【拝殿から本殿を臨む】

台北近郊の三溪・清水祖師廟の記事の続きです。
ぼくはいったん外へ出て「三溪老街」の町並みをみてから一人で「清水祖師廟」へと戻り、コンパクト・デジカメとはいえ構図とかいろいろと工夫しつつ、「清水祖師廟」の撮影に再挑戦したのでした。
とはいえ、残り12、3分でしたけど(笑)。
【本殿】

便宜的に「拝殿」と「本殿」などと書いていますが、日本人に一言でわかりやすく、ということです。
中庭のようなところを挟んで、その奥に本殿があり、神様が祀られています。

本殿の中にも入ることができます。

本殿の天井です。
【拝殿と本殿の二階】

二階への階段を見つけましたので、喜んで上ります。
拝殿と本殿が渡り廊下でつながれているので、変化のある光景が楽しめます。

【二階から見下ろした本殿】

装飾過多な点は確かにあるのですが、それよりも驚かされるのは、石の柱などの「徹底的に精緻な作り込み」でした。日本の若いアーティストでも、最近は何やら細部に凝って、細かいところまで精緻に描き込んだイラストなどが出てきます。ぼく自身そういう絵に惹かれます。
確かな技術がなければできないことですし、労力を惜しんでいないと感じさせますし、ディテールまできちんとデザインしていなければ描けない絵となると、やはり「おおっ!」と感嘆してしまいます。
その「感嘆」と、「ああ、いい絵だなあ」という感動とは、少し違う感じがします。

日本の伝統的な美的感性は、描くべきポイントはしっかり描き、ほかはさらっと描いたすっきりした絵を好む傾向があります。デフォルメという言葉がありますが、本物そっくりに描くのではなく、誇張すべきところは誇張して、対象の本質に迫ろうとし、余分な部分は省略しようとする方向性が、日本人の美的感性には常に働いている、と感じます。
日本の美術作品も、「装飾」であることを前提にして育ってきていますから、「清水祖師廟」の建物の「装飾としての彫刻やレリーフ」という点と、何ら変わりはありません。「どういう装飾のあり方が美しいのか」という感性の問題のようです。

【屋根飾り】


【レリーフ】

三峡・清水祖師廟の記事は以上です。
お楽しみいただけたら、幸いです。
追記:昨晩の記事の一枚目の写真ですが、「金牛角」という看板が見えています。
牛の角のかたちをした、クロワッサンのような形のパンが有名で、とてもおいしかったです。
三峡の名物として知られています。
【橋の向こうに見えてきた清水祖師廟】

台湾旅行の最終日、三峡にある「清水厳祖師廟」を見てきました。
この地の神様「清水祖師」を祀る寺院ということらしいのですが、川に架かった橋を渡っていくと、低いところになにやら古ぼけてくすんだ屋根が見えてくる。まわりには商店などのけばけばしい看板やテント屋根が見えたりして、何やら雑然としています。
【「これが清水祖師廟なの?」と少し幻滅】

【全貌が見えてもまだ幻滅状態だったが…】

【正面入り口から中へ】

幻滅状態・半信半疑だと、カメラワークも「撮れればいい…」といい加減になってきます。
【正面入り口の柱】

この石柱を見て、急にシャキっとしてきました。
東洋のサグラダ・ファミリアとか言われているらしいですが、ガウディに当たるのは李樹梅といいう人らしい。
日本の統治に反対する戦渦で痛んだ祖師廟をこの人が指揮して再建。まだ建設中なのだ、ということです。
【内部の拝殿】

見学に先立って、現地のガイドさんから参拝の仕方など教わりました。しかし、とても複雑で憶えきれません。参拝の前に占いのようなことをやって、神様の意向を確かめてから正式な参拝となるような、何やらそんな内容でした。
仏教とかキリスト教とかならある程度知っていて理解できますが、ぼくが知っているのとはまったく別の世界の信仰という感じです。清水祖師は「福建省の安渓の人々の間で信じられている神様で、その地域の人々が台湾のこの三峡へ移住したときに、やはり守護神としてこの廟に祭った」とあるサイトに説明がありました。
内部はこのとき混み合っていまして、ガイドさんの説明を聞きながら撮影します。
露出とか、シャッタースピードとか、細かく考えている余裕などありません。
【正面入り口の石柱 〜 この精緻な細工を見よ!】

観光客として驚かされるのは寺院の装飾です。
別世界の装飾と感じられる理由は、徹底した細部の描写です。精緻で細かい!
台北の故宮博物館の有名な名品で「象牙球」というのを見てきましたが、大きな象牙の球体の内部を17層にも彫ってあって、精緻な細工は親子三代で制作したとか…。
どのようにして彫ったのか想像も付かず、誰もがただ唖然として見とれてしまう逸品でした。

日本的な感覚では、たまにこのような精緻な工芸に圧倒されることはあっても、日本美術がそういう方向へ走ってくということはありませんでした。
「美が人に与える感動の本質的なところはこれだ!」と大掴みに感じ取り、肝心なところはしっかりと気合いを入れて表現するけれど、「余分なところまで精細な描写をしたらかえって感動の邪魔になる」からと、そのほかの部分は大胆に省略する、という方向へ進むのが日本人の美的感性です。
ところが、中国の人たちっていうのは、どこまでも徹底して精緻な細工を追求する。
感性が違う、としか言いようがありません。その差に驚かされているわけです。
石造りの柱をご覧頂きましたが、上と下とか、表と裏とか、別々に制作して後から合体させたような、「寄せ木造り」ならぬ「寄せ石造り」ではなくて、一本の石を彫ってあるのです。
忙しないツァー旅行でなければ、コンパクト・デジカメでなく一眼レフを持って行き、せめて二、三時間は粘って、柱やレリーフなどのひとつひとつをじっくり鑑賞しているところです
【二階を見上げる…】

何となく上の方を見上げて撮っています。
二階に人が上がっているのは、ぼくの目には入っていません。そのくらい余裕がないのです。
近くに「三峡老街」という古い町並みがありまして、「三峡老街」とこの「清水祖師廟」を合わせて40分の時間しかありません。
ぼくとかみさんとS夫妻の4人はすぐここを出て「三峡老街」を見に行きましたが、大したことはないので、ぼくは残り15分というときにまた「清水祖師廟」へ戻ってきました。
【清水祖師廟入り口】(以下、再訪してからの写真)

ひとりになると、急にやる気が出てきて、構図などいろいろと考え始めました。
同じ入り口でも、先ほどの4枚目とは撮し方が違っています。同じ建物でも、ボリューム感が出て、奥行き感もあります。
このあと、「集合まであと十分」というときに、二階への階段を昇る人たちを見つけ、「え、二階へ上がれるの?」と慌てて二階へ上がりました。
そんなわけなので、この後の写真は明日の記事といたしますが、今晩の記事よりおもしろく多彩な写真が楽しめると思いますので、明晩も是非当ブログへご再訪くださいませ。
【九份から基隆港を臨む】

ガイドの陳さんの説明と Wikipedia の記述とを参考にしつつ、九份(きゅうふん)の街の様子を紹介したいと思う。
九份は、台湾北部の港町 基隆(Keelung)市から、山のほうへ狭い道をどんどんと登ったところにある山間の町である。
九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代にその最盛期を迎えた、のだそうだ。
鉱山施設や黄金博物館などの施設と日本統治時代の建物からなる「金瓜石黄金博物園区」が整備されていておもしろいが、それはまたいずれ紹介したい。
九份は、しかし第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから急速に衰退し、人々から忘れ去られた存在となってしまったのだった。
【九份の町並み】

ところが、1989年に『悲情城市(A City of Sadness)』という台湾映画が大ヒットしたのだそうだ。
ガイドの陳 さんによれば、台湾人なら誰でも知っている映画だという。
九份はそのロケ地となったことで再び脚光を浴びるようになった。
若者たちが九份に押し寄せ、メディアが取り上げ、これは行けそうだぞと町興しの気運が盛り上がる。
ここから観光地化が始まった。
【狭い街路と階段の両側にひしめく商店街】


現在では街路の両側にレトロ調で洒落た喫茶店や茶藝館(ちゃげいかん)、みやげ物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わうそうだ。
狭い道や階段の両側に、小さな店が建ち並んでいる様子には、日本人の目から見るとちょっと呆れてしまうのだが、そこへ追い打ちをかけるように、『千と千尋の神隠し』のモデルになった町と紹介された。
【湯婆婆の館】

『千と千尋の神隠し』は台湾でも人気があって、大勢の人が見ている、と陳さんは言う。
この騒ぎでまた、一般の観光客への知名度が一躍高まった。

宮崎駿さん本人はモデル地である事を否定していて、九份が実際にモデルとなったことを示す公式資料も全く存在しない、という。
しかし、ここは観光地。話題になればなんでもよいのであって、海の眺め、街路の様子は一見の価値がある。
これほど高い山の中にできた街。廃鉱の町。台湾らしい賑わい。日本ではなかなかみられない光景に驚く。
階段道の反対側の郷土料理のレストランで食事をし、そのベランダから撮影している。
湯婆婆の館のモデルだと紹介された建物だ。

見下ろすと、狭い階段を登り降りする人たちが見える。
モデルとなったという話が事実でなくてもよい。ここが、こんなにきれいな海を眺められる高い山の中の景色だとわかると、観光地としての人気が出るのは「なるほど…」と納得するのである。
近くには廃坑の施設も再現され、人気を集めている。

この階段…、ここへ住むのはちょっとやめておきたいが…。
昨日は長男が三重から帰ってきたので、かみさんと次女と四人で、肺炎で入院していた義父の見舞いへいった。
かなり恢復してきて元気だった。
帰りに新横浜の「星乃珈琲店」に立ち寄りスフレを注文し、珈琲タイム。カップに入れられた星乃珈琲の写真を撮り、楽天優勝の前祝いをしたが、空振りになって閉まったので写真は掲載しない(笑)
【台北中心部・信号待ちのオートバイ通勤者】

10月20日、かみさんと、親しいお付き合いのS家夫妻と、成田から台北国際空港へ飛びました。
その翌日21日の朝、ツァー用の専用バスで市内を移動中の光景です。
台北市内は通勤時間帯はかなりの交通渋滞が起きるので、郊外からの通勤者はオートバイ通勤が多いそうです。
信号待ちになると、自動車のあいだを縫うようにしてオートバイが交差点の先頭に並びます。
あまりの光景に呆れてカメラを出すのも忘れていまして、ぱっと目に入る百台以上のオートバイの信号待ちの光景は撮り損ねましたが、ゆっくりとカメラを出して調整していても、どの交差点もこんな様子なので、証拠写真は撮れました。
天候は雨、揺れるバス内でコンパクトデジカメ、という悪条件ですが、なんとか見られるでしょう。

【青信号となりいっせいに走り出すオートバイ】

自動車とオートバイは、台湾では右側通行です。
信号が青になると、一斉に走り出すその光景は、カルチャーショックを感じさせます。
【ツァー専用バス前方の通勤ラッシュ】

ツァー専用バスの前方はこんな様子で、渋滞の状況がおわかりになると思います。
このバスの左右を、縫うようにしてオートバイが走っていきます。
スピードがかなり出ていまして、慎重に走る自動車の右左を平気で追い越していきます。よく事故が起きないものだ、と感心していました。
【晴れてきた道路の通勤ラッシュ】

晴れてきたので、窓から横前方を撮りました。
片道三車線、片道四車線の道路も多く、道路はとても広いのです。これがこんなふうになるほど、通行量が多い。
一般に、輸送量が多いことは好景気のバロメーターとなっていますし、こんな交差点がたくさん目に入りますから、台北は好景気だと考えてよいのでしょう。
追って記事にしますが、夜は9時過ぎまで大勢の人で街がにぎわっています。人々のエネルギーを感じさせる街でした。
「デフレ→縮小均衡」よりも、やはり「多少のインフレ→景気浮揚→経済拡大」のほうが元気があっていい、と感じざるを得なかったのでした。