特集「思い出のコスモス」 2016.10.20 -- 1

2016.10.20(19:20)

【昭和記念公園のコスモス】(2016.10.07)

161007 昭和記念公園 コスモスと園内列車

 撮影場所:東京都・昭和記念公園
 撮影日:2016.10.07

 今年は10月7日に昭和記念公園へ行きました。
 コスモスの丘の景色を期待していましたが、花はまばらだったため、仕方なく園内周回列車カーとコスモスを合わせて撮影したくらいでした。


【昭和記念公園のコスモス】(2009.10.12)

091012 昭和記念公園 コスモスの原

 撮影場所:東京都・昭和記念公園
 撮影日:2009.10.12
 撮影機器:Olympus E3 下の写真も同じ

 コスモス狙いで昭和記念公園へ初めて出掛けたのは2009年10月12日でした。
 それはもう一面見事なコスモスの原で感動しました。


091012 昭和記念公園 コスモス

 この頃は Olympus のE3という古い一眼レフを使っていまして、解像度には不足がありましたが、何枚かはいまでもなんとか見られる程度に撮れていました。


【法起寺のコスモス】(2011.10.03)

111003 斑鳩の法起寺 門とコスモス

 撮影場所:奈良県斑鳩町・法起寺
 撮影日:2011.10.03
 撮影機器:Olympus E5 下の2枚も同じ

 2011年には、退職後初めて奈良へ旅行をしました。
 斑鳩の法隆寺から延々と法起寺まであるきました。法起寺のコスモスは美しい、と聞いていたからです。


111003 斑鳩の法起寺 三重塔とコスモス

 当時は心房細動が悪化しつつあるときで、発作が起きないかと心配しつつ、法隆寺から行き帰り1時間半ほどかけて歩きました。
 そのかいあって、法起寺の三重塔を背景にしたコスモスの写真を撮ることができました。


111003 斑鳩の法起寺 コスモス

 カメラは Olympus のE5という機種で。E3よりはかなりよく撮れるようになっていました。


【般若寺のコスモス】(2012.10.21)

121021 奈良般若寺 本堂とコスモス

 撮影場所:奈良市・般若寺
 撮影日:2012.10.21 下の写真も同じ
 撮影機器:CANON EOS 5D MarkⅢ

 2回目の奈良旅行は2012年10月中旬。近鉄奈良駅からバスに乗って般若寺を訪ねました。
 ここもコスモスでよく知られた寺院です。
 カメラを Olympus のフォーサイズ仕様から CANON のフルサイズ一眼レフに乗り換えて日が浅く、使い勝手の違いに悩んでいました。シチュエーションに応じてどのくらい絞ったらよいか、フォーサイズ仕様よりもはるかに浅い被写界深度に慣れないまま旅行へ出てしまいました。
 よく撮れた写真は少ないのですが、その中から上と下の2枚を選びました。


121021 奈良般若寺 石仏とコスモス


【藤原京跡のコスモス】(2014.10.19)

141019 藤原京跡と大和三山とコスモス

 撮影場所:
 撮影日:2014.10.19
 撮影機器:CANON EOS 5D MarkⅢ 以下同じ

 最後は2014年の10月19日、大和三山の見える藤原京跡のコスモスです。
 コスモスは最盛期、私もCANON の一眼レフに慣れており、じっくりと時間をかけて撮影しました。
 どちらを向いて撮影したかがわかりませんが、見えている山は耳成山か天香久山か畝傍山のどれか、ということになります。


141019 藤原京跡と大和三山とコスモス2


141019 藤原京跡 コスモス3


141019 藤原京跡 コスモス4

 これらの写真を撮影した頃と比べれば、まあセンスも少しは洗練されて、撮影技術は幾分か向上し、現像仕上げの腕も磨かれて、いまはかなり上質の写真を撮ることができるようになっているはずなのです。
 しかし、こちらで紹介したような最盛期の美しい花々と、天候などの抜群のコンディションが、びたりと揃ったシチュエーションには、なかなか遭遇できるわけではありません。
 そればかりは時の運。コスモスについては、今年はちょっと残念な結果なので、思い出の写真を捜してみよう、と思いました。中には未発表の写真もありますし、現像仕上げはすべて現在時点で最新の Photoshopを使い、最初からやり直しています。

長谷寺のフジバカマ

2014.10.22(08:28)

141018 長谷寺 フジバカマと蝶1

 10月18日、初瀬山・長谷寺の本堂を少し下った境内の一画に、フジバカマがたくさん咲いていて、ぼくが初めて見るアゲハチョウが数匹、その辺りを舞っていました。
 フジバカマ(葉をしっかり確認しました)は数が激減しており、準絶滅危惧種に指定され、横浜ではまず見ることができません。観賞用として園芸店で販売されているそうです。
 これはよい機会に恵まれたと喜んで、フジバカマとチョウに囲まれるようにして二十分余りを過ごしました。


141018 長谷寺 フジバカマと蝶2

 本堂から降りてくる観光客の会話が耳に入ります。
 「お、きれいだ! なんの花かな」
 「ああ、あれはシモツケよ。間違いないわ」
 ぼくは花と蝶の撮影に専念して、顔すら上げませんでした。


《追記》(10:22 PM17:07)

 旅行中の新聞を点検していたら、18日(土)の日経新聞の夕刊にアサギマダラの記事が掲載されていました。
 夏に東北地方の山地まで北上したアサギマダラは、9月に入ると南下の旅を始め、10月には紀伊半島付近を南下していくとのこと。
 ちょうど奈良県南部の初瀬山でアサギマダラに出会うとは、まさにどんぴしゃのタイミングだったのだ、と自分の運のよさに気が付きました。


【日常の記録】

10月14日、荷造り、旅行準備。『虎と月』(柳広司)読了。
10月15日、のぞみ101号にて、京都経由、橿原神宮前駅へ。ホテルへ荷物を預け、郡山散策。近鉄郡山駅→箱本館「紺屋」→洞泉寺→郡山八幡神社→養魚池地域→郡山金魚資料館→永慶寺→柳澤神社→郡山城跡→近鉄郡山駅。
10月16日、橿原神宮前駅→吉野→吉野ロープウェイ→吉野山→バスで奥千本へ。以降徒歩。金峯神社→西行庵→金峯神社→義経隠れ塔→吉野水分神社→花矢倉展望台→竹林院→吉水神社→金峯山寺・蔵王堂。以上徒歩。近鉄ロープウェイにて吉野駅→橿原神宮前駅へ戻る。
10月17日、橿原神宮前駅より徒歩。石川池(孝元天皇陵)→水落遺跡→飛鳥寺→奈良県立万葉文化館(安野光雅『御所の花』展)→藤原鎌足誕生地→飛鳥坐神社→飛鳥資料館。帰路は最終バスにて飛鳥駅まで。飛鳥駅→橿原神宮前駅→ホテル。
10月18日、橿原神宮前駅から長谷寺駅へ。長谷寺境内等散策。近鉄にて長谷寺駅→桜井駅→三輪駅。以降徒歩。大神神社→狭井神社→展望台→若宮神社→三輪駅。三輪駅より大和八木経由で橿原神宮前駅へ戻る。『永遠のディーバ』(垣根涼介)読了
10月19日、橿原神宮前駅から近鉄にて畝傍御陵前駅へ。徒歩にて藤原宮跡のコスモス畠へ。じっくり撮影など楽しんで、昼食をはさみ、徒歩で神武天皇陵→橿原神宮裏の森を通り、橿原神宮へ。橿原神宮前のホテルへ戻り荷物ピックアップ後、京都駅経由帰宅。
10月20日、料理教室(肉じゃが、なすとピーマンのみそ炒め、かきたま汁)。午後、写真バックアップ、MACメインテナンス。『マスカレード・イブ』(東野圭吾)読了。日本生命担当者面談。
10月21日、洗濯物アイロンかけ、片付け。スキップの散歩。MACメインテナンス。原稿書き。

安部寺跡と安倍文殊院

2013.11.13(19:45)

【安部寺跡】

史跡安部寺跡の碑121016

 安倍文殊院は元安部寺といい、現在の安倍文殊院の約300m 南西にあった、と昨日書いた。
 安倍文殊院を訪ねる前に、じつは安部寺の跡地を捜しに行った。


安部寺跡121016


安部寺礎石121016

 安部寺跡として整備され、礎石が残っている。

 昨日の記事に、安倍晋三首相はどうなのか、とコメントがあった。
 調べてみると、陸奥国の豪族安倍宗任(あべのむねとう)の子孫らしい。前九年の役で兄の貞任らとともに源氏と戦ったことで知られている。奥州の安倍氏のルーツは定かではないらしい。

 また、FREUDE さんからは「大阪の阿倍野区に晴明通りなどの地名がある」とコメントをいただいた。
 同区のホームページによると、「豪族『阿倍氏』説が最も有力」とのことなので、当記事で言及している阿部氏(のちに安倍と表記を変えた)が阿倍野という地名の由来らしい。「晴明通り」は「安倍晴明を祀る安倍晴明神社が、当町と隣接する現在の阿倍野元町に所在していることに由来する」そうだ。


【安倍文殊院の山門】

安部文殊院山門121016

 上の写真は安倍文殊院の山門だが、ここを訪ねた時間はもう日没間近で、寺の灯篭には灯が灯り、お堂などの建物は夕陽に照らされていた。


【安倍文殊院内の東西の古墳】

安部寺東古墳121016

 境内には東と西の二つの古墳がある。
 上は「文殊院東古墳」。


安部文殊院西古墳の石室121016

 上の写真「文殊院西古墳」は安部寺を創建した阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の墓と伝えられているそうだ。


【夕暮れの境内】

安部寺夕暮れの境内121016


灯の灯った安部寺の灯篭121016


【安倍晴明堂】

夕陽を浴び始めた安倍晴明堂121016

 境内の高台に安倍晴明堂がある。この展望台のような高台で、ぼくは昨晩掲載した夕陽の写真を撮ったのだが、安倍晴明はここで天文観測を行い、吉凶を占ったと古来より伝えられているそうだ。


天文観測の碑121016

 昨年10月は、この奈良方面の旅行の直前に、ぼくは京都で一条戻り橋と晴明神社を訪れているが、その写真記事はすでにお読みいただいた。ぽつん、ぽつんとした訪問でも、このようにつながってくると、なかなかおもしろいものだ。
 (下線部をクリックすると「一条戻り橋と晴明神社」の記事にジャンプします)

安倍文殊院のコスモス

2013.11.12(18:30)

安部文殊院のコスモス121016

 阿部氏は飛鳥時代から奈良時代に大臣級の高官を輩出した一族で、平安時代以後は「安倍」と称して、安倍晴明以後は陰陽師の家系として知られるようになった。
 遣唐使で留学生として唐に渡った仲麻呂もこの一族の一人だ。百人一首の「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」で知られている。このときはまだ、姓は「阿部」表記だった。奈良時代の話だ。
 安倍晴明が出てくるのは平安中期のことだ。

 安倍文殊院は奈良の南方、JRまたは近鉄の桜井駅の近くにある。昨年(2012年)10月16日當麻寺などを訪れた帰りに、ぼくはこの安倍寺へ立ち寄った。
 安倍文殊院は文殊菩薩をお祀りしていて、大化改新とのときに左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍一族の氏寺として建立したものである。当時はこの地の約300m南西にあったらしいが、江戸時代に移されたらしい。


金閣浮御堂121016

 この寺は安倍晴明が陰陽道の修行した場所と言われている、という。
 しかし、今般はただ、たまには秋らしい景色を出したい、というだけで昨年の写真を掘り出してきた。
 近年はコスモスの美しい寺として知られているらしい。

 安倍仲麻呂や安倍晴明など安倍一族をお祭りするために「金閣浮御堂」が池の中に建てられ(昭和60年竣工)、その屋根がコスモスの向こうに見えているのが一枚目の画像だ。

 上の写真は、めずらしく前ボケが大きいが、西日に輝くお堂を強調したかったのだろう。


安部寺・コスモスの迷路121016

 コスモスを迷路仕立てに植えた区画もあり、一段と高い位置の「晴明堂」から見下ろすとこんな感じだ。


安部晴明堂からの夕陽121016

 撮影はすでに日没直前のことで、ぼくにしてはめずらしく日没写真も残っている。

 昨日から、浴室の補修工事をしていて、どうも落ち着きません。
 今年はガス機器の更新、居間の床下暖房敷設、浴室の補修工事と、ずいぶんいろいろとやりました。

 追記(23:02): 申し訳ありません。誤変換がありまして、安部 → 安倍 と訂正いたしました。

奈良・般若寺のコスモス

2012.11.06(17:00)

般若寺の石仏四体121021

 735年聖武天皇が平城京の鬼門を守るため「大般若経」を基壇に納めて塔を建てられたのが般若寺の始めだ、ということです。平安京時代は学問寺として栄えたが平家が焼き討ちしました。そのご何度も兵火に遭いつつ、現在は真言律宗の寺だそうです。
 集まる客は(ぼくも含めて)寺の縁起にはあまり関心がありません。ただひたすら、このコスモスを楽しみにここを訪れているようです。
 奈良駅から北へバスで10〜15分、徒歩数分のところでした。


般若寺本堂と十三重石塔121021


コスモスでいっぱいの境内修正版121021


般若寺本堂縦121021


十三重石塔とコスモス正式版121021


コスモスを前景にした本堂正式版121021


コスモスとお地蔵様121021

 京都や奈良の旅行の記録というよりは、これは「季節の花」の記事として掲載しました。
 旅行記にこだわっていると、コスモスが終わってしまいそうに思いますので…。

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 大和八木に宿を確保して、最終日だけ興福寺の近くのホテルに予約していました。
 ところが、二日間も雨に降られて明日香村の散策が困難になり、雨の日に東大寺博物館などを見てしまいましたので、最終日には仕方なく奈良の中心部でおもしろそうなところを捜したのです。
 結果的には、雨天のせいでこのコスモスを楽しむことができたわけです。

旧大乗院庭園 ~ 奈良旅行・記録記事最終回

2011.11.29(18:30)

旧大乗院庭園遠景111006

 「こんにちは」と入っていくとお客さんが誰もいません。
 広がる庭園の遠景には、え~?! とびっくり。少額の拝観料を払うと、「ご自由に庭に出ていただいて結構です」と言われてまたびっくり。


旧大乗院庭園遠景111006右

 興福寺の門跡寺院だった大乗院は明治に廃絶し、室町時代の善阿弥が作庭した寺院だけが残ったのだそうです。
 発掘調査を経て、整備は昨年に完了したそうです。
 ホテルの近くにこんなところが残っていました。来てよかった。


旧大乗院庭園松陰111006



旧大乗院庭園横地面松111006


旧大乗院庭園橋正面横長111006


旧大乗院庭園松縦111006


旧大乗院庭園雲と空と枝111006


旧大乗院庭園端と池面111006


奈良市写真美術館111006310 入江泰吉展ポスター玄関111006310

 奈良旅行の最後は「奈良市写真美術館」まで歩きました。
 最初に美術館の喫茶店でサンドイッチの腹拵えです。入江泰吉さんも杉本健吉さんも、奈良・大和路の風物にこだわった方たち。写真家と画家、お二人の大作をじっくりと見てきました。
 明日香村サイクリングの記事で書きましたが、小学館文庫に中西進さんが文章を書き、写真家の入江泰吉さんの写真を配した『万葉花さんぽ』という文庫があり、数年前にこの文庫を読んだ上での憧れが、今回の奈良旅行の原点でした。
 ぼくとしては、これでやっと数年越しの片思いが実った、ということになります。

 旅行記録を兼ねていますので、途中「お寺ばかりでもう飽きた」という方もいらっしゃった、と思います。最後までお付き合い、ありがとうございました。

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 明日は「San Po の会」の記録記事で、甲州街道の銀杏並木、昭和天皇陵などをご覧いただく予定です。

元興寺 ~ 奈良町の寺

2011.11.28(19:30)

元興寺正面111106

 さて、奈良旅行の記録記事は、今晩を含めてあと2回です。本日は元興寺(がんごうじ)。下のぼやきを読んでください。

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 元興寺(がんごうじ)は、その前身は法興寺であり、元の地名によって「飛鳥寺」のことである、というからややこしい。「飛鳥寺」改め「元興寺」は明日香村で見てきた蘇我馬子が創建した寺なのだ、という。
 あとで出てくるが、元興寺の瓦には、日本最初の寺の建立のために百済が派遣した瓦博士の造った「日本最初の瓦」というのが使われている。つまりは、少なくとも部材は古いお寺なのだ。
 平城遷都によって飛鳥寺(法興寺)を元興寺に改め、奈良町へ移築したということらしい。
 では明日香村の飛鳥寺は何なのだ?
 しかたなく、もう一度「飛鳥寺」のパンフレットを確かめよう。
 飛鳥寺のパンフレットには、飛鳥寺は蘇我馬子が造った最古の寺だと書いてあり、別名法興寺、元興寺ともいう、と書いてある。ああ、もうややこしい。

 明日香村の飛鳥寺は一度焼失して江戸時代には仮堂しかなかった。
 一方、元興寺も平家の焼き討ちに遭うなど何度も消失していて、その後もかなりややこしい経緯を経て現在に至っている。そうはいっても、元興寺にとっては奈良町の存在が大きかったのか、かつてよりは小さくなってしまったとはいえ、いまでは立派に再建されて、極楽堂、禅室など国宝も揃っていて、世界文化遺産に指定されているのは、この奈良町の元興寺のほうだ

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 という、元興寺の様子をご紹介します。上と下の写真は、元興寺極楽堂です。


元興寺金堂斜め111106


元興寺境内1111106

 奈良町の中にあるというのに、境内は案外と広く、静かで、美しいお寺です。


元興寺境内2111106


古い瓦の残る継ぎ目111106

 百済が派遣した博士が造った「日本最初の瓦」というのは、上や下の写真で見れば「ああ、このことか」とわかります。そこだけ艶や色が違って見えます。


元興寺古い瓦と新しい瓦111106


元興寺石仏群111106

 境内にはたくさんの石仏や石塔があり、これがなかなかよい景色となっています。
 西大寺という字が見えますが、元興寺は一時堂宇ごとに分裂して、西大寺の末寺なったり、東大寺の末寺になったり、ややこしくて説明しきれません。

元興寺キキョウ111106


石塔とキキョウ111106


元興寺石塔とヒガンバナ111106

 上のヒガンバナは、奈良旅行の記録記事の最初に一度ご覧に入れました。


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 奈良旅行の記録記事は、いよいよ次回(明晩)が最終回となります。

「ならまち格子の家」 ~ モデルハウスの内部を見学

2011.11.26(18:30)

ならまち格子の家入り口111106

 前回の記事で、木格子の目立つ街並みを紹介してきました。
 「ならまち格子の家」は、この奈良町の中のモデル・ハウスのようにして、公開されています。入場料金は無料です。
 奈良町は「元興寺」(がんごうじ)を中心に成立した門前町として、江戸時代から明治にかけて栄えたそうです。町家は町人の住まい、商いの場として継承され、伝統的な街並みが形成されました。住人不在となったり売りに出されたりする中で、地域の資産として保存に努力している様子です。


ならまち格子の家 座敷から見通し111106

 たぶんぼくが朝一番の客。初めは勝手に見てまわっていましたが、いろいろと質問するとていねいに教えてくださいます。
 手前から、「みせの間」「中の間」「奥の間」と並んでいます。


座敷から格子越しにおもてを覗く111106

 「みせの間」に座って、明るい表を格子越しにのぞいています。


ならまち格子の家内部1111106

 「みせの間」の様子を明るく撮りました。


ならまち格子の家中庭111106

 中庭があり、渡り廊下を経て、離れへ行けます。


ならまち格子の家内部2111106

 「離れ」から振り返って撮影しています。


ならまち格子の家箱階段111106

 「中の間」に「箱階段」を見つけました。階段の下が箪笥になっていて、いろいろと収納が可能です。ここから実際に二階へ昇れます。


ならまち格子の家二階から111106

 二階から、吹き抜けの土間(台所)を見下ろしています。


ならまち格子の家二階111106

 二階の部屋の様子です。窓に近い部分は天井が低く、ぼくが立っている位置は十分な高さがあります。


隣の家の縁台111106

 「ならまち格子の家」の方がわざわざ表まで出てこられて、隣の家(個人宅)の「縁台」について説明してくださいました。上の写真は、「折りたたみ式縁台」がわかるように、少し明るめに撮りました。
 脚部を前へ引きだし、パタンと倒すと縁台になって座ることができように作られています。ここで将棋をやったり、お茶を飲んだり、昔からそんなふうに使われたのでしょう。

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 本日は「San Po の会」に参加していますので、これは予約投稿です。
 みなさんのところへは明日おうかがいいたします。

奈良町の散策 ~ 庚申堂 と ならまち格子の街並み

2011.11.25(18:30)

奈良町格子の家に身代わり申111006

 10月6日、いよいよ横浜へ帰る当日の午前中、ホテルに近い「奈良町」界隈を歩いてみるつもりで、チェックアウトだけして荷物は預け、8時半頃ホテルを出ました。
 奈良町付近には、写真のような木格子の外壁が見える家々が並んでいます。これは「奈良町格子」と言われているもののようです。
 軒下に何か妙なものがぶらさがっています。


身代わり申111006

 拡大すると、こんなようなものでして、猿を模って人形にした「身代わり申(さる)」です。


たくさん下がった身代わり申111006

 ほくが当ブログで何回か説明してきた「道教」が、日本へ入って変形していった一例です。
 奈良町には青面金剛立像(なぜ、青面金剛立像なのかさっぱりわかりませんが)を祀る庚申堂があり、ここの「身代わり申(猿)」は人間の災難や病気、不幸を代わりに引き受けてくれることになっているのです。なぜ「猿」かといえば、それは道教が「猿田彦」信仰と結びついたからで、その経緯はとても理屈で納得できるようなものではありませんから、今回は省略します。

 興味のある方は下記をご参照ください。
 クリックしてください → 道教の世界から日本文化への浸透


庚申堂111006

 庚申堂の写真です。朝早すぎて閉まっています。
 おおよそ八割くらいの家の軒先に、この「身代わり申」がぶらさがっていました。


ふきん屋さんの看板111006 奈良町ふきんの特徴111006

 蚊帳とふきんを製造販売しているお店を見つけました。奈良町の名物です。こちらでふきんを土産に買いました。


ふきんをお土産に買った店111006

 「朝早くからやっているんですねぇ」「家と工場が隣り合わせで昔からずっとここでやっていますから…」とお婆さんが答えます。母屋のほうはこちらも奈良町格子でした。


奈良町格子の街並み111006

 外へ出ても、このような街並みばかりです。


ふきん屋さん近くの街並み111006

 このあと「元興寺」へ行く前に「ならまち格子の家」へ入ってみることにしました。(次回記事)

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 最近読んだ本 : 雑誌 Newton12月号・特集「光速C」
         ↑ クリックすると感想記事にジャンプします。
 ・9月23日、CERNなどの国際研究チームが、「加速器で加速したニュートリノの速度が光速を0.0025%上回ったことを観測した」と発表した件について、詳しい解説が出ています。

 本日は、国立新美術館の「モダン・アート、アメリカン」展を見てきました。ジョージア・オキーフ、エドワード・ホッパーなど、アメリカらしさ一杯! の展示でした。
 明日は「San Po の会」があります。

秋篠寺 ~ 10月5日の奈良散策より

2011.11.23(18:30)

秋篠寺の門111005 秋篠寺門を入った付近111005

 美しい寺として評判がよいので、午前中にまだ時間があるからと、近鉄西大寺駅で下りてバスで秋篠寺まで行きました。
 沿革は諸説あってはっきりしないようですが、何度も焼けた上に廃仏毀釈にもあって、現在のような姿となっているというこです。当初の法相宗から真言宗に転じて現在に至るといいます。
 東門(バス亭が近いから。本来は南門を入る)をはいるとまっすぐに道が続いていて、やがて左右に苔が敷き詰められた林の中を通ります。この付近の佇まいが人気のようです。


秋篠寺苔の林111005

秋篠寺苔の林2111005


秋篠寺講堂111005

 横に長いこの優美な建物が国宝の本堂です。素朴、均整、落ち着きを感じさせる建物です。一見講堂のように見えますが、それは正しいらしい。創建当初は講堂だったそうです。ぼくもかなり目が肥えてきました。
 本堂で有名なのは本尊より技芸天立像。人気の理由は優しくきれいな女性美を感じさせるからです。


秋篠寺本堂111005

 唐破風(でいいんですよね)の建物は大元堂


秋篠寺建物3111005

 こちらは開山堂です。


秋篠寺の梅の木111005 秋篠寺の梅の苔111005

 梅の木だと思いますが、この幹の苔(かどうかもよくはわかりませんが)がすごい。


【神功皇后稜】

畑の向こうの神功皇后寮

 秋篠寺からあとは、近鉄京都線「平城」駅まで歩きました。神功皇后稜を見ながら帰ろう、と考えたのですが、とうとう雨が降り始めました。
 しかも、神功皇后稜はこの畑の向こうに見えている森でして、近づけません。柵が見えていますし。


神功皇后稜と濠111005

 歩きながら、なんとか畑の中に道がある場所を探し、崖をよじ登って、撮影した写真がこちらです。
 まあ、これで前方後円墳をふたつ見たわけです。なんとか天皇陵とかいうようなものは、こういうものなのだ、と理解できました。


【牡鹿の喧嘩】

牡鹿の喧嘩111005

 昼一時頃、国立博物館近くの「志津香」という釜飯店を捜しも奈良七種釜飯を注文しました。「混んでいるので畳席になりますが…」「かまいません」という会話がよくありませんでした。待たされます。胡座をかくと旅行前に再発していた座骨神経痛が響きます。仕方なく正座するのですが、長くは続けられません。まあ、釜飯がおいしくてよかった。
 午後は、奈良国立博物館見学。ここは充実していて居心地も抜群です。
 見終わって外へ出てもまだ雨。カメラをリュックにしまって歩いていたら鹿の雄同士が喧嘩。
 なかなかやめないので、それではと雨の中、リュックを下ろしてカメラを出して、一枚だけ撮影成功。左側、身体の大きい方がどんどん押し込みまして、右側の鹿はずるずると後退。ところが、終わって別れてみると、右側の鹿は悠々と立ち去り、左側の大きい方はびっこを引いています。これはどちらが勝ったのでしょうか。
 まだ四時前なので、奈良漬けの専門店今西本店まで行ったら水曜は定休日。ついてない。
 夜に出直すのも面倒につき、「平相」の本店で大きめの柿の葉寿司を買ってホテルへ戻りました。
 翌日は横浜へ帰る予定につき、多少荷物を片付けて、早めに風呂へ入り、翌日最後の日の計画を練ります。

 奈良の旅行記もそろそろ終わりに近づいてきました。本稿を含め、あと四、五回で終わりとする予定です。
 奈良町格子の街並み、元興寺、旧大乗院庭園などの記事が続きます

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 最近読んだ本 : 坊主DAYS/杜康潤
         ↑ クリックすると感想へジャンプします。坊さんの日常生活を手軽に知りたい方に最適です。

奈良

  1. 特集「思い出のコスモス」 2016.10.20 -- 1(10/20)
  2. 長谷寺のフジバカマ(10/22)
  3. 安部寺跡と安倍文殊院(11/13)
  4. 安倍文殊院のコスモス(11/12)
  5. 奈良・般若寺のコスモス(11/06)
  6. 旧大乗院庭園 ~ 奈良旅行・記録記事最終回(11/29)
  7. 元興寺 ~ 奈良町の寺(11/28)
  8. 「ならまち格子の家」 ~ モデルハウスの内部を見学(11/26)
  9. 奈良町の散策 ~ 庚申堂 と ならまち格子の街並み(11/25)
  10. 秋篠寺 ~ 10月5日の奈良散策より(11/23)
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