
右奥に見えている大きな邸宅が、モネの住んでいた家です。9,175㎡ の所有地と邸宅は、現在はクロード・モネ財団が管理しているそうです。
邸宅の正面の庭は概ね長方形に広がっていて、「クロ・ノルマン」(ノルマンディーの囲い庭)と呼ばれ、そのほとんどが色とりどりの花が植えられた花壇です。
村の道路を挟んで、地下道をくぐると、道路の反対側の「睡蓮の池」へ行けるようになっています。

「クロ・ノルマン」は、色とりどりできれいですが、ぼくの目にはなにやら雑然とした印象がありました。「野放図な光と色彩の乱舞」とでもいいましょうか。
「これぞ」といったポイントに欠けていて、カメラマンはどう撮影したらよいか迷います。
旅行中は日が経つにつれ、フランス人はお洒落で気が利いているけれど、大雑把な感じで、それが庭にもあらわれているな、と感じ始めるその発端ともいいましょうか。
その後イギリスへ移動して、イギリス人の造園感覚というのは、計画的で抑制が利き、日本人の感性と馴染みやすい、と感じるようになるのでした。

絵画、写真、映画、イラストレーションなど、映像美に関して、ぼくの美的感性にはある傾向があります。
まず「構図」「線」「輪郭」「かたち」を大切にします。
ぼくは古典的な美に惹かれがちで、世間一般にもてはやされている印象派にはずっと否定的な態度でいました。彼らは「輪郭」が曖昧で、「線」を大切にしない。それがどうにも我慢がならない、と感じていたのです。
一方で、日本画というのは浮世絵を含め、元来、筆で描いた「線」「輪郭」そして「構図」を大切にします。
日本人がアニメ制作を得意とするのは、歴史的に培われてきた日本人の感性の賜物であろうか、とぼくは感じています。

さて、「印象派なんて!」と言っていたぼくは、40代の前半だったでしょうか、ある日突然、モネの大型ポスターを買い込んで、しっかりした額に入れ、家の壁に大きく飾ることになりました。それは1987年にメトロポリタン美術館で開かれたモネの美術展のポスターで、花瓶にいけられた花を描いたものでした。この頃から、気に入らない「印象派」でも、「モネだけは別格」ととらえ始めていました。
「構図」「線」「輪郭」「かたち」にこだわりつつも、「色彩」と「光」に目覚めた、とでも言いましょうか。

モネの家の内部は撮影禁止だったので紹介できませんが、数多い浮世絵コレクションで飾られています。
印象派の大家が、「構図」「線」「輪郭」「かたち」にこだわる浮世絵に強く惹かれ、ぼくも「印象派なんて!」といいながらモネの絵に惹かれる。
根本的な「好み」というのは根強くて、基本的な傾向は変わらないにしても、人の美的感性というのは、年を経るにしたがっていろいろと微妙な変化をしていくもののように感じております。


モネは1883年に Giverny(ジヴェルニー) に移り住みました。
自邸の庭に睡蓮の池を造り、よく知られている「モネの睡蓮」はこの池の様子を描いたものです。
6月15日、ジェルブロワの散策後、私たちはもう少しパリに近いジヴェルニーへと移動しました。パリの西約70km の村です。
村の様子もなかなかよいのですが、前回の記事でジェルブロワの村の様子を紹介したばかりですので、今回はいきなり「睡蓮の池」の写真です。
モネが住んでいた頃と同様なのかそれとも違うのかわかりませんが、モネの「睡蓮」はたいへん数が多く、よく知られているので、「これがあの睡蓮の池か…」と「一目みたい」想いはやはりぼくにもあったのです。

池を反時計回りに一周。おおよそ撮影順に並べてあります。








最後の写真は、浮世絵を数多く収集していたモネらしい感じがします。
以前NHKの「迷宮美術館」を見ていたら、モネは自分が絵を描きやすいようにと、人を雇って池に散った落ち葉などを浚わせ、池の美しさを保っていた、との話題がありました。
【日常の記録】
6月28日、スポーツ・ジムでストレッチと筋力トレーニング。雨天で出かけるのが億劫ですが、週2回程度を目標に、健康維持のためにも頑張っていこう、と思っております。