
Wikipedia で調べますと、千葉県の東京湾岸の干潟は、そのほとんどが1960年代から1970年代にかけて千葉県企業庁によって次々と埋め立てられ、工業地や住宅地として開発された、とのことです。
現在の谷津干潟は、旧大蔵省の所有であったために埋め立てを免れ、埋立地の中に2本の水路で海とつながる池の様に残された、とのことでした。
上はオナガカモの飛翔、下以降はヒドリガモの記事となります。

ヒドリガモは河口付近を好むということで、谷津干潟でも上で書いた水路の付近、つまり橋の近くに来ています。だから、カモ類の中でも近づいて撮影することができました。
たくさん集まっていて、静かに餌を探しているようでいて、じつはかなり騒がしい。
何をしているのだろうと、長女と二人で観察していましたが、長女の結論は「これは合コンだ」ということでした。
上の写真でも画面右端のほう、雌に言い寄る雄と振り返る雌の様子が見られます。

ご覧のように、すっかり出来上がって仲のよいカップルもあります。

しかし、やはり好みというのはあるようでして、「いやだってば、近寄らないで!」という場面もかなりあるようでした。
写真のように、水面が妙に波立っているのは、トラブルが起きかけている証拠なのです。

横合いから余計なちょっかいを出されて怒り、雄が追い払いにかかることもあるようです。

ときどきバトルがあります。姿勢を低くして首を伸ばし、口を開けているヒドリガモは相手を威嚇しているポーズのようです。バトルそのものは動きが速すぎて撮影失敗ばかりでした。

これはカップルが成立したのだったか、それとも逆だったか…。
「ここ、うるさいわね」
「うん、二人で静かなところへ行こうか」
とバトルを離れて二羽の世界に浸っているカップルもたくさん見られました。

谷津干潟の岸沿いです。
これは何をしているのかというと、穂を食べているのではなくて、茎の皮を裂いて、その中の軸を食べているようでした。
長時間やっていますから、中味はおいしいのでしょう。

帰宅してから調べて、みなさんのブログを参考にしつつホオジロ科の鳥ではないか、と目星を付けました。

新潮文庫の「ひと目で見分ける287種〜野鳥ポケット図鑑」で、どうやらこれらしい、と見つけたのがオオジュリン。ホオジロ科ホオジロ属。
ブログ「小肥りじいさんが見た風景」の小肥り さんにご紹介いただいた今朝の「さわやか自然百景」でも、枯れたヨシの繁みの中の オオジュリン が少しだけ紹介されていました。

冬羽だと、雄と雌の区別がよくわかりません。
夏は北海道や東北で繁殖し、冬は暖かいところへ渡ってくるのだとか…。国内版の渡り鳥ですね。
できればぼくも、夏は軽井沢、冬は沖縄へと渡り鳥生活をしたいのですが…(笑)

昨日は久しぶりの San Poの会。北鎌倉駅〜浄智寺〜葛原岡神社〜源氏山公園〜大仏ハイキングコース〜長谷高徳院大仏〜長谷寺〜光則寺〜鎌倉文学館〜鎌倉駅と歩きました。
大船の銭湯で入浴後懇親会となりました。
長谷寺と光則寺のフクジュソウは、あともう少しという感じでした。
また、今晩は 旧 Niftyserve 会議室FADV有志 のオフ会に出席しますので、みなさんのところの巡回は明日にさせていただきます。

谷津干潟というのはどんなところなのか、少し余談を…。
隣接して「谷津バラ園」というのがあります。谷津バラ園は「谷津遊園」の施設であったバラ園が残っているもの。
では「谷津遊園」とは?
谷津遊園(やつゆうえん)とは、京成電鉄が千葉県習志野市谷津で直営運営を行っていた遊園地。1982年に閉園しました。
Wikipedia によりますと、大正時代は塩田地として使われていた海岸地帯が、台風の被害により国の塩業試験場などに転用され、さらにこの一帯を埋め立てて娯楽施設に再転用し、大正14年に京成遊園地として開設されたものだそうです。
干潟の周囲を回っていきますと、この付近は塩田跡地であるなどの説明書きが立てられていました。
【2月3日夕刻】

さて、長女と「あれはなんだろう」「2種類いるみたい」「シギだということは間違いないだろう」などとわいわいやっていたのがこの写真の鳥です。
「セイタカシギ」で調べると、谷津遊園に生息しているとあるので、そうか…、と確信しましたが、気になるのは黒い襟(えり)のあるほうです。

Wikipedia によりますと、
「クロエリセイタカシギ(黒襟背高鷸、学名:Himantopus mexicanus)は、チドリ目セイタカシギ科に分類される鳥。セイタカシギ(H. himantopus)の近縁種。頭部が黒く、眼の周りが白いのが特徴。セイタカシギの亜種として扱われることもある。日本には現在、奈良県、京都府、大阪府などに生息しているが、これらは個人が輸入し、飼育・増殖した個体が2001年9月頃から意図的に放鳥されたものといわれている。2004年6月に大阪で営巣が確認された在来種のセイタカシギにクロエリセイタカシギの特徴が顕著に現れていた。そのため、絶滅危惧種ⅠB類のセイタカシギとの交雑が起きているのではないかと懸念されている」とあります。

写真トップの2羽は3日の夕刻ずっと一緒に行動していまして、つがいに見えました。
上で書かれているのと同様のことが、谷津干潟でも起きているのかなあ、と想像してみたりしました。
【2月4日の写真】

こちらは2羽ともふつうのセイタカシギのようです。
雄雌の区別や、夏羽、冬羽の区別などあるようですが、初めて見た鳥なので、にわかに仕入れた知識ではまだそこまではよくわかりません。


【2月3日夕刻の谷津干潟】

京成線谷津駅近くの宿舎に長女夫妻が居住していて、昨年8月頃、ぼくは「谷津干潟」の存在を知りました。
千葉県習志野市谷津にある面積40ha の干潟です。
正直に言えば、干潟とはそもそも何なのかすらよくわかっていないぼくは、とにかくそういう浅瀬には冬鳥が渡来して観察ができるんだろう、ぐらいの認識でした。
2月3日夕刻、買い物に行く長女と一緒にとりあえず干潟の入り口まで行きますと、川が流れ込んでいる橋の近くに鳥たちが100羽くらい集まっていますが、そこだけ水量が豊富で、干潟の大半は干上がっていて、期待した鳥たちは「なんだ、こんなものなのか…」という程度しかいませんでした。
(上の写真右奥の河口の橋付近が谷津干潟公園の入り口で、この橋から写真の右側のほうは多少水量があり、鳥たちが集まっていました)
買い物に行く長女と別れ、そろそろ薄暗くなりかけてはいるものの、一周3.5km を回ってみよう、と歩き出しました。

1時間くらいで一周できるかな…、というところですが、歩き始めると広いです。干潟入り口からもっとも遠い辺りは水面が見えていて、鳥たちはそこへ集まっていました。ざっと7、8百羽くらいでしょうか。もっといるかも知れません。
(上の写真のように干上がってしまうと、鳥たちの姿がなくなってしまいます。画面をずっと右に外れた辺りは水量が多く、下の写真のように数多くの鳥たちが集まっていました)

そうか、完全に水が干上がってしまっていては、鳥たちは集まらないのだ、水面がなければダメなのだ、とようやくわかってきた次第です。
さて、それでもこのように数多くの鳥たちを見るのは初めてです。

何かに驚いて、急に、一斉に飛び立ち始めたときにはその迫力に驚きました。こういう場面に遭遇したのはほんとうに初めてなのですから。
ピンぼけですが、大慌てでとにかくカメラを向けてみたというに過ぎません。
【2月4日朝の谷津干潟】

さて、さらにびっくりしたのは翌朝です。
8時過ぎに「わたしも一緒に行く」という長女とともに干潟へ出かけて行きました。
到着してびっくり。干潟の様相ががらりと変わっているのです。一面が水面になっている!
「あ、そうか」とそこで気がついたのは、いまは潮が満ちているのだな、ということ。後で調べると、谷津干潟は二本の水路で海と繋がっているのでした。
空は次第に青空が見えてきて、光線の具合がよく、昨夕よりはよい写真が撮れそうだ、と期待できるのですが、全体に海水が満ちたため、今度は鳥たちが干潟全体に分散し、岸よりも遠いとところにいる鳥たちが多くなっています。なかなか人間の期待通りにはいかないものです。
潮の満ち干、どこにどういう鳥が多いかなど、近くで観察を繰り返してこそ、そういう勘は養われるのでしょうが、初めて出かけていって、一晩泊まってよい写真が撮れるほど、甘くはないのでした。

干潟全体に潮が満ちていくと、鳥たちの移動が起きるようです。
カモたちの飛ぶ姿は、写真で撮るのはもちろんのこと、見るのも初めてでした。
今回はとりあえず干潟の紹介程度ですが、次回、肉薄とは言いませんが、それぞれの鳥たちに焦点を当てた記事を書きたいと思います。

鋸山(のこぎりやま)というと、山の崖の岩に彫刻された巨大な「大仏」とか、「百尺観音」の写真を見たことがあって、内房で気軽に立ち寄れる観光スポット、というイメージでいた。
鴨川へ宿泊した家族旅行の帰り、大山千枚田付近を歩いたあと、「どこへ行こうか、鋸山にでも寄ってみようか」と長女の案内で軽い気持ちで立ち寄った鋸山だが、ロープウェイが点検整備中ということで、「百尺観音」の近くの駐車場まで有料自動車道を走り、そこから山頂展望台まで登ろう、ということになった。
ふつうの展望台だけでなくて、「地獄のぞき」とか、とんでもなくこわい岩の上で景色を楽しんだあと、かみさんが「こちらから降りて行こう」と誘ったのが「千五百羅漢巡り」の階段を下っていくコースだった。

鋸山の南斜面は「日本寺」という現在は曹洞宗の禅寺の境内になっている。
第九代の住職の発願で江戸時代に大野甚五郎が門弟27人とともに21年かけて1553体の石仏を刻み、鋸山の岩の洞などに安置したのが「千五百羅漢」だという。
これがなかなかすばらしい。百聞は一見に如かずで、まずは写真を眺めていただきたい。

下の縦の写真が、二枚横に並ぶよう、ブラウザの横サイズを調整していただければ見やすくなります。
















このような石仏群に出会うとは思っていなかった。
山の南斜面を下る急な階段と道を、ずっと降りていく途中に、このような石仏群が岩を穿ったところに数多く安置されている。
みなさんにもこのよさが伝わればいい、と願っている。
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昨晩は「横須賀学院クリスマス音楽会第50回メサイア公演」に出かけたのと、この記事の写真枚数が多いため更新が遅れました。
メサイアはすばらしい歌唱と演奏で、よい時を過ごさせてもらいました。

12月10日、外房の鴨川市小湊港にある「漁師料理 海の庭」という小さな旅館に宿泊しました。5階建てで全8室程度、こぢんまりとしている分、サービスは行き届き、魚の料理がとてもおいしく、量も食べきれないくらいでした。
宿泊の最初は各自が浴衣を選ぶところから始まるのですが、さまざまな明るい柄のものがあり、帯と合わせて自由に選ぶことができるようになっています。なかなか気が利いています。
貸し切り露天風呂があるので、これも家族で試してみました。

料金は一人分がぼくの京都の宿泊代金の倍を少し上回る程度です。たまの家族旅行だから贅沢だけどいいじゃないか、ということです。
駐車場は宿の前の小湊港の駐車場の無料券をもらえるので、そこへ自動車を停められます。

小湊港は鯛ノ浦の観光船が発着する港で、防波堤の外側の岩礁地帯沖が鯛の生息地となっているようです。
翌朝、朝食前に娘たちと港へ写真を撮りに出ました。
こういう光景は宿泊しているからこそ撮ることができるのでしょう。日が昇りきってしまったら、こうした感じに撮ることはできません。

海岸の遊歩道を歩いて行くと、鯛ノ浦に浮かぶ小島、大弁天と小弁天が見えてきます。干潮のときは歩いてわたることができます。
上の写真、くっきり見えているのは大弁天。小弁天は岬の黒い影の内側に隠れて真っ黒になっています。

歩き進むにつれて、小弁天も見えてきました。

鳥居のある島が小弁天です。娘たちによると、岩が濡れていてすべりそうなので、渡るのは断念した、とのことでした。

これまでの写真、時間の経過が陽の高さと明るさの変化でなんとなくわかりますね。

岩場の黄色い花。海岸の花に詳しい方、どなたかご教示下さいませ。

この付近一帯の入り江は「蓮華ヶ渕」と呼ばれ、この海岸の砂はとりわけ輝きが美しく俗に「五色砂」と言われています。
さて、小湊港の駐車場へ戻ってきて自動車を出そうとしてびっくり。ウインドウや車体にびっしりと白いものが…。一晩の海風の威力を思い知りました。(帰宅後翌日一番の仕事は車洗いでした)