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豪徳寺、世田谷城趾、松陰神社 〜 第76回San Poの会記録記事の最終回

2013.03.15(21:30)

【豪徳寺】

豪徳寺参道のアカマツ130302

 第76回San Poの会(3月2日)記録記事の第4回です。
 前回世田谷八幡宮で奉納相撲の土俵など見聞しましたが、今回は豪徳寺と世田谷城址公園から始まります。
 写真は豪徳寺参道のアカマツです。


豪徳寺正面130302

 豪徳寺の門を入り、正面は仏殿です。
 豪徳寺は吉良氏が創建した寺院なので、吉良氏についてもう一度復習です。
 吉良氏はもともと足利家の一門です。吉良氏には、奥州吉良氏、三河吉良氏、土地吉良氏があり、世田谷城主であった吉良氏は奥州吉良氏です。
 奥州吉良氏は戦国時代、後北条氏の傘下に入りましたが、秀吉の小田原城攻めで世田谷城は廃城となり、吉良家は世田谷の実相院という寺に蟄居させられたようです。
 世田谷以外に横浜市蒔田(まいた)にも所領があり、「蒔田氏」を名乗った時期もあるようですが、江戸元禄時代に三河吉良氏 吉良義央 が赤穂浪士と悶着を起こして断絶したため、また吉良氏を名乗るようになったそうです。


豪徳寺鐘楼130302

 上は鐘楼ほか境内の様子です。
 すでに述べましたように、豪徳寺は吉良氏が創建した寺院ですが、江戸時代に世田谷付近は井伊家の所領になりましたので、井伊家の菩提寺になりました。


招猫堂130302

 招き猫発祥の地とする説があります。Wikipedia によりますと、井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたということのようです。
 豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音を祀る「招猫堂」を置いています。
 写真がその「招猫堂」です。


豪徳寺の招き猫130302

 一般には、右手(前脚)を挙げている猫は金運を招き、左手(前脚)を挙げている猫は人(客)を招くとされているそうです。豪徳寺の「招福猫児(まねぎねこ)」は写真の通り。


井伊直弼の墓130302

 豪徳寺に、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓があります。
 井伊直弼が暗殺されたのは3月3日ですが、幕府がこれを隠そうとしたので、墓石には「三月二八日没」と彫られています。
 なお、以下は昨年六月の彦根新聞の記事です。

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 「東京都世田谷区の豪徳寺にある彦根藩十三代藩主・井伊直弼の墓に、石室などの埋葬施設が地下3㍍以内になかったことが、区教委などの調査で明らかになった。
 同寺は嘉永10年(1633)に二代藩主・直孝が井伊家の菩提寺とし、直弼ら江戸で亡くなった藩主やその家族、藩士らが葬られているとされる。清凉寺(古沢町)と永源寺(東近江市)と合わせ、彦根藩井伊家墓所として平成20年3月に国史跡に指定されている。
 区教委は直弼の墓石の傾きを直すため、平成21年から翌年に改修した際、地表から約1・5㍍までに石室がないことを確認。その後、東京工業大が行ったレーダー調査でも地下3㍍以内に石室は見つからなかったという。
 これまでは、直弼が安政7年(1860)3月3日に桜田門外で水戸藩士らに暗殺された後、その首を預けられていた遠藤家から井伊家家来が取り返しに行き、江戸藩邸で胴体と縫い合わせられ、喪が秘された後の4月10日に豪徳寺に葬られた―というのが通説になっている。また直弼が流した血がしみ込んだ土は天寧寺(彦根市里根町)に運ばれたとされる。
 豪徳寺に直弼の遺骨がないとした場合、天寧寺など彦根に埋葬された可能性も浮上するが、彦根市教委文化財部の谷口徹部長は「その可能性はないだろう。当時はまだ水戸藩などの不穏な動きもあったため、むしろ豪徳寺のほかの場所に埋葬されているのかもしれない」と分析する。
 真相の解明について、世田谷区教委文化財係は「直弼の墓は国の重要文化財に指定されているため、3㍍より下の発掘はできない。今のところ、どこにあるのか解明する予定はない」としている。

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【世田谷城趾】

世田谷城址130302

 豪徳寺は元は臨済宗、その後曹洞宗の寺院で、吉良氏の世田谷城の跡地にあり、現在では世田谷城址公園と隣接した形になっています。石垣、堀などが残っている様子で、少し写真を撮りましたが、どこがどうなっているのかまで詳しく見ている余裕はありませんでした。


世田谷城址2130302


【松陰神社】

松陰神社正面130302

 世田谷城趾から歩いて、東急世田谷線の若林駅方面へ向かいました。
 松陰神社はその途中にあります。
 吉田松陰が安政の大獄で処刑された後、門弟だった高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文らが小塚原刑場の回向院から松陰の遺骨をここへ移して、墓碑を建てたのが松陰神社の始まりであり、明治15年に神社として創建されたとのことです。


松陰神社拝殿130302

 松陰神社は現在、墓所がある東京都世田谷区と、松陰の生誕地である山口県萩市にあり、どちらも、学問の神様として参拝客は多いようです。


松下村塾の復元130302

 ここには松下村塾を模造した建物が立てられていて、松下村塾を偲ぶことができます。


松下村塾の復元2130302


吉田松陰の墓所130302

 吉田松陰の墓所です。


【若林交差点】

自動車優先の踏切130302

 最後は東急世田谷線と環七が交差する若林交差点。念のためですが遮断機はありません。だから「踏切」というより「交差点」です。この写真は世田谷線が赤信号の信号待ちをしていて、その前を自動車が通過しています。

 San Po の会は、例によって、このあとは三軒茶屋の近くにある銭湯「八幡湯」にて汗を流し、いつもの通り懇親会を開いて解散しました。


【きょうのひとこと】

 井伊直弼は安政の大獄などで必ずしも評判はよくないようですが、横浜という都市が発展したのは横浜が開港したからであり、つまりは井伊直弼のおかげだ、というようなことを、小学校で習ったように記憶しています。
 私は横浜の住人です。横浜の掃部山公園(かもんやまこうえん)には井伊直弼の銅像が建てられています。

円乗院から羽根木公園の梅園を経て、世田谷八幡宮へ 〜 第76回San Poの会記録記事の第3回

2013.03.14(21:15)

【北沢川緑道】

北沢川緑道130302

 第76回San Poの会記録記事の第3回です。
 代々木上原駅に集合してモスク「東京ジャーミイ」を見学後、下北沢の街を歩き、森巖寺と北沢八幡神社にお参りしたのが前回までのウォーキングでした。
 その時点で世田谷区の代沢の町にいます。このあと、北沢川という川に沿って「北沢川緑道」を南下し、小田急線梅ヶ丘駅方面へ向かいます。


【円乗院】

円乗院全景130302

 途中で、円乗院(代田2-17-3)という真言宗の寺院に立ち寄りました。代田村村民の菩提寺として創建維持された百姓持ちの寺だったそうです。
 世田谷の農民たちは江戸時代から裕福だった、ということでしょうか。


円乗院本堂130302

 円乗院の本堂

円乗院観音堂ハスの鉢130302

 観音堂の前は、ハスの鉢でしょうか。


円乗院観音堂130302

 観音堂はなかなか美しい建物です。


焼けたコウヤマキ130302

 写真の中に葉のない枯れ木が突っ立っていますが、これはコウヤマキで、昭和20年5月25日の空襲で焼けたものほ保存しているそうです。観音堂、梅を主体にした庭園(下の写真)など、境内がきれいに整備されていました。


円乗院境内の庭園130302


【羽根木公園の梅園】

羽根木公園の梅林130302

 円乗院を出て、梅ヶ丘駅前の羽根木公園に到着です。
 ここは梅園で有名だそうです。全般的には満開を少し過ぎたところですが、遅咲きの梅のつぼみも残っているようです。一番数の多い品種は「白加賀」でした。


【世田谷八幡宮】

世田谷八幡宮130302

 「世田谷八幡宮」へ向かいます。
 前九年の役の勝利を祝して源義家が八幡宮を勧請したのが始まりだそうです。
 吉良氏も崇敬してこれを再興したと伝えられています。(世田谷の史跡は何かというと吉良氏が出てきますので、吉良氏の勉強をしておくことは大切です)


瀬高瀬谷八幡宮の力石130302

 起源を室町時代に遡る奉納相撲が有名とのこと。ご覧の通り、力石土俵などが見られます。


世田谷八幡宮の土俵130302


土俵の大きさ130302

 おじさんたちが何をやっているかと言いますと、土俵の寸法が小さく見えるけれども正しいかどうか、という議論をしていまして、立ち会ってみれば小さいかどうかがわかるだろうと、これから はっけよい なのであります。

 San Po の会のウォーキングの写真は、基本的にすべてコンパクト・デジカメでの撮影です。
 明暗差の激しいシチュエーションなどでは多少ざらついた感じになり、全般的に遠近差が感じられない写真が多くなりますが、ご容赦下さい。


【きょうのひとこと】

 知識というものは、網羅するようによく知っていると「物識り」と言われますが、案外とそういうものではなくて、「積み上げ式」であることが多い、と感じます。理科系の勉強は「積み上げ式」であることが多く、順番に学習していかないと、次の知識が理解できません。
 歴史など社会科学系は「網羅型」のような気がしがちですが、これも結構「積み上げ式」だなあ、というのが最近の実感です。

下北沢の街歩き、森巖寺、北沢八幡神社 〜 第76回San Poの会記録記事(2)

2013.03.13(17:30)

下北沢の街を歩く1130302

 3月2日 第76回San Poの会 の記録記事は、イスラム教のモスク「東京ジャーミイ」を紹介したのみで中断し、春の花々の紹介に終始していました。
 今回は その続きのウォーキングの様子を記事にしていきます。

 代々木上原駅至近のモスク「東京ジャーミイ」を出たあとは、下北沢駅方面を目指して歩きました。
 街はとても賑わっていて、独特の雰囲気があります。ぼくは横浜の住人ですが、横浜駅やみなとみらい付近などどんどんきれいに整備され、その分どことなく街が味気なくなってきています。
 同行のTさんいわく、「街をあまりにきれいにしてしてしまうと、街に色気がなくなってしまう」と。なるほど、巧い表現だなあ、と思いました。


下北沢の街歩き2130302

 下北沢の町には小劇場が多く、芝居の街、演劇の街として知られています。
 作家石田衣良さんの小説『下北サンデーズ』は著者が最終回を執筆中にテレビドラマ化が決定したそうで、主人公を上戸彩さんが演じました。有川浩さんの『シアター!』のモデルとなった「Theatre劇団子」も93〜99年頃は北沢タウンホールで公演をやっていたそうです。それぞれ題名をクリックすると、ぼくの粗筋紹介と感想が出てきます。
 下北沢の町歩きも、こうして本を読んでいると、なかなか興味深いものがありました。


森厳寺門130302

 下北沢駅付近を通って、次の訪問先は「森巖寺」です。
 家康の次男結城秀康の位牌所として建立された寺とのことでした。


森厳寺本堂遠景130302

 門を入り、本堂を見ています。


森厳寺本堂とウメ130302

 本堂前の梅がよいアクセントとなっています。


淡島堂130302

 門を入って左に「淡島堂」がありました。
 寺のホームページを読みますと、江戸時代、女性や子どもに関するありとあらゆるご利益を授ける守り神として崇められていた淡島様をお祀りしている、のだそうです。
 「淡島様」というのは、じつは聞いたことがありませんでしたので Wikipedia で調べてみました。
 日本の民間信仰の神である、と書かれています。「婦人病治癒を始めとして安産・子授け、裁縫の上達、人形供養など、女性に関するあらゆることに霊験のある神とされ、江戸時代には淡島願人と呼ばれる人々が淡島神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻った事から信仰が全国に広がった」そうです。
 和歌山県和歌山市加太にある淡嶋神社(あわしまじんじゃ)が総本社ということのようです。

 ここの「淡島堂」はけっこう有名らしいです。江戸時代からお参りする人たちはまずは現世ご利益でして、それが現代に続いていますからね。


北沢八幡宮130302

 森厳寺の少し北側に「北沢八幡神社」があります。
 1470〜80年代の頃、世田谷北辺の守護神として、当時の世田谷城主であった吉良家の勧請により創建されたということで、吉良家と縁の深い神社です。
 この吉良家というのは足利家の一門で、その格式の高いことを誇りとしていましたが武力は伴わなかった。
 三河吉良氏、奥州吉良氏、土佐吉良氏などに分かれるようですが、世田谷城主は奥州吉良氏です。(浅野内匠頭と悶着を起こしたのは吉良義央は三河吉良氏)


北沢八幡宮神楽殿130302

 立派な神楽殿があります。
 見た目は静かな神社ですが、九月の例大祭は多数の人出で賑わうようです。
 ここの境内で、一同はお弁当の時間としました。 


【きょうのひとこと】

苦境にあっても天を恨まず

 「苦境にあっても天を恨まず
 気仙沼市階上中学校卒業生代表の言葉だそうです。写真は北沢八幡宮のポスターを撮ったものです。
 これほどの言葉があるのに、ぼくのひとことなど必要ありません。

東京ジャーミイ 〜 第76回San Poの会記録記事

2013.03.04(17:00)

東京ジャーミイ外観

 3月2日 第76回San Poの会 に参加しました。
 千代田線代々木上原駅に集合し、下北沢を歩いて羽根木公園、豪徳寺、松蔭神社を経て三軒茶屋駅というコースでした。
 今回はその記録記事の第1回、回教寺院(モスク)の東京ジャーミイです。
 東京ジャーミイは代々木上原駅から徒歩4分の礼拝場です。ジャーミイとはトルコ語で、一定以上の規模を持つ集会のできるモスク(Masjid al-jami)ことをいいます(詳細省略)。


東京ジャーミイ正門の木戸130302

 正門の木戸ですが、礼拝場を見学したいので、外階段を昇ります。


東京ジャーミイミナレット横130302

 礼拝堂の外から、ミナレットを見上げています。
 ミナレットと呼ばれる尖塔から礼拝の呼びかけ(アザーン)が行われる場面は、映画などによく出てきますので、ご覧になった方は多いだろうと思います。


二階礼拝堂入り口付近上部130203

 礼拝堂の入り口付近か上のほうを見上げて写真を撮りました。
 礼拝堂へ入るには靴を脱ぐこと、女性はスカーフで髪を覆うことを求められます。
 礼拝が行われていなければ、写真撮影は許されています。


東京ジャーミイ礼拝堂内部130302

 礼拝堂内部です。上の写真の右端、下の写真の左端に少し写っているのがミフラーブと呼ばれる壁龕です。
 ミフラーブはキブラ(メッカの方向)に設けられ、礼拝のとき、信者たちはそちらに向いて礼拝を行うことになります。


東京ジャーミイ礼拝堂内部2130302

 上の写真でまん中に見えているのがミンバル(説教壇)です。礼拝のとき、指導者(イマーム)は最上壇から説教やコーランの朗読を行うのだそうです。


東京ジャーミイ・ミンバル130302

 ミンバルを間近で撮りました。


東京ジャーミイ礼拝堂のドーム130302

 上と下は、礼拝堂中央の大ドームです。


東京ジャーミイ大ドーム横130302


東京ジャーミイ半ドーム130302

 壁際には、大ドームとは別に半ドームも見えています。


東京ジャーミイ礼拝堂ステンドグラス130302

 ステンドグラスを撮りました。


東京ジャーミイ中二階バルコニー130302

 バルコニーが見えています。
 ここは女性信者用の礼拝場所です。イスラム教では男女は別々に礼拝するということです。


モスクのお土産品130302

 東京ジャーミイはトルコ共和国在東京大使館の所属ということで、イスラム教やトルコ文化を紹介する「トルコ文化センター」が併設されています。紅茶のサービスがあり、見学の記念品も販売されています。
 イスラム教を解説するパンフレットなども、立派な内容のものが無料で配布されてます。
 トルコのイスラム教徒の大半はスンナ派だそうですが、トルコの現行憲法では「世俗主義」というのが標榜されていまして、いわゆる政教分離、信教の自由が定められています。
 3月2日日経新聞の記事の中で明大の特任教授山内昌之さんは「ある思想家の言葉を借りて言えば…」として、トルコは「自由と進歩を愛する東方のアメリカ」だ、と語っています。トルコはNATOの加盟国でもあります。
 東京ジャーミイは、たしかに、きわめてオープンな雰囲気が漂っていました。

 配布用のパンフレットをめくりますと、終わりのほうに「ジハード」と「テロ」について書かれています。
 ムハンマドは『真のジハードとは我欲との戦いである』と語っているそうです。「宗教上の命令を知り、それに従って生き、他の人にも教えること、善を行い悪を避けること、イスラームの布教に努めること、自らの我欲や外部の敵と戦うこと」がジハードだそうで、「武力を用いた戦いは正当防衛の場合、少数派であるムスリムが弾圧を受けた場合、結ばれた条約が敵によって一方的に破棄された場合にのみ発動されます」と述べられています。
 テロについてはイスラームでは厳しく禁じられているそうです。教えの根本は平和・融和・寛容にあるとし、「罪もない人々の血を流し人々を恐怖に陥れ、社会の秩序を乱す人類に対する犯罪であるテロはイスラームやジハードの概念とはまったく関係のないものであり、ジハードの概念にはテロとの戦いも含まれる」との解説がありました。

 (ウォーキング中につき、コンパクトデジカメでの撮影です。やや画像が粗くなっていますがお許しください)


【きょうのひとこと】

 ディック・フランシスという英国の作家がいました。
 ジョッキーや調教師など、なにかしら競馬と関係のある人物を主人公にして、一人称の語りのサスペンス・ミステリを年に一作のペースで書き続け、絶大な人気を誇っていました。「競馬ミステリ」として早川書房が毎年翻訳を出して人気でしたが、日本で「競馬」という言葉を出すと、それだけで「競馬はちょっと…」と敬遠する人が多かった。人はどうしても「思い込み」で物事の善し悪しを判断してしまうのですね。

甘縄神明神社、鎌倉文学館など 〜 第75回San Poの会「鎌倉ハイキング」(最終回)

2013.02.20(18:00)

甘縄神明神社130209

 2月9日 第75回 San Poの会「鎌倉ハイキング」記録記事の最終回です。
 光則寺を出た後は鎌倉の街中ウォーキングとなりました。
 まずは甘縄神明神社です。甘縄神明神社は、710年に建立され、鎌倉最古の神社といわれているそうです。祭神は天照大神ほか。源頼義、義家など源氏の信仰が厚かったようです。


甘縄神明神社拝殿130209


甘縄神明神社の椿130209

 甘縄神明神社境内の白いツバキ。


鎌倉市長谷子ども会館130209

 鎌倉の住宅街の道を通り、次は鎌倉文学館へと向かいます。  
 写真は「鎌倉市長谷子ども会館」です。明治41年に建てられた洋館が鎌倉市に寄贈され、現在も使われています。


鎌倉文学館全景130209

 鎌倉文学館は鎌倉ゆかりの文学者たちの直筆原稿や手紙、愛用品などを収集保存し、展示しています。ここの建物は旧侯爵 前田利継(第15代当主)家の別邸だったもの。季節になりますと、庭園のバラ園が賑わいます。
 この日、庭園では観光用の人力車の脇できれいな着物を着た女性を男性が盛んに写真を撮っていました。
 人力車の車夫の方にプロのモデルさんの撮影ですか、とSan Poの会メンバーのTさんが尋ねてみたところ、旦那さんが人力車を借り切りにして観光スポットで奥さんの写真を趣味で撮っているとのことでした。


鎌倉文学館部分130209

 鎌倉文学館では「ミステリー作家・翻訳家」という企画展を開催中でした。テレビドラマ放映中(主演:剛力彩芽さん)の『ビブリア古書堂の事件手帖』の原画展もやっていました。

 鎌倉文学館を出たあとは、女人平家などを書いた吉屋信子記念館の前を通り、刑場の跡地と言われている六地蔵を経由して鎌倉駅へ向かいました。
 途中にあった御成小学校の建物や校門にはびっくりさせられました。調べてみると、昭和6年に廃止された鎌倉御用邸の払い下げを受けたもののようです。写真は撮ってありませんが、Wikipedia に写真があります。


鎌倉彫の店舗130209

 小学校は撮り損ねたので、別の建物を紹介します。
 上の写真の建物は、昭和11年、鎌倉彫の彫師佐藤宗岳氏の店舗併用住宅として建てられたもの。店舗部分は近代洋風建築なのに、全体としては寺院建築と城郭建築が合体したような建物となっています。鎌倉彫寸松堂のこのお店の建物はかなり知られているようです。
 
 鎌倉駅からは横須賀線に乗り2駅先の大船駅で降りて「常楽湯」へ行き、汗を流して後、懇親会は大船駅近くのサイゼリヤとなりました。


【玄関前のジョウビタキ】(付録)

ジョウビタキ130210

 わが家の玄関前、かみさんが見つけて教えてくれたジョウビタキ(♂)。


ジョウビタキ2130210

 初めて撮りました。嬉しいです。

源氏山公園から長谷の大仏、長谷寺、光則寺へ 〜 第75回San Poの会「鎌倉ハイキング」

2013.02.19(18:00)

【源氏山公園】

源氏山公園中心部源頼朝像130209

 2月9日 第75回 San Poの会「鎌倉ハイキング」記録記事の第2回です。
 化粧坂(けわいざか)切り通しを下に見ながら尾根道を進んでいくと、源氏山公園の中心部分に着きます。どこからどこまでを源氏山公園というのかはっきりしませんが、源頼朝像のある辺りが公園の中心部分、ということのようです。
 ぼくが単独で源氏山公園へ来るときは、寿福寺の裏山を登ってツバキを楽しみ、化粧坂切り通しを下りて海蔵寺へ向かうので、前記事の葛原岡神社付近は初めてでした。
 大きなトンビが昼食を狙って上空から滑空してきます。頼朝像付近では家族連れの方たちがトンビの襲撃を受けていました。
 私たちは少し離れた大きな木の枝が上を覆っているベンチのある場所で昼食としました。
 周りでは寒椿の赤い花が咲いています。本来の椿にはまだ少し早いようでした。今年はかなり開花が遅れています。2月下旬以降が見頃でしょう。


【長谷・高徳院の大仏】

長谷・高徳院の大仏130209

 昼食後ふたたび頼朝像のある広場、化粧坂切り通しの下り口付近を通り、少し戻ります。大仏ハイキングコースへの道が左手へ分岐しており、そちらへ入っていきます。このコースは適度にアップダウンがあり、手軽なハイキングコースとして人気があるようです。
 大仏の裏側にある山の尾根をぐるっとまわるようにして、最後は鎌倉駅と大仏を結ぶ自動車道のトンネルの出口辺りへ出ました。
 
 俗に鎌倉の大仏と言われるこの像は、神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある浄土宗の寺院「高徳寺」の本尊で「長谷の大仏」とも言われています。阿弥陀如来像(国宝)です。大仏殿については、従来、室町時代に地震と津波で倒壊したとされてきました。この地震または津波の発生した年については諸説があるようです。


長谷・高徳院大仏アップ130209


【長谷寺】(はせでら)

長谷寺のお堂130209

 大仏の次は、長谷寺にて長谷観音にお参りしました。
 本尊の十一面観音像は、大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られたといわれているそうです。楠の大木から二体の十一面観音像が造られ、その一体を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう一体を祈請の上で海に流したところ、その十五年後に相模国に流れ着いたのだとか…。
 堂内は撮影禁止ですので、観音像の写真はありません。
 上の写真のように、境内はきれいに整備され、居心地のよいお寺です。

長谷寺の緑萼梅130209

 長谷寺は六月になるとアジサイ見物で大勢の観光客が殺到しますが、この季節、マンサクやウメなどもたいへんきれいです。
 上は境内の緑萼梅。下はマンサクの花。


長谷寺のマンサク130209


【光則寺】(こうそくじ)

光則寺130112再調整

 長谷寺のすぐ北側にある「光則寺」も訪ねました。
 光則寺は宿屋光則という鎌倉幕府の御家人の屋敷跡で、宿屋光則の名がそのまま寺の名前となっています。
 上の本堂の写真と、下の本堂を横から撮影した写真のみ、1月12日に撮影した写真を流用しました。


光則寺のカンツバキ130112

 紅い花はカンツバキです。


光則寺の土牢130209

 日蓮(にちれん)が佐渡へ流された時、高弟の日朗(にちろう)が幕府に捕らえられて、宿屋光則(やどやみつのり)の邸内の土牢に監禁されました。しかし日郎上人の態度がたいへん立派であったことから、光則は感化されて日蓮宗に心を寄せる様になり、後に邸を寺として、日朗を開山と仰ぎ光則寺を創建した、と伝えられています。
 写真は日朗商人がとらえられていた土牢です。


光則寺のソシンロウバイ130209

 境内のソシンロウバイ。
 ぼくが1月12日に訪れたときはまだ開花したばかりでしたが、満開になっていました。


光則寺の侘助130209

 侘助(わびすけ、椿の品種)も相変わらずきれいでした。

 長くなりますので、今回はここまで。次回でSan Poの会「鎌倉ハイキング」の記事は終了予定です。

浄智寺〜葛原岡神社(San Poの会 第75回 鎌倉ハイキングより)

2013.02.15(18:00)

浄智寺門前の橋130209

 2月9日 第75回 San Poの会「鎌倉ハイキング」に参加しました。
 コースは 浄智寺〜葛原岡神社〜源氏山公園〜大仏ハイキングコース〜長谷・高徳院大仏〜長谷寺〜鎌倉文学館〜鎌倉駅で、距離はあまりありませんが、そこそこのアップダウンがありました。
 11時北鎌倉駅集合で、まずは浄智寺を訪ねました。


浄智寺入り口130213

 浄智寺は臨済宗円覚寺派り寺院で鎌倉五山の第4位の寺です。鎌倉五山とは鎌倉幕府が制定した禅宗の寺格をいい、第1位建長寺、2位円覚寺、3位が寿福寺(先日紹介しました)です。
 江戸時代になって鎌倉がさびれるとともにもこの寺も勢いを失ったようですが、いまでも背後の山は浄智寺の寺域だとのこと。境内はかなり広いようです。


浄智寺三門130213

 これはかなり風変わりな三門です。一見して中国風です。


三門の鐘楼130213

 上層が鐘楼を兼ねている珍しい形式のものでした。
 花頭窓も目立ちます。


布袋像130209

 鎌倉七福神の一つである布袋像。


浄智寺境内130209

 飲料水確保のために掘られた水窟などはいかにも鎌倉らしい感じがします。


浄智寺境内2130209


浄智寺仏殿130209

 本尊の三世仏(阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来)を安置する曇華殿(仏殿)です。


浄智寺のソシンロウバイ130209

 境内のソシンロウバイの花がきれいでした。
 (ぼくは2月13日にも北鎌倉を訪れ、明月院の境内を見てきましたが、ロウバイ、ソシンロウバイの本数が圧倒的に多く、どれも満開で、驚かされました。その様子は後日に別記事にいたします)


葛原岡神社へ登る山道130209

 浄智寺の横の道から登りとなります。
 ところどころ急な山道です。

葛原岡神社拝殿130209

 葛原岡神社へ着きました。
 ここに祀られている祭神は日野俊基。彼は建武の中興の前1331年に発覚した二度めの討幕計画である元弘の乱で捕らえられ、ここ葛原岡で処刑されました。
 明治維新後に俊基は倒幕の功労者として評価されるようになり、葛原岡神社が創建されました。


日野俊基の墓130209

 辞世の句がすごいです。「秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん」

 このあと尾根伝いに源氏山公園を歩いて昼食をとりますが、源氏山公園以降は次回の記事といたします。

深大寺から、祇園寺、野川を経て柴崎駅へ 〜 第71回San Poの会

2012.12.09(17:30)

深大寺境内の紅葉3121124

 11月24日第71回San Poの会 の記録記事、前回は神代植物園の紹介で終わってしまっておりました。
 今回が最終回です。すでに深大寺境内に入り、カエデの紅葉の美しさに見とれております。


深大寺の紅葉4121124

 満功上人(まんごうしょうにん)というお坊さんが、出家して奈良で法相(ほっそう)を学び、帰郷後、この地に一宇(いちう)を建て深沙大王を祀ったのが733年、それがこれが深大寺創建だという伝説であるそうです。
 その後台蜜(天台宗系の密教)の寺院になって現在に至るそうですが、お寺のホームページを見ますと、「水と緑と蕎麦」というようなことが真っ先に出てきます(笑)。


深大寺の紅葉6121124


深大寺山門のにぎわい


祇園寺とムクロジの黄葉121124

 深大寺からは両側に植木屋さんの庭のある道から薬草園の中を通って、祇園寺へ出ます。
 こちらも深大寺同様、最初は法相宗で後に天台宗になったお寺のようです。


祇園寺のムクロジの実121124

 ムクロジの実は、果皮が界面活性作用をもつサポニンという物質を大量に含み、水に付けると泡立ち、石鹸代わりにも使えるそうです。また中の黒い種は、羽根突きの羽根の頭として使われてきたのだと、最近ブログのみなさんから教えていただきました。


祇園寺斜めとムクロジの黄葉121124

 ムクロジの黄葉は、このように撮るととてもよい絵になりますね。 


野川の桜の紅葉121124

 ここからふたたび野川の沿道に出て、京王線の柴崎駅へ向かいました。
 野川の沿道は桜並木です。春の花のシーズンはきれいでしょうね。でも、この紅葉もなかなかよい雰囲気だと思うのですが、いかがでしょうか。
 
 陽も傾いて、柴崎駅から京王線普通で2駅先の仙川駅に降りた時にはもうすっかり暗くなっていました。
 駅から10分ぐらい歩いて「湯けむりの里」で温まり、仙川駅近くのサイゼリアで懇親会となりました。

 ウォーキングの会の記録は、Olympus XZ-1 というコンパクト・デジカメを使用して記録しています。


【根岸森林公園のラクウショウの紅葉】(付録)

根岸森林公園のラクウショウ121209修正版

 Canon EOS 5D MarkⅢ、EF 24-105mm F4L IS USM 。
 ISO 1250、f/ 7.1、シャッター速度 1/100、露出補正 +1.33、焦点距離 105.0mm、WB オート
 Photoshop にて 露光量 -0.10、ハイライト-8、シャドウ 0、白色系-8、黒色系0、自然な彩度+2

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 じつは昨日、第72回San Po の会が開かれたのですが、ぼくはかみさんと一緒に村中俊之さんのチェロのソロ・リサイタルへ出かけておりました。
 リーダーのNさんはぼくのいない機会にと、みなとみらい〜横浜港〜山下公園〜港の見える丘公園〜山手・西洋館巡り のコースを企画して、最後は石川町駅付近で解散だったはずです。
 どちらにも参加したいのが本音ですが、身体はひとつしかありません。
 なお、事情がありまして明日10日と11日はブログの更新をお休みいたします。
 また12日にお会いしましょう。

神代植物公園の散策 〜 第71回San Poの会 記録記事 第3回

2012.12.07(06:30)

住宅地で見たカラスウリ121124

 11月24日第71回San Poの会 の記録記事 第3回です。
 武蔵野の森公園からは水車小屋の脇を通って野川へ出ました。この付近は過去にも歩いていて、よく知っています。
 鯉やカモを眺めながらしばらく歩き、途中からは野川を離れて住宅地の中の道を通って天文台下の交差点へ出ます。
 調布界隈の住宅地は庭などをきれいにしているお宅が多いです。
 上のような玄関先を見つけると、日々の生活に精神的なゆとりがあるのを感じます。


神代植物公園入り口付近交差点の紅葉121124

 やがて見えてきたのが神代植物公園です。


菊の展示121124

 公園の入り口付近では菊花展をやっていました。
 なんと一本の菊の苗木に接ぎ木をして145種類の菊の花を一度に咲かせている株が展示されています。
 下が江戸時代に浮世絵での説明した図解。
 現物もほんとうにこうなっていました。下へもぐって確認済みです。


菊の浮世絵121124


神代花車121124

 ぼくはたまたま新宿御苑の菊花展で勉強したのですが、こうした秋の菊については、育て方も展示の仕方も江戸時代からの伝統の技のようです。ここで紹介した以外にも、さまざまな展示方法に合わせて、多種類の菊が育てられているようです。


ラクウショウの紅葉2121124

 先へ進むと池があり、ラクウショウが紅葉していました。落羽松(ラクウショウ)は池の畔などに多い針葉樹ですが紅葉し、落葉します。メタセコイアとよく似ていますが、樹木の雰囲気はメタセコイアのほうが端整な感じがします。小葉の付き方を観察すると、簡単に区別ができます。
 大きい木が揃っていて、午後の日を受けて輝く様子は見事でした。


ラクウショウの紅葉121124


池の面に映るラクウショウ121124

 こちらは写真が逆さまなのではなく、池の面を撮影しています。


ムクロジの黄葉見上げ1121124

 バラ園でおやつ休憩をとりました。
 バラ園を出ると美しく黄葉した大木が目立ちます。ムクロジです。前回San Poの会でこの植物園へきたときは、このムクロジの下で休憩したのを憶えています。あまりに黄葉がきれいだったので、ぼくはそのときにここでムクロジの名前を憶えました。


ムクロジの黄葉2121124


パンパスグラス121124

 パンパスグラスが中央に植えてある広場を通り深大寺門へ向かいます。
 深大寺の紅葉の様子はまた次回に。

 今回の記事はすべて Olympus XZ-1 にて撮影。基本的にSan Po の会はOlympus のコンパクトデジカメを使っているわけですが、使い始めた頃より画質がずっとよくなっています。結局「カメラの癖」がわかってきて、「こうすればきれいに撮れる」というのがわかってきたのが大きい。二番目は編集ソフト Photoshop の基本性能の向上と、ぼくの使いこなし技術の向上もあると思われます。

武蔵野の森公園の散策 〜 第71回San Poの会(11月24日)

2012.12.03(17:00)

東京外語大ユリノキの紅葉121124

 11月24日第71回San Poの会 の記録記事、前回は「東京外国語大学学園祭」だけで終わってしまいました。
 しかし、ここからが本来のウォーキングの始まりです。
 東京外大の裏門から出て、先ず武蔵野の森公園へ向かいます。
 上の写真は東京外大裏門付近、ユリノキの紅葉です。
 

武蔵野の森針葉樹の紅葉121124

 ここは広い芝生のある広大な公園で、調布飛行場の滑走路が見え、運がよければ飛行機の発着も眺めることができます。
 上の写真は針葉樹ばかりを集めたエリアで撮りました。


武蔵野の森広場の紅葉121124

 紅葉している樹林が多く、たくさん写真を撮りました。


武蔵野の森広場の紅葉2121124


武蔵野の森前を行くメンバー三人121124

 ぼくの前を歩いているのは San Po の会のメンバー三人。


調布飛行場121124

 調布飛行場は元は陸軍の飛行場です。第二次世界大戦敗戦時はアメリカ軍によって接収され、1964年に返還されました。


武蔵野の森のカモたち121124

 近くの池ではのんびりとカモたちが泳いでいます。


武蔵野の森公園・掩蔽濠

 上の写真は掩体壕(戦闘機を攻撃から守るための格納庫。掩蔽壕ともいう)です。戦闘機 飛燕の10分の1ブロンズ像とともに保存されています。
 ああ、しかしなんと、武蔵野の森公園と調布飛行場の写真だけで、今回は終わってしまいました。
 ここから野川へ出て、神代植物公園へと歩き、さらに深大寺へお参りしてそちらの紅葉も楽しんだのですが、それはまた次回に。


【根岸森林公園の八重のサザンカ】(付録)

根岸森林公園の八重のサザンカ121202

 昨日12月2日の撮影です。
 背景の黄色はイチョウの黄葉です。

San Po の会

  1. 豪徳寺、世田谷城趾、松陰神社 〜 第76回San Poの会記録記事の最終回(03/15)
  2. 円乗院から羽根木公園の梅園を経て、世田谷八幡宮へ 〜 第76回San Poの会記録記事の第3回(03/14)
  3. 下北沢の街歩き、森巖寺、北沢八幡神社 〜 第76回San Poの会記録記事(2)(03/13)
  4. 東京ジャーミイ 〜 第76回San Poの会記録記事(03/04)
  5. 甘縄神明神社、鎌倉文学館など 〜 第75回San Poの会「鎌倉ハイキング」(最終回)(02/20)
  6. 源氏山公園から長谷の大仏、長谷寺、光則寺へ 〜 第75回San Poの会「鎌倉ハイキング」(02/19)
  7. 浄智寺〜葛原岡神社(San Poの会 第75回 鎌倉ハイキングより)(02/15)
  8. 深大寺から、祇園寺、野川を経て柴崎駅へ 〜 第71回San Poの会(12/09)
  9. 神代植物公園の散策 〜 第71回San Poの会 記録記事 第3回(12/07)
  10. 武蔵野の森公園の散策 〜 第71回San Poの会(11月24日)(12/03)
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