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初めて見た前方後円墳 ~ 垂仁天皇陵

2011.11.22(18:30)

猿沢の池雨の朝111005

 10月5日の奈良旅行の記事です。
 10月5日は雨との予報でした。朝はいつもより1時間近くゆっくりとホテルを出て、猿沢の池の周囲の回り方を変えてみました。
 不思議なもので、時間と位置が少し変わっただけで、おもしろくもなかった「猿沢の池」が少しは絵になりそうです。


猿沢の池と興福寺五重塔111005

 同時撮影で背景を興福寺五重塔にしてみました。


【垂仁天皇陵】

垂仁天皇陵左端111105

 mico さんのブログ「りんどうのつぶやき」で諸天皇の前方後円墳を見ているものですから、ひとつぐらい見ておきたい、と思いました。どうせ池の中に島が浮かんでいるだけだろうから、籠もったり雨が降ったりしてもいいじゃないか。午後は国立博物館にでも行って、きょうはひと休み、のんびり過ごそう、という計画でした。
 近鉄橿原線の「尼ヶ辻」駅から5分ほど歩きました。地図の感じでは、見終えているのが方形の端っこに当たる辺りで、自分は方と円のくびれの正面くらいにいるはずです。


垂仁天皇陵とサギ111105

 冗談じゃない。湖は言い過ぎにしても、「池」なんていう規模じゃありません。まだ朝一番で元気だからよいですが、午後になったらとてもこの周囲を回ってみよう、なんて思わないでしょう。
 まあ、しかし、空はどんよりとして、写真はとても撮影しにくいです。
 あ、あそこにサギらしき鳥が…。


垂仁天皇陵正面111105

 後日、文春新書『天皇陵の謎』(矢澤高太郎・著)を買って読み始めております。
 上の写真は「拝所」といい、前方後円墳の場合、必ず前方部を背にした場所に設けられているのだそうです。
 つまり、この正面が円の一番端っこになるわけです。


垂仁天皇陵の位置関係側鐘写真111105

 この写真が一番位置関係がわかりやすく写っています。ついでに梢にとまっている鳥の影まではっきりと見えます。濠に浮かぶ小島は「田道間守(タヂマモリ)」の墓と伝えられているそうです。
 酔芙蓉などが美しい「橘寺」の記事を憶えていらしゃるかと思いますが、「橘」の実を田道間守が黄泉の国から持ち帰って植えたのが「橘寺」ということになっているのです。古事記だか日本書紀だかの物語です。
 なにしろ、「垂仁天皇陵」と書いていますが、学問的には伝「垂仁天皇陵」であり、何か証明されて垂仁天皇陵だということになっているわけではありません。


垂仁天皇陵と小島の墓111105

 周囲を歩くだけでもたいへんで、濠の縁をずっと歩くことができるわけでもありません。


垂仁天皇陵と稲田111105

 上で紹介した新書によりますと、全国の陵墓の数は896、実在しなかったとされる天皇にも陵墓があって、被葬者が間違いないとされているのは天智天皇陵と天武・持統天皇陵だけだそうです。( mico さんからの情報では、最近になって斉明天皇陵が間違いないとされたそうです。)
 宮内庁が学者に対しても一切立ち入り調査を認めない方針のため、古代の歴史研究の大きな妨げになっているそうです。
 いまはこのような濠に囲まれた美しい古墳も、江戸時代には農民が畑にしていたりした例もあるそうです。整備されたのは明治政府となって以降のことだ、といいます。

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 これは独り言ですが、地理佐渡さんのパン・フォーカス(近距離から遠景までピントが合っていること)の景色(とくに海や雪景色)遠景などをずっと拝見していて、今年は自分も、たとえ曇天でも微妙なトーンを生かしたパン・フォーカスの写真を撮りたいと思っていました。
 ブログを始めた頃に使っていたカメラは、絞ると解像度が悪くなるという癖がありまして、レンズというものは多かれ少なかれそういうところがある、との思い込みから、思い切り絞り込めない、どこまで絞ればよいかわからない、という悩みを抱えていました。
 今回の写真はこのあと雨が降ってきまして、まさしく曇天であり、パンフォーカスの景色なので、まあなんとかこの程度までは撮れるようになったかなあ、というところです。

明日香村散策の終わり

2011.11.18(18:30)

【酒船石遺跡】

酒船石111004

 上の写真の「酒船石」というのが山の上にあって、山の下のほうに下の写真の「亀形石造物」とか「小判形石造物」とかが並んでいます。そのまわりには石垣があったりするのですが、いずれにせよ、水を溜めたり流したり、そんなことの用途に使ったことは間違いないでしょう。ただ、それに何の意味があったのかはさっぱりわかりません。
 パンフレットなど見ても、「なんらかの祭祀を行う空間であったことが窺える」という結論でしかありません。
 よくわからないものを少しずつ掘り出して、周囲を整備して、面倒な仕事だと思います。なんらかの結論にまで、はたして行き着くのでしょうか。
 酒船石を見るのに、まだ落ち着いていない心臓にまた負担を掛けねばなりませんでした。
 そんな調子だから、あまりよい写真が撮れていません。
 体調は別にしても、この4日間を通してみても、だいたい2時を過ぎると撮影が粗っぽくなります。記憶も曖昧になってきます。自分は午前中に頭が冴えて頑張るタイプなのでしょう。


亀形石造物111004


飛鳥寺

飛鳥寺111004

 さて、中庭の「飛鳥寺型石灯籠」とか、いくつか写真を撮ってはいますが、あまりよい写真になっていません。本尊の飛鳥大仏を拝観したはずですが、どうも記憶が薄らいでいて、どういう状況だったか憶えていないのです。
 この辺からあとは、どうも頭のほうもクリアでなかったようです。


飛鳥資料館

飛鳥資料館111004

 この付近が古代はどのようになっていたか、飛鳥京の模型などの展示を見ながら、じっくりと勉強した覚えがあります。「山田寺東回廊の復元展示」もよく憶えています。もう少し充実したパンフレットをくれるとよかったのですが、パンフレットは展示室の配置と数枚の写真くらいしか載せられていません。


水時計111004

 自転車を17時には返さなければならず、一方でどんどん陽は傾いていきますが、飛鳥資料館で見た「水時計」の跡というのを帰りがけに見ていきたかったのでした。原理などは資料館で十分勉強していたので、ただそれがどんなふうに残っているのか、体験したい、と思いました。


水時計の絵111004

 上の絵のような具合だから、この写真のところに建屋があったはずです。
 これが発見された当時「日本書紀」に「皇太子、初めて漏剋を造り、民をして時を知らしむ。」とあるのは事実であった、とかなり騒がれたらしいです。皇太子というのは中大兄皇子のことで、権力争いに勝ったというだけでなく、いろいろと画期的なことをやってきた人なのだ、とすなおに感心しました。

 このあと、「鬼のまな板」はなぜか見つからず、「鬼の雪隠」を見て駅まで自転車を走らせました。全般に下り坂で楽でした。
 自転車を返却すると、「二、三分で電車が出る、急げば間に合う」と言われましたが、階段を駆け上ったりすると、また心臓発作の再発になりかねないので、隣の売店でも見て次の電車に乗ることにしました。
 柿の葉寿司弁当しか食べていないので、抹茶アイスを買いました。「堅く固まっている上に、価格が三百円しますがよいですか」とわざわざ訊かれました(笑)。甘いものが欲しかったところですから、「かまいません」と腰を落ち着けて、ゆっくりと次の電車を待ちました。
 翌日はどうしようかなあ、とまた頭の中で検討を始めています。


根岸森林公園のサザンカ(11月7日)

八重のサザンカ111107

 根岸森林公園のサザンカ、この時季は見に行くたびに少しずつ様子が変わってきます。


八重のサザンカ縦とイチョウ111107


一重のサザンカ111107


一重のサザンカ縦111107

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 昨日17日は、東京国立博物館の「特別展 法然と親鸞 ゆかりの名宝」を見に行ってきました。木曜日の午前中だというのにたいへんな大混雑です。この展示は土日に見に行っても楽しむことは不可能でしょう。
 仏教については、「釈迦の教え」という原理的なところから勉強を始めたのですが、夏の「空海」、今回の「法然と親鸞」と見てきて、ほかにもいろいろ本を読んだりしました。大乗仏教の思想についても、なぜそのような考え方が生まれなければならなかったかなど、実感としてわかってきはじめております。

伝飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)跡に佇む (10月4日明日香村散策から)

2011.11.16(18:30)

伝飛鳥板蓋宮跡1111004

 伝飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)跡は皇極天皇の宮殿だった(と伝えられています)。
 とくにおもしろくもない景色ですが、ぼくはこの地に立ってみることを、今回の飛鳥散策ではとくにこだわっていました。
 なぜなら、ここで中臣鎌足が中大兄皇子をそそのかし、「やってしまえ」とでも囁いたことが、歴史を変えたからです。


伝飛鳥板蓋宮跡2111004

 中大兄皇子は蘇我入鹿を暗殺しました。それが「大化の改新」の始まりであり、蘇我氏が滅び、天皇家の権力を揺るぎないものにしました。


伝飛鳥板蓋宮跡3111004

 中大兄皇子はすぐに即位することをしませんでした。中臣鎌足と中大兄皇子、この二人は賢い陰謀家だったのだなあ、と思います。
 中臣鎌足の息子は藤原性を名乗り、子孫は後に摂関家として歴史を動かしたのでした。


11月13日の皇帝ダリア

11月13日の皇帝ダリア

 下から見上げていますので、かなりの逆光ですが、それでもきれいです。


花壇のツワブキ(11月9日)

花壇のツワブキ111009

 ジンチョウゲの茂みの陰などという場所へどうして植えたのか。どうにも窮屈そうです。
 皇帝ダリアよりフォーカスが甘い。黄色は色飛びさせがちで、そうするとフォーカスも甘くなります。レタッチでのごまかしも限度があります。
 このツワブキは葉が斑入りできれいなので、もう少し優遇してやりたいのですが…。


【庭の白いサザンカ】(11月7日)

庭の白いサザンカと青空2111107

 庭の白いサザンカ。剪定があまりよくなくて、写真が撮りにくい。
 白い一重のサザンカは、咲く先から傷むので、早いうちに撮るべきでした。


庭の白いサザンカ横と青空111107


庭の白いサザンカと蜂111107


庭の白いサザンカ縦ふたつ111107

石舞台古墳見学

2011.11.15(18:30)

【石舞台古墳】(10月4日)

石舞台古墳111004

 「被葬者は蘇我馬子であったとする説が有力」だそうだ。
 そういう話題でもないと、ただ見ているだけではさほどおもしろいわけではない。ただ、規模は大きいので、圧倒される感はある。これだけの墓を築造したのは相当な有力者に違いない、と思う。


石舞台古墳入り口111004

 蘇我氏が歴史に果たした役割とか、よく勉強していれば感慨がある。集まっている小・中学生は、付属の広い公園でわいわいと騒いでいるばかりだ。大人になって、子どもの頃を思い出して、「そう言えば…」という日が来ることを祈ろう。


石舞台古墳内部111004

 そういうぼくも、ここで一番の思い出は売店で買った「柿の葉ずし」だ。宿泊しているホテルの近くに「平宗」(へいそう)というお店があり、あちらこちらに弁当を供給している。小さなお店だが、有名らしい。
 鯖と紅鮭の鮨を柿の葉でくるんでいる。酢はやや甘い香りがする。これが旨い。こんなに旨いなら、帰る前にもう一度どこかで喰おう、とそう思った。


石舞台古墳内部から表を見る111004

 売店で休んで鮨を食べているあいだに心房細動の発作が出てきた。一度出てくると続くのがよくない。この後どうしようか、と言ったって、ここまで来てしまったら、サイクリングを続けるしかない。上りは押して歩くことにすれば、平地を進むのは歩くよりずっと楽なのだから大丈夫だろう。
 頓服薬をのみ、長めに休みを取り、少し楽になりかかった頃に再出発することにした。


【根岸森林公園 ~ その後のユリノキ】(11月10日)

大木だったユリノキ111007

 今晩は写真が少ないので、台風の後に、ユリノキがどうなったを紹介します。
 木が大きすぎて、これだけ処分が遅れたのでしょうか。ユリノキに限らず、倒壊したほとんどの木がこれと同じ運命を辿っています。ソメイヨシノの林では、まだ一本、斜めになって放置されています。これからどうするつもりなのでしょうか。


その後の皇帝ダリア(11月4日)

2階のベランダからの皇帝ダリア111009

 ベランダから身体を乗り出して撮影です。
 カメラを持った手を伸ばしてライヴヴュー。落としそうなので、この程度で妥協しました。

橘寺の花々 ~ 10月4日 明日香村散策記録のつづき

2011.11.13(18:30)

鐘楼とシオン111004

 橘寺(たちばなでら)の花々のつづきです。鐘楼と紫苑。


お堂の中から境内を臨む111004

 お堂の中から境内の様子を…。


橘寺往生院111004

 こちらは新しいお堂で「往生院」です。外へ出て、池(たぶん 放生池)を回って撮りました。おそらく間違っていないと思います。
 橘寺には別に「東門」がありまして、そちらから入ると「往生院の天井画を見ていってくださいね」と声をかけられます。ぼくは「西門」から入ったのでないので声はかけられませんでしたが、その場面を目撃して、「往生院」を捜しました。


往生院の天井111004

 新しいお堂で、念仏写経研修道場として使われているようです。
 「ご自由にお入りください」と書かれているので遠慮なく入らせてもらいました。
 だあれもいません。この天井画を独り占め。著名なる画家の方々のご協力で浄土の様子を再現した、ということのようです。


二面石111004 橘寺変わり石灯籠111004

 左は二面石。善悪二相を表したものと言われている…? ほんとうかなあ。ぼくにはさっぱりわかりません。
 右はちょっと変わった石灯籠。斬新なように見えますが、ふつうの石灯籠のほうがいいな、というのが本音です。


橘寺酔芙蓉と境内111004

 酔芙蓉の数が多くて、「酔芙蓉のお寺」というイメージでした。

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 昨日の「San Po の会」は、どぶ板通り、猿島、戦艦「三笠」と見て、最後は横須賀中央の中華料理店で懇親会というコースでした。

橘寺(たちばなでら)~ 明日香巡りの途中で

2011.11.12(18:30)

橘寺本堂111004

 「橘寺」が創建された経緯は、お寺のパンフレットによりますと、たいへんな伝説があるようです。
 ここにはもともと「橘の宮」という欽明天皇の別宮がありました。この地で生まれた聖徳太子が、やがて自ら仏典の講義をされたというのですが、その折りになにやら奇跡のような出来事が次々と起こりまして、推古天皇はたいへん驚かれて、この地にお寺を建てるよう太子に命じられた。そこで、御殿を改造して造られたのが「橘樹寺(たちばなのきてら)」だそうです。
 その後お寺は大きくなり、一方で火事による消失もあり、いろいろと経緯がありまして、現在の堂は1864年に再建されたものだそうです。
 なんとなくですが、奈良の時代ではなく江戸時代のお寺という匂いがします。とくにお堂の全面に張り出した屋根の部分など…。
 見えている馬は聖徳太子の愛馬だそうです。


橘寺からの風景111004

 こちら橘寺は明日香の原の中にぼつんとありますが、酔芙蓉、紫苑など花が多く、たいへん居心地のよい美しい境内です。


橘寺本堂から離れて111004

 本堂を正面から見ています。本尊として聖徳太子坐像が安置されています。
 ところが、江戸時代中期からは天台宗のお寺になっているとのこと。聖徳太子の逸話などを聞きますと、聖徳宗だろうと思っていたのですが…、いろいろと事情があるのでしょう。
 写真右端に修復中の観音堂が隠れています。


橘寺観音堂111004

 これは酔芙蓉を入れて「観音堂」を写したような記憶があるのですが、間違っているかも知れません。パンフレットに図面がないので、わからなくなりました。


橘寺の紫苑111004

 紫苑(しおん)は元気でした。わが家の花壇のシオンとは勢いも数も違います(笑)


橘寺のコムラサキ111004

 横浜・鎌倉では台風で葉が痛んでしまっているので、実と葉がきれいに揃ったコムラサキを観賞できたのは、奈良に来てからになりました。


橘寺の酔芙蓉111004

 酔芙蓉は、ほとんど八重咲きばかりでした。

天武・持統天皇陵から橘寺へ

2011.11.10(18:30)

天武・持統天皇陵111004

 高松塚古墳の後は、埋葬されている天皇が誰であるか確実と言われている天武・持統天皇陵へ向かいました。
 遠くから眺めると、高さはさほどでもないと思いましたが、いざ駐輪場へ自転車を停めて登りはじめるとかなりあります。
 きょうも厳しい日になるのかなあ、などと思い始めました。


天武・持統天皇陵近景111004

 文春新書から10月20日に『天皇陵の謎』(矢澤高太郎)という新書が出ていまして、その中で引用されている研究によりますと、天皇陵の中で被葬者が確実とされている天皇陵は、天智天皇陵とこちらの天皇陵の二基だけだそうです。( mico さんの情報では、最近「斉明天皇陵」が正しいとされたそうですが…)
 だから、この機会にこちらにはぜひ立ち寄っていこう、と思っていたのでした。
 というのは、「結局は『大化の改新』以降、歴史がやっとほんとうに確実な日本国の歴史となっていく」と、そんな印象を抱いているからなのです。細部が詳しくなり、権力争いなどもかなり具体的になっていく印象があります。


天武・持統天皇陵の景色111004

 天皇陵の上からの景色です。高いので遠くまで見渡せます。


亀石付近の畑111004

 自転車をさらに漕いでいくと、道が狭くなり、小中学生の自転車とすれ違います。中にはぼくに道を尋ねてくる子もいますが、横浜から初めてやってきたぼくにわかるはずもありません。
 
 畑の写真をとったのですが、近寄って撮っていないので、この白い花が何なのかわかりません。


亀石付近のアキノノゲシ111004

 アキノノゲシが元気に咲いています。


亀石111004

 「亀石」です。ユーモラスです。彫った人はセンスがあります。
 よく「○○岩」とか、渓谷などではそのような名前が付けられた奇岩がありますが、「岩が何かに似ているからって、べつにどうだっていいじゃないか」と、思わないでもありません。でも、こちらはなかなかアートを感じさせます。由来はいくつかの説があるようですが、正体は想像するだけで謎とされています。伝説は伝説でそれらしき「お話」があるようです。


橘寺門前到着111004

 さあ、聖徳太子と関係の深い「橘寺」の門前に到着しました。

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 最近読んだ本 : 知れば知るほどおもしろい 古代韓国の歴史と英雄/康熙奉
          ↑ 「白村江の戦い」とか、百済、高句麗からの仏教の伝来とか、「明日香」の記事とも深い関係があります。
        破戒/島崎藤村
        ローマ人の物語35 ~ 最後の努力(上)/塩野七生
        ローマ人の物語36 ~ 最後の努力(中)/塩野七生

高松塚古墳公園の「思ひ草」

2011.11.09(18:30)

高松塚古庵公園の女郎花111004

 11月4日朝はまた7時30分にホテルを出ました。
 朝はかなり冷え込みます。近鉄奈良駅から西大寺駅を経由して、近鉄吉野線飛鳥駅まで、1時間以上かかりました。9時少し前、飛鳥駅前のレンタサイクル「古都」で自転車を借り、リュックとカメラを前の籠へ入れてスタートです。
 慣れない自転車は、最初かなりふらつきますが、走り始めてしまえば歩くよりはずっと楽です。
 すれ違いで端へ寄りすぎて溝へ落輪したり、田んぼへ落ちたりしてはかなわないので、それだけは気を遣います。もらった略図の中を、実際にはどのくらいの時間で目的地に着くのか、走ってみないとわかりません。
 登り坂になるとかなりきついです。こういうところで無理をするとまだ心臓発作になってはと困りますので、登り坂は下りて、押して歩くことにしました。小学生の一団は平気で立ち漕ぎで追い越していきます。肉体的に老いたことを痛感する瞬間です。


高松塚古墳公園のヒガンバナ111004

 最初の目的地は高松塚古墳としました。到着までせいぜい15分程度だったでしょうか。いやしかし、「高松塚古墳公園」駐輪場で自転車をとめ、下りてから古墳までかなり歩くではありませんか。これでは自転車まで戻ることを計算するとかなりの距離になります。まあ、ヒガンバナ、女郎花など、咲いている花がきれいだから、よしとしましょうか。


高松塚古墳公園の白いヒガンバナ111004


高松塚古墳下から111004

高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、藤原京期(694年~710年)につくられた古墳です。石室から色鮮やかな壁画が発見されたことで有名になりました。壁画の劣化がとまらないため、石室ごと掘り出して仮設の修理施設で作業中だそうです。古墳そのものは上下の写真のように埋め戻して復元されています。


高松塚古墳上から111004

 壁画等の様子は、近くに小さな博物館が作られていて、そこの写真展示等で見ることができます。
 付近は「高松塚古墳公園」となっていて、秋の花が美しい景色となっていました。
 次の写真…
 「人皆は 萩を秋と云ふ 縦しわれは 尾花が末を 秋とは云はむ」(作者不詳)


高松塚古墳公園のススキ111004

 高松塚古墳公園のススキですが、このススキの崖の上のほう、根もとを捜しました。
 万葉集に作者不詳の歌があります。
 「道の辺の 尾花が下の 思ひ草 今さらさらに 何をか思はむ」


ナンバンギセル1111004

 「尾花」とはススキのこと、「思ひ草」とはナンバンギセルのこと。まさに万葉集の歌の通りです。
 小学館文庫に中西進さんが文章を書き、写真家の入江泰吉さんの写真を配した『万葉花さんぽ』という文庫があり、数年前にこの文庫を読んだ上での憧れが、今回の奈良旅行の原点でした。
 じつは、この旅行の最終日には入江泰吉さんの写真展を見に行きました。ぼくとしてはやっと思いを遂げたかのような感動です。


 高松塚古墳の女郎花縦111004

 自宅付近ではあまり見ることのできない女郎花を、帰りにもう一枚撮って、高松塚古墳公園をあとにしました。
 「手にとれば 袖さへにほふ 女郎花 この白露に 散らまく惜しも」(作者不詳)
 どの歌も『万葉花さんぽ』でとくにとりあげられていたものです。


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 Olympus はどうもイヤな予感がしていましたが、やっぱりでしたね。
 これで上場廃止とかいう方向へ行ってしまうと、デジカメ部門の切り離しとか、補修・修理部門の縮小、新規開発の中止などということがありそうで、そうなったら困ります。
 使い続けていても将来性がないなら、どこかで見切りを付けてお別れしなければならなくなる。それには消費者にも多大な負担が掛かります。買い集めたレンズ資産が役に立たなくなってしまうわけですから。
 援助してくれる会社があればよいですが、フォーサイスという独自規格でやっているだけに、厳しいことになりそうです。

法起寺からの帰り道

2011.11.07(18:30)

法起寺からの帰り道111003

 法起寺を後にしました。
 田畑に囲まれた道を歩き続けます。近道をしてもバス停まで約20分。バスは1時間に1本以下。
法隆寺の近くまで戻るしかなく、戻るにはさらに25分ほど歩きます。そこからバスでJR法隆寺駅まで約10分。
 法隆寺駅前の喫茶店ゲーブルに入ったのが3時少し前。腹具合と相談しつつ卵サンドを注文。ここでとうとう心房細動の発作が出てきましたが、頓服薬服用で15分ほどで治まりました。
 そうなると欲が出てきて、帰りに西大寺で途中下車して、「平城宮大極殿」の写真を撮っていこうかなあ、などと考えます。西大寺から歩いて10分くらいでしょう。


大極殿111003

 結局、そのアイデアを決行しました。
 しかし、月曜日のため門はしっかり閉ざされ、「大極殿」は一方向からしか撮影できません。その向こうは原っぱが広がって、ところどころに礎石が見え、はるか彼方に朱雀門が見えています。


大極殿一部111003

 原っぱの中を近鉄が通っていて、窓から朱雀門と大極殿が見えるので、電車が西大寺と新大宮の間を走ると、とても気になります。こうして写真の一枚も撮りたくなるわけですが、これってわざわざ見に来ても、眺めて「わあ! 」っと華麗さに驚きましても、大極殿と朱雀門のあいだを歩くだけでたいへんだし、その間にはほとんど何にもない原っぱが広がるだけ…。「平城京跡はまだまだこれからの観光地じゃないのかなあ」と思うのでした。


西日に輝く大極殿111003

 さて、昨日に続いて歩き回った距離が長く、もうくたくたでして、奈良駅前で早々にサイゼリアで軽く食事を済ませ、あとはホテルへ帰って風呂へ入って早寝するだけでした。翌日の計画ですが、平城京見学はもうパスしようと決めて、「晴れるなら明日香をサイクリングかなあ」などと考えつつ就寝です。


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【日大生物科学資源部バラ園のバラ】(付録)
 今晩は写真の枚数が少ないので、11月2日の記事に続いて、日大生物科学資源部バラ園のバラを紹介します。

《ジャルダン・ドゥ・フランス》

ジャルダン・ドゥ・フランス111031

 1998年フランスのメイアン社作出のバラです。フロリバンダ系(ひとつの茎に複数の花が付く)で、「一度に8~15輪の花を付ける」と説明札に書かれていました。色もとても目立ちます。
 ちなみに「ジャルダン」はフランス語の「庭」であり、品種名を日本語訳すと「フランスの庭」になります。


《デンティベス》

デンティベス111031

 正確には Dainty Bess のようですから、「可憐なベスちゃん」でしょうか。イギリスで1925年に作出されたハイブリッド・ティー・ローズです。1867年を境に、古いほうをオールド・ローズといい、新しいのをモダン・ローズというそうで、モダンローズの四季咲き大輪一輪咲き種をハイブリッド・ティー・ローズというのだとか…。


《サンショウバラ》

サンショウバラり実111031

 葉がサンショウに似たバラですが、ご覧のようにたくさんの実がなっていました。


《オクラホマ》

オクラホマ111031

 1964年アメリカのスイム&ウィークス社作出のハイブリッド・ティー・ローズ。黒っぽい赤が魅力的です。

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 本題と何の関係もありませんが、最近は毎晩家族で「座頭市」にはまっております。
 WOWOW がすべて放送するというので見始めたらおもしろくて止まりません。
 「座頭市物語」「続・座頭市物語」「新・座頭市物語」「座頭市兇状旅」「座頭市喧嘩旅」と見てきまして、出てくる地名は下総飯岡、下総笹川、下館、笠間、上州下仁田、下妻と、この辺りをうろうろ。毎晩やくざな旅をしています。

 もうひとつ、皇帝ダリアが復活再生しまして、ようやく昨日花を咲かせました。この植物は強いですね。
 向きが悪いほうへいくと、途中で茎をぐいっと曲げてでも陽光のほうへと向かう柔軟性まで備えています。
 というわけで、下記項目を臨時追加しました。


庭の皇帝ダリアが奇跡の復活

皇帝ダリア縦ほぼ正面111107

 台風で二度目に倒れた茎を、幅広のビニール紐で居間の樋と玄関の柱の二方向から引っ張って引き起こしてあります。かなり無茶なやり方ですが、それでもう一度根付いて再生できるか、見守っていました。
 11月6日雨の朝、一番花を咲かせました。
 これは晴れ上がった11月7日の様子です。
 背景に見えているのは2階のベランダの手すりです。昨年と異なり、二度目は家屋の方向へ倒れましたから、花の位置がベランダに近くなって、青空を背景に撮るのはかなり困難です。無理な構図で撮影すれば、下のように見えます。


皇帝ダリア横から111107

法起寺

2011.11.06(18:30)

【三重塔】

法起寺三重塔と紅葉111003

 法起寺(ほうきじ・ほっきじ)の沿革は、お寺のパンフレットを読んでみても混乱するので、Wikipedia の書き方に倣うことにしましょう。

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 法隆寺が所在する斑鳩(いかるが)の里には、法起寺のほか、法輪寺、中宮寺など、創建年代が7世紀にさかのぼる古代寺院が存在し、この地が早くから仏教文化の栄えた地であったことがわかる。法起寺は法隆寺東院の北東方の山裾の岡本地区に位置する。この地は聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地と言われ、太子の遺言により子息の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりと伝えられている。
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 その後また紆余曲折がいろいろとあるのですが、昭和25年に法隆寺が聖徳宗を開宗したため、法起寺も聖徳宗の本山のひとつになった、とパンフレットにあります。


法起寺三重塔正面111003

 さて、法起寺は西門から入ります。南大門がまともに残っていないからでして、次の写真で紹介します。聖天堂、講堂、三重塔などの建物がありますが、三重塔は最古の三重塔と言われているそうです。
 三重塔前でコスモスが育てられていて、このコスモスがよい風景をつくっています。雲が多くなり、陽が翳ってこなければ最高だったのですが、少し残念です。
 あれやこれやと、ぼくはこの法起寺でコスモスを配した写真を百枚超撮ってしまいました。みなさんにお見せできるのはそのほんの一部です。


【南大門(跡)】

法起寺 南大門跡とコスモス111003

 たぶん、これが南大門、もしくは南大門跡でしょう。


【聖天堂】

法起寺聖天堂111003

 聖天堂は1863年(文久3年)の建立です。


法起寺聖天堂の瓦111003

 聖天堂の屋根と瓦。


法起寺聖天堂とコスモス111003

 聖天堂とコスモス。


【三重塔とコスモス】

法起寺三重塔とコスモス通常遠近111003

 まずは通常の距離感で、もっともふつうの写真です。


法起寺三重塔の幻想111003

 同じ位置から、幻想的な味付けを試みてみました。


法起寺三重塔とコスモス2111003

 近寄ります。


法起寺のコスモス111003

 ラストの写真は、奈良旅行の記事の最初に、「元興寺の彼岸花」と一緒にすでに紹介しています。

奈良

  1. 初めて見た前方後円墳 ~ 垂仁天皇陵(11/22)
  2. 明日香村散策の終わり(11/18)
  3. 伝飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)跡に佇む (10月4日明日香村散策から)(11/16)
  4. 石舞台古墳見学(11/15)
  5. 橘寺の花々 ~ 10月4日 明日香村散策記録のつづき(11/13)
  6. 橘寺(たちばなでら)~ 明日香巡りの途中で(11/12)
  7. 天武・持統天皇陵から橘寺へ(11/10)
  8. 高松塚古墳公園の「思ひ草」(11/09)
  9. 法起寺からの帰り道(11/07)
  10. 法起寺(11/06)
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