの運転席。
 この大型バスで、どんな狭い田舎の村の道でも平気で侵入していきます。


140616 Chaalis ガソリンスタンド兼ドライヴイン

 シャーリ修道院へ向かう途中で立ち寄ったガソリンスタンド兼ドライブイン。
 14日の夜にホテル近隣のスーパーへ買い物に行きましたが、スーパーとかドライブインとか、フランス人が日常利用するようなお店を覗いてみて、飲み物や食べ物、ちょっとした土産になりそうな品を買ってみると、彼らの日常感覚がわかってきて、おもしろいのです。
 
 ちなみに、ただ水を飲みたいというだけでも、こういうところで買う必要があります。飲み水は水道からふんだんに流れ出てくるのに慣れている日本人としては、ずいぶん面倒だと感じます。
 また水を買う場合には、ガス入りかガス無しかに注意が必要です。

Chaalis

  1. 「シャーリ修道院」の城館(07/14)
  2. シャーリ修道院の廃墟(07/11)
  3. シャーリ修道院のバラ園(2)(07/09)
  4. シャーリ修道院のバラ園(07/08)
  5. シャーリ修道院の礼拝堂(07/07)
  6. シャーリ修道院(Abbaye de Chaalis)(07/05)