
昨年12月11日、takae h さんの本拠地「六甲アイランド」をご案内いただきました。
六甲アイランドは1972年着工、88年頃から住民の移住が始まった海上人工島、ゼロから作り上げられた計画都市です。横浜のみなとみらい21と違って、住宅街もあれば工場もあり、シアターなどの文化施設もあって、六甲アイランドだけでひとつの都市として機能している、というのが、ぼくにはとても興味深く感じました。





INAC神戸レオネッサのサッカー練習場「神戸レディースフットボールセンター」だそうです。
【日常の記録】
1月15日、天候がよくありません。午前中は読書などして過ごしました。

神戸・北野の「風見鶏の館」はドイツ風の家。ドイツ人の貿易商ゴットフリート・トーマスさんの自邸だったそうです。建築年代は明治42年頃。
訪問したのは12月12日、福原京の跡地を探ってうろうろとした日の午後、今度は急におシャレな気分に浸ろうと、またまた takae h さんにご案内いただいたのでした。


時季的にはクリスマスということで、横浜ではスウェーデン、ノルウェー、オランダ、イタリア、英国を紹介してきましたから、これで一応ドイツ風が揃ったかな、という次第です。



【日常の記録】
1月7日、午後は横浜美術館へ。「下村観山展」の前後期展示替えを8日に控え、8日になくなってしまう作品群をもう一度しっかり見て起きたかった。その後は美術情報センターで「アサヒカメラ」ほか美術雑誌を読んで過ごした。
【神戸・祇園神社】

平安時代末期、平清盛は大輪田泊(おおわだのとまり)に人工島の経ヶ島(きょうがしま)を築き、整備拡張した港を見下ろす山麓に、新しい都・福原京を築く計画を立てた。武家政権の主導で都を造営し、そこを日本の首都と定めて天皇をお移しする。平安京から福原京へと遷都を強行したのである。
計画のみで終わったのではなく、実際に遷都したにもかかわらず、「ここが福原京跡だ」という明確な遺跡がないために、現代においては、京都御所や江戸城跡の皇居を訪ねるように、観光名所とはなっていない。
福原京の建造物群は源義仲によってすべて焼き払われた、と言われている。

『平家物語』などであれほど一般に知られた平家一門が造った都が、どのあたりにどのように存在したのか、図面もなければ、確かな遺跡もなく、どのあたりにどのように屋敷があったのかはっきりしない、というのは、何やら煙に巻かれたようですっきりしない。

調べてみると、JR神戸駅ないし高速神戸駅の付近、すなわち湊川神社のある辺りの、北東側の一帯だったようだ。
あるガイドブックによると、訪ねてみるポイントは、祇園神社、荒田八幡神社、雪見御所旧跡の碑などだ、というので、takae h さんのご支援、ご案内により、12月12日、福原京に関係のある旧跡を訪ねてみることにした。
写真は、祇園神社の拝殿を撮影したもので、右、左、正面と角度が異なっているだけである。

まずは最初のポイント、「祇園神社」だ。
山の中腹の小さな神社で、神戸の町を見下ろすことができる。おおよその見当を付けながら「さては大輪田泊は海へ向かってこの方向、あの辺りか。そして、いまこの下の一帯が福原京であったか」と、ここへお参りして経ヶ島築造の計画を練った、という清盛の気分を想像してみる。
清盛は重盛に権力を委譲し、自分は福原の邸宅(雪見御所)へ移り、日宋貿易の拡大に専念していたのである。

さて、祇園神社の祭神は素盞嗚尊(すさのおのみこと)と櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、「祇園」と呼ばれるのは牛頭天王が祇園精舎の守護神であり、素盞嗚尊はすなわち牛頭天王だからだ、ということらしい。
「新平家物語」を執筆しようと吉川英治もこの地を来訪し、神社下の橋の欄干から「雪見御所の北に在ったという温泉はあの辺りか」と眺めていた、という。
(上の写真は、祇園神社内の奥にある稲荷社。西向かいにある山の紅葉が美しい)

【雪見御所跡の石碑】

清盛の邸宅である「雪見御所」旧跡の石碑は、湊山小学校の道路際に見つかった。
発掘調査で土器や礎石などが見つかったと言われているが、平清盛の屋敷跡であるという証拠は見つかっていない。つまりこの辺りだと言われているだけで、実際の場所ははっきりしないのだ。
【荒田八幡神社】

荒田八幡神社(あらたはちまんじんじゃ)というのは平頼盛(清盛の弟)の山荘があったところで、福原京ではここが安徳天皇の行在所(あんざいしょ)であった、と言われている。付近には何の案内板もなく、道を尋ねれば「神社ならこの辺りにたくさんあるよ」との返事が返ってくる程度。見つけるのにやや手間が掛かった。
町の中の、付近の住宅から3m ほど高くなったところに突然鳥居があり社があるといったふうだ。祭神は応神天皇、社殿は昭和60年に再建されたという。

福原の遷都は、時間的にはわずか半年程度だったといい、清盛は諦めて再度平安京に遷都することになった。
それから一年ほどで清盛は病で亡くなった。壇ノ浦の戦いまではあとわずか4年である。
【日常の記録】
1月5日夜、長女の病院を訪ねました。実際に赤ちゃんの表情を見、泣き声を聞いてみて、ようやく実感が湧きました。お地蔵様のような顔をしていました。
1月6日午前、本牧山頂公園を一時間ほど散策しました。

12月10日夜、翌日の神戸フロイデ合唱団のコンサートの一日前に神戸入りしたぼくは、神戸ルミナリエの見物に出かけました。
混雑すると聞いていたので、一時間ほど早めにゲートへと向かいました。
すでに警察官たちが街路へ出て、交通整理・警備に当たっていました。

メインゲート前の三井住友信託銀行前のスペースで待機していると、定刻より15分早めに点灯してくれました。

さあ、ゲートをくぐります。


神戸ルミナリエは、阪神・淡路大震災のあった1995年以降、追悼と鎮魂の意味を込め、街の復興を祈念して、毎年12月に開催されています。
今年のルミナリエのテーマは「光の記憶」
忘れることのできないあの日
神戸に輝く光の星空は
かけがえのない記憶のかけら
ぬぐいされない悲しみと
未来への希望がいまも混在している
光は記憶そのものだ
ということでした。

上の写真の光の館へ入っていきます。

観光客はぼくも含めて「とてもきれいなので…見にいく」といった単純な動機からが多いでしょうが、震災で激減した観光客を呼び戻す目的もあったわけですから、それはそれでよいのかも知れません。

上の写真以下、光の館の内側からの撮影です。

荘厳な教会音楽が鳴り響いています。
それが今年のテーマ「光の記憶」にとても合っているように思いました。


光の館を横から出て、振り返って撮影しています。


めっきり冷え込んできたのに気がついたのは会場を後にしてからでした。
会場では光のアートの美しさに感動していましたが、会場を後にして歩き始めますと、身体がすっかり冷えているのに気がつきます。
どれだけ寒かったかに気がついたのは、暖かい三宮地下街に入ったときでした。
【北野のスターバックス】

7月23日から27日まで、神戸へ行ってきました。
まず23日は定番の北野異人館巡り。本番の写真はまたいずれというつもりでおりますが、上は北野の「STARBUCKS」です。なんと「STARBUCKS」が明治40年に建築されたという建物に…。
とても暑い日でして、一巡りしたあとはここでチャイ・ティー・ラテをいただきました。
【メリケンパークの夜景】

23日夜はハーバーランドまで出かけて、メリケンパークの夜景を!
港内遊覧船「コンチェルト」を入れた写真はまたの機会に…。
【六甲山から六甲アイランドを臨む】

24日は六甲山へケーブルカーで登りました。
「高山植物園」を楽しんだあと、有馬温泉まで、谷を下りつつ歩くことにしました。
上は展望台からの「六甲アイランド」の写真です。(この写真のどこかに、ブログ「secret garden ━━ grace under pressure 」のtakae h さんがお住まいなんだなあ、と…)
有馬温泉に辿り着いたときは、暑さで参ってまして、「太閤の湯」で金泉、銀泉に浸かり、3時間を過ごしました。
【川崎重工業の産業用ロボット】

25日は旧居留地を回った後、川崎重工業の企業博物館へ(海洋博物館隣接)。
産業用ロボットの実物なんて見たことがありませんので、興味津々でした。
25日夜は、この旅行の本来の目的である「神戸FREUDE合唱団」のコンサート。
とてもよいコンサートでした。ブログ「《打上花火》・・・短くも美しく燃え」の FREUDE さんが男性陣のまん中の目立つ位置で唱われていました。
詳しい感想は近日中に「ディックの本棚」に掲載します。
ブログ「時を紡いで」の hirugao さんにお隣の席でした。
【東経135度】

26日は前の晩に hirugao さんに奨められた「須磨寺」へ。
さらに足を伸ばして、上の写真は「人丸前駅のホーム」です。ホームを日本標準時子午線が通り、向こうに明石市立天文科学館の塔が見えています。
この博物館がとてもおもしろかったのでした。
【六甲山・オルゴールミュージアムのニッコウキスゲ】

27日は FREUDE さんのご厚意により、おいしいミルフィーユカツのお店をご紹介いただき、そのあと 六甲オルゴールミュージアムへ。24日はすぐ隣まで行っていながら、有馬温泉へのハイキングを優先したため、見学していなかったのでした。
写真はオルゴールミュージアム隣接の庭園です。すぐ近くでは、 hirugao さんが撮影されていらっしゃいます。
【エクリヴァン】

日本風に言えば、オルゴールがついた「からくり人形」です。
何か手紙を書いているようなのですが、眠くなってきてうたた寝しかけ、目を覚ましてまた手紙を書き続けます。
いずれもう一度紹介します。
FREUDE さんに見守られつつの撮影は、なにやら緊張しました。そうでしたよね、hirugao さん?
というわけで、今回は FREUDE さん、hirugao さんとお会いでき、ロッシーニのミサ曲などめずらしい曲を鑑賞できて、とても楽しい旅行となりました。お二人のおかげです。ありがとうございました。