神田川沿道の花見散策 2017.04.09 -- 1

2017.04.09(18:15)

170408 神田川 桜花見歩き1i

 撮影場所:神田川
 撮影日:2017.04.08
 撮影機器:iPhone6 以下同じ

 昨日4月8日は、横浜は一日中雨でしたが、東京都内は雨は上がっていました。
 Sah Poの会は11時30分に東中野駅に集合、神田川沿いにずっと早稲田付近まで歩きました。
 橋が多いのですが、橋の上からはご覧の通りです。


170408 神田川 桜花見歩き3

 iPhone6 での撮影ですが、曇天でも満足のいく花見散策だったことは十分に伝わることと思います。


170408 神田川 桜花見歩き2

 本日は家庭内のLANネットワークに少し手を加えようとしたところ、設定を壊してしまい、どうしても元通りになりません。かなりの重症です。
 一時はインターネットがまったく繋がらなくなり、さすがにそれでは困るので、応急処置をしております。
 夕刻には疲れ果てて応急処置のまま投げ出しました。

 もう2、3本、花通信の記事を書くつもりがまったく手つかずとなりました。
 そこで本日は久しぶりのSan Poの会の報告です。

キリンビール横浜工場の見学 〜 第107会 San Poの会

2015.07.02(13:50)

キリンビール生麦工場

 6月28日、第107回 San Poの会 では神奈川県立歴史博物館、野毛山公園・動物園、横浜能楽堂、掃部山公園などを巡った後、キリンビール横浜工場(生麦)を見学しました。
 工場見学は工場内に入る直前に空模様が崩れ、工場見学中はどしゃぶり。晴れた頃に見学終了というベスト・タイミングでした。
 上の写真は工場見学を終えて工場敷地内の庭に出たところで撮影しました。


150628 キリンビール生麦工場2

 同社の説明によると、〈仕込〉糖化 → 麦汁濾過 → 煮沸 → 発酵 → 貯蔵・濾過 の工程のうち「麦汁濾過」の工程において、一般的な製法では「一番搾り麦汁」と「二番搾り麦汁」を混合して使うところ「一番搾り麦汁」のみを使うのでうまみたっぷりなのだ、とのこと。
 上の写真は、〈仕込〉の糖化または濾過の工程部分だったと思います。下の写真はどの段階だったか…、よくわかりません。


150628 キリンビール生麦工場1

 ビールの試飲は20分間3杯まで。最初に横浜工場特製の「横浜搾り」が提供されます。ほとんど飲めない私ですが、それでもおいしかった。
 ただ、「横浜搾り」は現在売り切れで販売はしてもらえません。


150628 キリンビール横浜 アガパンサス1


150628 キリンビール横浜 アガパンサス2

 工場の庭のアガパンサスとアメリカデイゴを撮ってきました。
 この日はウォーキング主体のため、カメラは iPhone を使用しました。


150628 キリンビール横浜 アメリカデイゴ


 ブログの更新が間遠になり、みなさんのブログを訪問する頻度も少なくなっておりまして、申し訳ございません。
 現在、私の頭の中はイタリア・ルネサンス美術で溢れそうになっています。今週は月曜、火曜、水曜と3日連続で横浜美術館美術情報センターに通い、分厚く大きい画集とその解説に没頭する時間を過ごしております。家でも10数冊の参考図書を併行読みしつつ格闘していまして、写真整理、ブログ更新の時間を取れないでいます。
 深入りすればするほど知識は深まり、おもしろくなってくるのがこの世界。最終的には現地の実物見学を目標にして頑張っております。

新春 七福神巡り 〜 第89回San Poの会(1月11日)

2014.01.22(20:45)

【浅草寺】

浅草寺宝蔵門140111

 「七福神巡り」というのは日本の正月の風習ですが、七福神を参拝することには、不老長寿、商売繁盛、五穀豊穣、家内安全など、所願成就のご利益がある、ということにかこつけて、とくに江戸時代、庶民のレジャーとして習慣化したものと思われます
 七福神だけを祀っている寺社というのはあまりなく、それぞれ本来祀られている神様や仏様ににプラスαみたいなかたちで、本殿の横や、少し離れたところに別途祀られていることが多く、現代では町の振興のために、町内の寺社などに七福神の祀られているところを捜して、それぞれ割り振って、新年用のパンフレットを作成し、一般の参拝客に配布していることが多いようです。

 第89回「San Poの会」は「浅草名所七福神巡り」として浅草から上野方面へ向けて次の寺社を歩いて回りました。
 大黒天/浅草寺(影向堂)、恵比寿(浅草神社)、毘沙門天/待乳山聖天、福禄寿/今戸神社、布袋尊/橋場不動尊、寿老人/石浜神社、寿老人/鷲神社、弁財天/吉原神社、福禄寿/矢先神社
 九寺社あるのは、「九は数の究みで、一は変じて七、七は変じて九と為す」ことから九寺社となった、ということだそうですが、どうもよくわかりません
 それぞれのご利益を書いてみますと、
 大黒天は五穀豊穣、子孫愛育の神。恵比寿神は豊漁、商売繁盛、除災招福の神。毘沙門天は武道成就、開運厄除、大願成就の神。福禄寿は幸福長寿の神。寿老人は無病息災、延命長寿の神。(なお、福禄寿と寿老人は一般に混同されやすく、絵などに描かれた場合も真別がつかないことが多いようです)布袋尊は家庭円満、家運隆盛の神。弁財天は恋愛成就、学問技芸成就の神、ということになります。
 
 一枚目の写真は浅草寺の宝蔵門、雷門から仲見世を通ると見えてきて、この宝蔵門をくぐると本堂が見えます。


浅草寺影向堂140111

 二枚目の写真は影向堂(ようこうどう)です。本堂の左裏手にあり、ここに大黒天が祀られています。


【浅草神社】

浅草神社の夫婦狛犬140111

 浅草神社というのは浅草寺の右側にある神社です。なぜか写真を撮り損ねています。たしか恵比寿様は隠されていて、拝めなかったのではなかったか、と記憶しています。
 そこで、代わりに夫婦狛犬の写真を掲げておきます。


【待乳山聖天】(まつちやましょうてん)

待乳山聖天140111

 四枚目の写真は毘沙門天が祀られている「待乳山聖天」(まつちやましょうてん)です。そもそも浅草寺が聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)を本尊とする聖観音宗の総本山であり、その宗派の一寺です。池波正太郎誕生の地だそうです。
 眺めがよいので江戸時代から人気の地だったようです。


【今戸神社】

今戸神社の絵馬140111

 さて、福禄寿の祀られている今戸神社です。
 縁結びにご利益ありとして話題になり、以前訪問したときは若者たちの長蛇の列でしたが、今回はそれほどでもないようです。
 写真は絵馬に書かれた若者たちの願い事を読んで、興味津々のSan Poの会のメンバーたち。若者たちの願い事を盗み見て、何を想っているのでしょうか。


【橋場不動尊】

橋場不動尊140111

 六枚目の写真は布袋尊が祀られている橋場不動尊。天台宗のお寺です。
 本尊の不動明王は石山寺を開いた良弁の作だそうで、風格がありました。


【石浜神社】

石浜神社140111

 七枚目の写真は寿老人を祀っている石浜神社。ご覧のように、東京ガスのタンクが目立つのが印象的でした。


【鷲神社】(おおとりじんじゃ)

鷲神社のなでおかめ140111

 八枚目の写真は寿老人を祀っている鷲神社(おおとりじんじゃ)の「なでおかめ」です。
 おでこをなでれば賢くなり、目をなでれば先見の明が効き、鼻をなでれば金運がつく そうでして、San Poの会メンバーのIさんは鼻をなでています。ぼくも真っ先に鼻をなでてきました(笑)


【吉原神社】

吉原弁財天140111

 九枚目の写真は弁財天を祀っている吉原神社(支社)です。興味深かったのは関東大震災当時の吉原の遊女たち(震災で数多く亡くなったそうです)の写真などが展示されていることで、興味深い資料でした。
 なお、上の写真はSan Poの会のNさんが撮影したものをお借りしました。

吉原神社の資料写真140111

 吉原神社のあと、かっぱ橋道具街を通り、台東区立中央図書館内にある池上正太郎記念文庫を訪ねました。
 池波正太郎記念文庫は以前かみさんと見学したことがあります。書斎が再現され、彼が描いた絵や、愛用した道具類の展示もあります。


【矢先稲荷神社】

矢先神社140111

 十一枚目の写真は福禄寿を祀っている矢先稲荷神社です。拝殿の格天井には、歴史上の武将たちの「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されていて、なかなか見応えがありました。


矢先稲荷神社拝殿の天井絵140111


【銀座線の踏切】

銀座線の踏切140111

 さて、ここから上野の銭湯「鶴の湯」まで行く途中、銀座線の踏切を見つけました。
 道路を銀座線の線路が渡っているのです。ここは普段は閉じられたままですが、地下鉄を地上へ出して、整備点検を行う時に開いて、電車を通すということです。普通の踏み切りとは逆の運用になります。
 上の写真は地下から出てくる線路。

 下の写真は整備点検を行う施設でしょう。

銀座線の踏切反対側140111

 憶えていらっしゃる方もあるかと思いますが、ブラタモリの放送がありました。
 なお、踏切の写真は2枚ともN さんからお借りしました。ぼくはすでにカメラをリュックに入れてしまい、もう出すのは面倒だと言ったら、Nさんが快く撮ってくださいました。
 ぼくのカメラはオリンパスの、Nさんのカメラはニコンのコンパクト・デジカメです。

 このあと、「鶴の湯」で身体を温め、御徒町駅付近で懇親会を開きました。
 

【日常の記録】

 1月22日、よく晴れていたので、午前中から鎌倉へ出かけました。長谷の光則寺で侘助やソシンロウバイを見て、鎌倉駅に戻ってから、バスで大塔宮まで行き、瑞泉寺まで歩きました。水仙には少し早かったか…、というところです。
 帰りは駅まで歩きました。案外と近かった。運動不足につき、少し歩きたかったのです。

日本大通り、神奈川県庁本庁舎、山下公園通り(第87回San Poの会記録 2)

2013.12.06(18:00)

【日本大通りのイチョウ並木】

日本大通りのイチョウ並木131127

 昨晩の「横浜公園の紅葉」の続きです。
 横浜公園の北側に立って、まっすぐ横浜公園方向を眺めると、広い通りが港のほうへ延びています。
 わずか36m の街路です。横浜公園と象の鼻波止場を結ぶ通りで、明治3年に完成しました。写真の日本大通りの右側(東側)が外国人居留地であり、左側(西側)に県庁、横浜税関など、日本の開港施設が作られました。


日本大通りのイチョウ並木縦131127

 日本大通りはイチョウ並木の黄葉がたいへん美しく、横浜公園からここを突き当たりの海岸通りまで歩き、右折して、イチョウ並木を山下公園前まで歩くのが、秋の黄葉のときの散策のベストコースです。
 また、日本大通りには神奈川県庁本庁舎などの古い建物が残っていて、横浜らしさを味わうことができます


逆光の日本大通り131127

 半分くらい歩いてから、横浜公園方面を振り返って見ています。午後はやや逆光気味になります。
 上の3枚の写真は、3日前の27日に一人で歩いたときの写真を使用しました。
 並木全体の様子は、28日の強風でやや葉が落ちてしまっていたからです。


【神奈川県庁本庁舎】

イチョウと神奈川県庁舎N131130

 写真の建物は、日本大通りを半分と少しまで歩き進んだ左側、神奈川県庁本庁舎です。
 本庁舎は関東大震災で焼失したので、昭和2年から3年にかけて建て直されました。
 まん中の塔は、「キングの塔」の愛称が付けられています。
 本庁舎は現在も使われていて、毎月第三日曜日に、知事室、貴賓室など内部を見ることができ、また屋上に上がり港を一望することができます。

 上の写真はSan Poの会のNさんの写真をお借りしました。(30日撮影)
 本日の記事は、11月27日午後2時頃の写真と、30日正午過ぎのSan Poの会での写真とで構成しています。


イチョウと神奈川県庁舎斜め縦131127

 上は27日、ぼくの写真です。
 大きな違いは3本の旗ですが、30日は土曜日で、おそらく午後になると県庁の職員さんが旗を下ろしてしまうのでしょう。


【開港広場前交差点付近のイチョウの黄葉】

開港広場前のイチョウの黄葉131130

 「日本大通り」を突き当たりまで歩き、左折すると「海岸通り」、右折してすぐの交差点が「開港広場前交差点」です。
 写真はSan Po の会Nさんが撮影した「開港広場交差点」付近のイチョウです。
 お洒落なレストランなども立ち並び、港町横浜らしい雰囲気の漂っている地区です。
 ここから、「山下公園通り」を産業貿易会館、県民ホール、ホテル・ニューグランド、マリン・タワーなどを右に、山下公園、氷川丸が停泊する横浜港を左に見ながら、元町方面へ向かいます。


【山下公園通りのイチョウ並木】

山下公園通りのイチョウの黄葉横131127

 「開港広場前交差点」を過ぎるとその向こうにまっすぐの道路が続いています。「山下公園通り」です。
 上の写真は27日に産業貿易センターの手前で撮影しました。
 27日の一人での散策と、30日のSan Poの会の写真が混ざりますが、イチョウの葉のボリューム、撮影時間が約1時間半ほど違うだけで、日の強さと向きが変わり、印象が変わります。


山下公園通りのイチョウの黄葉縦131127

 同じ産業貿易センター付近ですが、縦方向にするとボリューム感が出ます。(27日撮影)


山下公園通りのイチョウの黄葉縦アップ131127

 同上。


県民ホール前のイチョウの黄葉N131130

 上は県民ホール前、30日のNさんの写真です。


ホテル・ニューグランド131127

 ホテル・ニューグランドは27日のぼくの写真です。


バラと氷川丸N131130

 バラと氷川丸。上のNさんの写真のほうがぼくよりよく撮れていました。
 作為のない自然体がよいようです。
 

横浜公園の紅葉(第87回San Poの会 記録 1)

2013.12.05(18:30)

【11月27日の横浜公園】

横浜公園の紅葉131127

 JRの横浜駅から京浜東北線に乗って南へいくと次の駅は「桜木町駅」です。
 じつは「桜木町駅」こそが本来の「横浜駅」でした。汽笛一声新橋を離れた汽車の終点は当時の横浜駅、つまり「桜木町駅」でした。
 京浜東北線は長いあいだ「桜木町駅」を終着駅としていましたが、根岸線として延長され、「桜木町駅」の次は「関内駅」となっています。
 「関内駅」を降りたら、海側(横浜港側)を「関内」といい、反対側が「関外」です。
 日米修好条約にともない、横浜が開港されましたが、開港場が設定され、関所のような施設があったので、その内側を「関内」と呼びました。


横浜公園の紅葉見上げ131127

 関内駅の北口で降りると、目の前に横浜DeNAベイスターズの本拠地横浜球場がありますが、球場施設を含めた 63,800㎡の長方形の公園を「横浜公園」といいます。
 この「横浜公園」は開港場の東西のちょうどまん中に位置していたのですが、じつは当時は公園ではなく遊郭があり、「港崎遊郭」と呼ばれていました。これが江戸末期に火事で焼けて、明治8年になって横浜公園として整備され、公園のまん中から港へ真っ直ぐ伸びる幅広い道路が新設されました。それが「日本大通り」です。
 開港場のまん中の「日本大通り」と「横浜公園」から東側が、「外国人居留地」であり、西側が開港のための日本の施設、役所や税関などのための地域となりました。この二地域を合わせて「関内」と呼んだのです。


ススキとアオサギと紅葉131127

 というわけで、本日は「横浜公園の紅葉」です。
 横浜スタジアム北東側の、日本庭園の紅葉を撮影しています。
 前半が11月27日の散策で撮影した写真で、後半が11月30日の「第87回San Poの会」のときの写真です。
 上の写真は、失敗写真を無理矢理修正してなんとか見られるようにしていますので、多少違和感を感じられるかも知れません。


アオサギとカエデと亀131127

 このアオサギは残念ながら30日に再訪したときは池にいませんでした。
 写真を撮っていると賑やかな年輩の女性たちが集まってきて、わいわいがやがやと騒ぐものですから、下のようにアオサギは飛び立って場所を変えてしまいました。


飛び立つアオサギ131127

 宙に浮かんでいる白い物はなんでしょうねぇ。謎です。


カメラマンと眼が合ったアオサギ131127
 
 ぼくは飛び立って場所を変えたアオサギを、池を回って追いかけました。


【11月30日 San Poの会 で訪問した横浜公園】

横浜公園の紅葉N131130

 上はSan Poの会のNさんの写真をお借りしています。
 見やすいように多少修正させていただきました。
 以下、Olympus のコンパクト・デジカメで撮影した写真が続きます。


横浜公園の紅葉131130

 カエデの紅葉は27日よりも進んでいて、とてもきれいになっていました。


横浜公園の紅葉と池131130

 この記事は、次回「日本大通りの紅葉」へと続きます。


【4月の横浜公園】(付録)

横浜公園のチューリップとスタジアム

 なお、横浜公園は毎年4月頃になると、チューリップの庭園に変身します。
 上は今年の4月12日に撮影した写真です。
 背景に横浜スタジアムが見えています。

帷子川親水緑道から、駕籠塚、白根不動尊へ(第86回San Poの会 記録記事)

2013.11.26(22:40)

【「帷子川親水緑道」の入り口付近】

帷子川親水緑道入り口の池131123

 11月23日の「第86回San Poの会」のウォーキング記録です。
 立派に整備された新宿御苑の紅葉記事のあとではつらいものがありますが、横浜のごく一般的な住宅地近辺の紅葉ということで、素朴な味わいがあります。
 今回のメンバーは計5名。11時半に相鉄線鶴ヶ峰駅に集合し、帷子川親水緑道付近でお弁当昼食、そこから畠山重忠の妻のゆかりの地である駕籠塚を訪ね、ふるさと尾根道緑道を少し歩いてから白根神社、白根不動尊へ向かう、というルートでした。

 「帷子川親水緑道」というのは、帷子川の河川改修で帷子川がまっすぐ広く流れるよう流れを変えた際に、旧河川敷にそって遊歩道を作り公園にした、ということのようです。
 鶴ヶ峰付近から「帷子川親水緑道」へ入って行く付近は池があり、日本庭園のように整備されていました。


【帷子川親水緑道の散策】

帷子川親水緑道の散策131123

 住宅地の谷間を流れる旧河川は「中堀川」と呼ばれているようです。
 写真は散策の様子です。リーダーのNさんの写真を拝借しました。


【帷子川】

帷子川131123

 10分ほど歩くと、現在の帷子川にぶつかります。
 横浜駅前に勤務していたことのある私から見ると、「ああ、あの汚い川…」という感じなのですが、この付近はとてもきれいでした。
 この後、「帷子川親水緑道」の入り口付近に引き返し、そこでお弁当昼食としました。


【駕籠塚】

遺跡駕籠塚131123

 「駕籠塚」は畠山重忠が北条義時の軍勢と戦って敗れ、自害した地。重忠の内室「菊の前」は夫の死を知り、自害、駕籠ごと葬られたといいます。
 畠山重忠は鎌倉幕府内では清廉潔白、剛胆、謹厳実直な武将と知られ、人気のあった御家人です。
 たとえば梶原景時とか、いろいろと評判の悪い武将もいる中で、これほど評判のよかった武将はいなかったのに、北条時政夫人の「牧の方」が「彼は謀反を起こそうとしている」と讒訴したのでした。
 「牧の方」の娘婿と、畠山重保(重忠の息子)との間に諍いがあり、「牧の方」が時政に訴えて畠山父子を陥れてやろうと狙ったのです。

 こうした汚いやり方は、執権北条氏の得意技です。
 北条時政にしろ、その息子の義時にしろ、幕府に貢献した有力御家人を片っ端から陰謀で陥れ、実権を握っていきました。北条氏の歴史というのは、まさに陰謀の歴史といっても過言ではない、とぼくは思います。

 畠山重忠は「鎌倉に異変あり」と聞いて館を出て、鶴ヶ峰付近まで来たとき、義時の大軍とぶつかり奮戦の上、自害しました。
 重忠の息子の畠山重保は鎌倉にいたのですが、「一大事」とい聞いて郎党を引き連れ出て見れば、兵が弓に矢をつがえている。繰り出してきた連中に「何があった? 謀反か?」と問えば、「謀反人は貴殿だ」との返事だったとか…。ひどい話です。
 北条義時は時政と「牧の方」から話を聞いて「まさか、あの畠山重忠が…」とは思いつつ、父と継母が「謀反だ」というので仕方なく兵を起こしたということですが、実際にはどうだったのか…。
 義時はこの事件を利用し、「讒訴した」ことを理由に父時政と継母「牧の方」を追いやり、実権を握りました。うるさかった父親を追い出すために事件を利用したのです。
 だから、事件後も畠山重忠を悪くいう人間は誰もいません。彼はいまだに鎌倉幕府の英雄なのです。
 力持ちで、馬を大切にした、ということで知られています。


【ふるさと尾根道緑道】

ふるさと尾根道緑道131123

 「ふるさと尾根道緑道」は横浜市旭区の背骨に当たる稜線にそって、導水路敷きを中心に整備された緑道で、全長約1.6km あるそうです。
 上はN さんが撮られた写真をお借りしました。


【白根神社の白糸の滝】

白根神社白糸の滝・大滝

 さて、白根神社に着きましたが、社殿は小さく、これが鎌倉入りのときに頼朝が祈願した神社なのか? というほどのものしかありません。
 ここはどうも「白糸の滝」と、高台にある「白根不動尊」が見どころのようです。
 もう少しカエデが紅くなっていればなあ…、というところです。


【白根不動尊】

白根不動尊131123
 白糸の滝の横を登って行くと、一段と高いところに「白根不動尊」の社殿がありました。本尊は弘法大師の作と伝えられる約5cmの不動明王の座像だそうです。

 下は白根不動尊の境内の紅葉の様子です。

白根不動尊境内131123

 今回の 散策はここまで。
 恒例の銭湯は「竜泉寺の湯」というスーパー銭湯でした。
 「竜泉寺の湯」でゆっくりしたあと、鶴ヶ峰駅前で懇親会を開いて解散しました。

 以上の写真はコンパクトデジカメを使用しています。ウォーキング記録なのであまりこだわって撮る余裕はなく、ちょっと乱暴ですが、紅葉の下での散策の雰囲気は出ているように思います。

谷中霊園から根津神社 〜 第80回San Poの会

2013.06.16(17:00)

本行寺130518

 5月18日、第80回San Poの会 の記録記事です。
 この日は日暮里駅前に集合し、谷中付近から根津神社まで歩いて折り返し、最終は西日暮里駅というコースでした。
 谷中はお寺がたくさん集中してることで知られています。そもそも徳川幕府がこの地に寺院を集中させようという政策だったと言われているようです。
 まずは「本行寺」。景勝の地であったことから通称「月見寺」と呼ばれていた、ということで知られているようです。


天王寺130418

 このあと谷中霊園を通りつつ「天王寺」へ向かいます。谷中霊園は都立の共同墓地ということになっていますが、もとは天王寺と寛永寺の墓地であったそうです。
 天王寺」はもとは「感応寺」といい、日蓮宗の寺でしたが、幕命により天台宗に改宗させられたとか。

 上は天王寺の境内です。


天王寺五重塔跡130518

 幸田露伴の「五重塔」は感応寺の五重塔建立をめぐる職人の頭領と、天才肌の大工の争いを描いたものでした。
 この五重塔は昭和32年に放火心中事件があって炎上したため有名で、佐々木譲(直木賞作家)の「警官の血」は、その炎上事件の真相究を大罪としています。
 上が炎上した五重塔の跡です。


谷中霊園130518

 「谷中霊園」はこんな様子のところです。


徳川慶喜の墓130518

 上の写真は徳川慶喜の墓所
 妙なかたちの墓だと思われるかも知れません。神道式なのです。
 「寛永寺や増上寺の徳川家歴代の霊廟ではなく、谷中霊園に神道式の墓所を作った変わり者」と、案内のボランティアの方がほかのグループに説明していたのを、メンバーのTさんが耳を澄ませて聞いていました。このボランティアさんは明らかに、徳川慶喜を快く思ってはいないようだった、とか。


寛永寺根本中堂130518

 寛永寺の本堂(根本中堂)です。根本中堂などという呼び方が出てくるのは、天台宗の関東総本山らしいなあ、と思いました。天王寺だって日蓮宗から天台宗へ改宗させられた。寛永寺の開山天海大僧正の力が強かったのだろうなあ、と思う次第です。
 寛永寺への訪問はぼくは初めてです。有名だけれども訪れたことがない、という方は案外と多いのではないでしょうか。


愛染堂130518

 こちらは自性院愛染堂
 愛染堂に安置した愛染明王像で知られているそうです。
 「愛染かつら」はここの桂の木がヒントになったとか説明書きがありますが、「愛染かつら」を読んだことがないのでとくに感想はありません。


瑞輪寺130518

 こちらは瑞輪寺
 写真の屋根の紋章を見れば明らかな日蓮宗の寺院ですが、ここはなんと徳川家と密接な関係があったのでした。
 徳川家康が幼少の頃、日蓮宗の日新上人が学問を教えたとかで、家康が天下統一を為した1591年に日新上人を開山として瑞輪寺を創建したとか…。天王寺は天台宗に改宗させられましたが、瑞輪寺は日蓮宗の寺として創建してもらったのでした。


根津神社楼門130518

 根津神社の楼門です。ここは昨年の夏自分一人で来ています。心臓の手術の跡のリハビリということで、昨年8月、9月はかなり頑張ったのでした。
 拝殿のきらびやかな装飾が目を惹きます。
 あの頃は カメラを CANON に切り換えてあれこれ試している頃。昨年の記事は画像の粗さが目立ちます。
 根津神社拝殿をご覧になりたい方はここをクリック → 2012年夏の根津神社


乙女稲荷神社130518

 境内にある乙女稲荷神社は、相変わらず優美でした。


全生庵130518

 全生庵(ぜんしょうあん)という寺へ来ています。山岡鉄舟の墓所があります。江戸城の無血開城に尽力しました。初代三遊亭圓朝の墓が隣にあります。ぼくは落語についてはあまりよく知りません。
 下の写真が山岡鉄舟の墓


山岡鉄舟の墓130518

 上が山岡鉄舟の墓

 この後、「岡倉天心記念公園」に立ち寄っています。明治31年に日本美術院が建てられたのはこの場所だそうです。六角堂の写真などありますが省略します。


経王寺130518

 さらに歩いて、夕焼けだんだんの様子を上からちらっと見ました。猫は一匹もいませんでした。そして辿り着いたのが経王寺


経王寺門扉130518

 ここの門扉の弾丸跡については、2011年にも記事にしました。敗走した彰義隊士をかくまったため、新政府軍の攻撃を受けた、ということのようです。


スポーツクラブのビルの外壁130518

 西日暮里駅前にあるスポーツクラブのビルがありまして、その外壁を撮しました。

 たくさん歩いたようでいて、それほどでもない。狭い地域をぐるぐると回りました。谷中付近は、歩くと史跡にぶつかります。おもしろいところです。
 入浴は西日暮里駅近くの富来湯。その後懇親会を開いて解散しました。

 ウォーキングが主体ですので、カメラはOlympus のコンパクトデジカメを使用しています。
 よく晴れた日は空や寺院の屋根など白飛びしやすく、暗いところは真っ黒に落ちてしまいがち。それを無理矢理 Photoshop で修正しています。やはり多少画面が荒れてしまいますが仕方ないでしょう、

佐倉市城下町地区の散策 〜 第79回San Poの会 ウォーキング記録

2013.05.12(18:00)

【旧堀田邸】

旧堀田邸2130427

 4月27日、第79回 San Poの会は、千葉県の佐倉市まで遠征しました。
 JR佐倉駅に11時に集合です。JR佐倉駅→旧堀田邸→佐倉順天堂記念館→千葉県立佐倉高等学校(記念館・鹿山文庫)→麻賀多神社→武家屋敷→佐倉城址公園→京成佐倉駅 と、歩いて回りました。
 簡単に言えば、広い佐倉市の中で、いわゆる城下町地区と呼ばれる部分を歩いたことになります。


旧堀田邸座敷より庭園を眺める130427

 佐倉は江戸時代初期に土居利勝が佐倉城を築き、その後堀田氏の居城となりました。幕末期の老中堀田正睦が有名です。安政の大獄などに巻き込まれて、佐倉城に蟄居を命じられるなどしました。最後の藩主が「堀田正倫」であり、明治になってからは華族として佐倉の教育や農業の育成に力を尽くします。
 旧堀田邸は堀田正倫の邸宅で明治23年に竣工したものです。


旧堀田邸1130427

 写真は、居間棟の1階廊下から、書斎棟を眺めています。
 その向こうに見えている広場で、私たちは昼食タイムをとりました。


【佐倉順天堂】

佐倉順天堂入り口130427

 写真は「順天堂記念館」です。
 
 順天堂大学病院と言えば御茶ノ水駅を降りたところなので、「なぜ佐倉に順天堂があるのか?」と疑問に思います。
 最初に佐藤泰然という人物がいまして、佐倉藩の堀田堀田正睦 の招きで江戸から佐倉へきて、病院 兼 蘭学塾「佐倉順天堂」を解説するのです。俗に「西の長崎、東の佐倉」という言葉があったほど、佐倉藩の蘭学の隆盛は有名でした。
 「順天堂記念館」はこの 病院 兼 蘭学塾 の建物(安政5年)の建物が残っているものです。

手術料金表全体130427 手術料金表部分130427

 手術道具とか、各種施術の料金表とか、ついつい見入ってしまいます。

 初代佐藤泰然の養子に佐藤尚中という方がいまして、台東区下谷に開院したのが東京の順天堂医院の始まりです。明治8年に湯島に移転して、現在のような大病院になりました。


【佐倉高等学校】

佐倉高校記念館の玄関130427

 写真は佐倉高等学校記念館(旧佐倉中学校本館)です。
 佐倉高等学校は、元々は佐倉藩主の創設した藩校に始まると言われ、この建物も、最後の藩主堀田正倫が土地購入費、建築費を提供しました。


佐倉高校記念館見上げ130427

 NHKのテレビドラマ「梅ちゃん先生」り下村梅子が受験した城南女子医学専門学校のロケ地として使われたので、憶えていらっしゃる方も多いのではないか、と思われます。(内部は現在非公開)


佐倉文庫古文書の展示130427

 しかし、佐倉高校といえば長嶋茂雄選手の出身校として有名です。
 鹿山(ろくさん)文庫として知られる建物が高校施設内にあり、数々の古書(藩校以来の和漢洋書約1万点。手書きの蘭日辞書などが目をひく)とともに、長嶋茂雄選手関係の展示もありました。


長嶋茂雄氏関係展示品130427


【麻賀多神社】

神社と鯉のぼり130427

 佐倉藩の総鎮守の神様とされている麻賀多(まかた)神社です。祭神は稚産霊命(わかむすびのみこと)。


【武家屋敷の見学】

武家屋敷三棟の見学130427

 城下町地区の中心部に武家屋敷が三棟残されていました。
 当時の武家屋敷というのは、個人所有ではなく藩から貸与されていたものだそうです。石高によって建物の規模や内装なども階層別になっています。
 そうしたことを、ボランティアの方が懇切ていねいに教えてくださいます。


最上級武家屋敷内部130427

 上は最上級の武家屋敷、旧河原家住宅です。
 階層別に三棟横並びに並んでいたのか? というと、そうではなくて、中ランクの旧但馬家住宅が最初からここにあり、高ランクの河原家住宅と、質素な武居家住宅は他所からこの地へ移転させ、三軒並べて展示しているようでした。


【佐倉城趾】

佐倉城趾1130427

 戦国時代の大名とは異なり、江戸時代の老中が治めていた佐倉藩ということなので、佐倉城趾といったって、どうせ大したことはないだろう、とぼくは誤解していました。
 写真のような土地が延々と広がっていまして、佐倉とはなんと美しいところか! とぼくはすっかり佐倉のファンになりました。


佐倉城趾2130427


佐倉城趾3130427

 武家屋敷付近から佐倉城趾、国立歴史民俗博物館に至る緑豊かな地域のすばらしさは、数枚の写真程度ではとても伝えきれません。


【国立歴史民俗館横を通る】

国立歴史博物館付近130427

 最後に、「国立歴史民俗館」は時間がなくて行けませんでしたが、体験された方の話によると、大規模で圧倒される展示だそうで、その展示物を見るだけで最低でも半日は掛かる、というものだそうです。ぜひ見ておくべきだ、と言われていまして、いずれ佐倉への再訪を考えております。

 例によって、メンバーは先に京成西船駅に移動し、入浴して疲れを癒した上で懇親会を開き、解散しました。

 (San Poの会のウォーキングでは Olympus のコンパクト・デジカメ XZ-1 を使用していますが、今回から RAW画像で撮影して、Photoshopで現像するようにしましたので、従来よりは画質が向上しています)

西小山、大岡山から洗足池、田園調布を経て久が原へ 〜 第78回San Poの会 ウォーキング記録

2013.05.02(18:01)

円融寺仁王門と八重桜130413

 4月13日 第78回San Poの会のウォーキング 記録記事です。
 今回は東急目黒線西小山駅に集合し、「円融寺→サレジオ教会→すずめのお宿緑地公園→碑文谷八幡宮→清水窪弁財天→洗足池→勝海舟の墓」という第1コースと、「田園調布駅→宝来公園→多摩川台公園古墳群→浅間神社→六郷用水→密蔵院→久が原駅」という第2コースを連続して歩く、という意欲的なログコースでした。

 上の写真は円融寺の仁王門です。
 円融寺(東京都目黒区碑文谷)は天台宗から日蓮宗に変わり、世田谷吉良氏の保護で勢力を増した寺でしたが、幕府の政策で弾圧され、再度天台宗に戻りました。釈迦堂は都区内最古の木造建築だそうです。


円融寺鐘楼と八重桜130413

 円融寺の鐘楼です。
 ウォーキングの際はコンパクトデジカメですので、やや奥行き感に乏しい平板な画面になりますが、ご容赦ください。


サレジオ教会の結婚式130413

 サレジオ教会(正式名:カトリック碑文谷教会)です。ロマネスク様式大聖堂の内部はとても美しく、この日は結婚式の真っ最中でした。


サレジオ教会のステンドグラス130413


スズメのお宿緑地公園の竹林130427

 すずめのお宿緑地緑地公園は竹林が広がっていることで知られていて、この竹林にスズメが多数生息していることからこのように名付けられたそうです。この一帯はタケノコの産地として昭和初期までは知られていたとのこと。こちらで休憩・昼食をとりました。


すずめのお宿緑地公園のセリバヒエンソウ130413

 ハナダイコン、セリバヒエンソウなどがたくさん咲いていました。


すずめのお宿緑地公園の古民家130413

 食事のあと、当地付近の旧衾村から移築された江戸時代中期建築の古民家を見学しました。


碑文谷八幡宮130413

 碑文谷という地名の由来は、碑文谷八幡宮内稲荷社に保存されている梵字を刻んだ「碑文石」のある谷(里)が起源だ、という説があるそうです。碑文谷八幡宮(上の写真)でその碑文石を見学しましたが、ガラスボックスの内側で、乱反射がひどくて写真も撮れず、「へぇ〜、これがそうなの?」というだけでした。


清水窪弁財天130413

 清水窪弁財天というのは、つまりはここに湧き水があって、洗足池の水源のひとつであり、東京都の名湧水57選に選ばれている、その湧き水のところに弁財天が祀られている、ということのようです。


洗足池130413

 「千束」という地名と「洗足池」(東京都大田区南千束にある)とどういう関係にあるのかと思ったら、洗足池はむかし千束の大池と呼ばれていたのだけれども、身延山から池上へ向かっていた日蓮上人が、この地で足を洗ったのだそうでして…。袈裟懸けの松などというのも名所になって、何代目かの松というのがありました。


勝海舟の墓地130413

 池の畔に勝海舟の墓がありました。墓所をここにしたのは、本人の遺言によるものだそうです。

 以上がコース前半でして、ここまででもうずいぶん歩いたという気がしております(笑)


田園調布駅舎130413

 第2コースは田園調布駅からです。写真は復元された駅舎。
 この街は駅から放射状に道路を延ばした都市計画と高級住宅街で知られていまして、歩いて見ればいまでもその面影は十分に残っています。


亀甲山古墳付近130413

 宝来公園を経て多摩川台公園へ向かいます。
 一帯では古墳が多数発見され、その中でも最大の亀甲山古墳が有名です。4〜5世紀の前方後円墳で、この地方の首長の墓であったのだろうと言われています。全長107m、前方部の長さ41m、後円部の直径48m、高さ10m。
 そんな大きなものは航空写真でなければ撮影は無理でして、小高いところに樹木が生い茂った辺りをこの辺が中心かなあ、と言いつつ、記念に写真を撮っておく、ということになります。
 上の写真の左側がたぶん亀甲山古墳の一部でしょう。このあたり、アップダウンが激しく、右側のほうを見下ろすと多摩川の流れが見えます。


多摩川浅間神社130413

 多摩川浅間神社は、出陣した頼朝の身を案じた北条政子が後を追って多摩川まで来たとき、頼朝の無事を祈って聖観音菩薩像を祀ったのが始まりだそうです。
 亀甲山(かめのこやま)へ登ってみると富士山が鮮やかに見えた。富士吉田には、自分の守り本尊である浅間神社があるので、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた正観世音像をこの丘に建てた、とか言われているわけです。


六郷用水130427

 六郷用水というのは、多摩川を水源とする用水路で、現在の狛江市から世田谷区を通り大田区に至る23km でそうです、1597年から14年かけて開削されたそうです。


密蔵院130427

 蜜蔵院というのは真言宗智山派の寺院。庚申堂があり青面金剛立像が安置され、庚申信仰の中心地だったようです。
 庚申信仰については、とくに興味を持って調べ、当ブログでは過去に何回も特集記事を掲載しています。

 クリックしてください → 「道教の世界から日本文化への浸透」

 さて、あとは久が原駅まで歩きまして、黒湯温泉益の湯で入浴、懇親会を開いて解散しました。
 長くなりましたが、ストック写真が溜まっていますので、思い切って一回にまとめました。

豪徳寺、世田谷城趾、松陰神社 〜 第76回San Poの会記録記事の最終回

2013.03.15(21:30)

【豪徳寺】

豪徳寺参道のアカマツ130302

 第76回San Poの会(3月2日)記録記事の第4回です。
 前回世田谷八幡宮で奉納相撲の土俵など見聞しましたが、今回は豪徳寺と世田谷城址公園から始まります。
 写真は豪徳寺参道のアカマツです。


豪徳寺正面130302

 豪徳寺の門を入り、正面は仏殿です。
 豪徳寺は吉良氏が創建した寺院なので、吉良氏についてもう一度復習です。
 吉良氏はもともと足利家の一門です。吉良氏には、奥州吉良氏、三河吉良氏、土地吉良氏があり、世田谷城主であった吉良氏は奥州吉良氏です。
 奥州吉良氏は戦国時代、後北条氏の傘下に入りましたが、秀吉の小田原城攻めで世田谷城は廃城となり、吉良家は世田谷の実相院という寺に蟄居させられたようです。
 世田谷以外に横浜市蒔田(まいた)にも所領があり、「蒔田氏」を名乗った時期もあるようですが、江戸元禄時代に三河吉良氏 吉良義央 が赤穂浪士と悶着を起こして断絶したため、また吉良氏を名乗るようになったそうです。


豪徳寺鐘楼130302

 上は鐘楼ほか境内の様子です。
 すでに述べましたように、豪徳寺は吉良氏が創建した寺院ですが、江戸時代に世田谷付近は井伊家の所領になりましたので、井伊家の菩提寺になりました。


招猫堂130302

 招き猫発祥の地とする説があります。Wikipedia によりますと、井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたということのようです。
 豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音を祀る「招猫堂」を置いています。
 写真がその「招猫堂」です。


豪徳寺の招き猫130302

 一般には、右手(前脚)を挙げている猫は金運を招き、左手(前脚)を挙げている猫は人(客)を招くとされているそうです。豪徳寺の「招福猫児(まねぎねこ)」は写真の通り。


井伊直弼の墓130302

 豪徳寺に、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓があります。
 井伊直弼が暗殺されたのは3月3日ですが、幕府がこれを隠そうとしたので、墓石には「三月二八日没」と彫られています。
 なお、以下は昨年六月の彦根新聞の記事です。

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 「東京都世田谷区の豪徳寺にある彦根藩十三代藩主・井伊直弼の墓に、石室などの埋葬施設が地下3㍍以内になかったことが、区教委などの調査で明らかになった。
 同寺は嘉永10年(1633)に二代藩主・直孝が井伊家の菩提寺とし、直弼ら江戸で亡くなった藩主やその家族、藩士らが葬られているとされる。清凉寺(古沢町)と永源寺(東近江市)と合わせ、彦根藩井伊家墓所として平成20年3月に国史跡に指定されている。
 区教委は直弼の墓石の傾きを直すため、平成21年から翌年に改修した際、地表から約1・5㍍までに石室がないことを確認。その後、東京工業大が行ったレーダー調査でも地下3㍍以内に石室は見つからなかったという。
 これまでは、直弼が安政7年(1860)3月3日に桜田門外で水戸藩士らに暗殺された後、その首を預けられていた遠藤家から井伊家家来が取り返しに行き、江戸藩邸で胴体と縫い合わせられ、喪が秘された後の4月10日に豪徳寺に葬られた―というのが通説になっている。また直弼が流した血がしみ込んだ土は天寧寺(彦根市里根町)に運ばれたとされる。
 豪徳寺に直弼の遺骨がないとした場合、天寧寺など彦根に埋葬された可能性も浮上するが、彦根市教委文化財部の谷口徹部長は「その可能性はないだろう。当時はまだ水戸藩などの不穏な動きもあったため、むしろ豪徳寺のほかの場所に埋葬されているのかもしれない」と分析する。
 真相の解明について、世田谷区教委文化財係は「直弼の墓は国の重要文化財に指定されているため、3㍍より下の発掘はできない。今のところ、どこにあるのか解明する予定はない」としている。

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【世田谷城趾】

世田谷城址130302

 豪徳寺は元は臨済宗、その後曹洞宗の寺院で、吉良氏の世田谷城の跡地にあり、現在では世田谷城址公園と隣接した形になっています。石垣、堀などが残っている様子で、少し写真を撮りましたが、どこがどうなっているのかまで詳しく見ている余裕はありませんでした。


世田谷城址2130302


【松陰神社】

松陰神社正面130302

 世田谷城趾から歩いて、東急世田谷線の若林駅方面へ向かいました。
 松陰神社はその途中にあります。
 吉田松陰が安政の大獄で処刑された後、門弟だった高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文らが小塚原刑場の回向院から松陰の遺骨をここへ移して、墓碑を建てたのが松陰神社の始まりであり、明治15年に神社として創建されたとのことです。


松陰神社拝殿130302

 松陰神社は現在、墓所がある東京都世田谷区と、松陰の生誕地である山口県萩市にあり、どちらも、学問の神様として参拝客は多いようです。


松下村塾の復元130302

 ここには松下村塾を模造した建物が立てられていて、松下村塾を偲ぶことができます。


松下村塾の復元2130302


吉田松陰の墓所130302

 吉田松陰の墓所です。


【若林交差点】

自動車優先の踏切130302

 最後は東急世田谷線と環七が交差する若林交差点。念のためですが遮断機はありません。だから「踏切」というより「交差点」です。この写真は世田谷線が赤信号の信号待ちをしていて、その前を自動車が通過しています。

 San Po の会は、例によって、このあとは三軒茶屋の近くにある銭湯「八幡湯」にて汗を流し、いつもの通り懇親会を開いて解散しました。


【きょうのひとこと】

 井伊直弼は安政の大獄などで必ずしも評判はよくないようですが、横浜という都市が発展したのは横浜が開港したからであり、つまりは井伊直弼のおかげだ、というようなことを、小学校で習ったように記憶しています。
 私は横浜の住人です。横浜の掃部山公園(かもんやまこうえん)には井伊直弼の銅像が建てられています。

San Po の会

  1. 神田川沿道の花見散策 2017.04.09 -- 1(04/09)
  2. キリンビール横浜工場の見学 〜 第107会 San Poの会(07/02)
  3. 新春 七福神巡り 〜 第89回San Poの会(1月11日)(01/22)
  4. 日本大通り、神奈川県庁本庁舎、山下公園通り(第87回San Poの会記録 2)(12/06)
  5. 横浜公園の紅葉(第87回San Poの会 記録 1)(12/05)
  6. 帷子川親水緑道から、駕籠塚、白根不動尊へ(第86回San Poの会 記録記事)(11/26)
  7. 谷中霊園から根津神社 〜 第80回San Poの会(06/16)
  8. 佐倉市城下町地区の散策 〜 第79回San Poの会 ウォーキング記録(05/12)
  9. 西小山、大岡山から洗足池、田園調布を経て久が原へ 〜 第78回San Poの会 ウォーキング記録(05/02)
  10. 豪徳寺、世田谷城趾、松陰神社 〜 第76回San Poの会記録記事の最終回(03/15)
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