
古いNIFTY の会議室 FADVの頃から お付き合いしている Mさんから、横浜マラソンで走るので応援してください、とのメッセージが Facebook 経由で届きました。
さて、そうはいってもマラソンの観戦・応援というのはじつは初めてで、さっぱり要領がわかりません。
昨日ネットでコースや時間など調べると、みなとみらいのパシフィコ付近を朝8時30分スタートで、日本大通りを南下して横浜公園を一周するとわかり、根岸駅付近よりはそちらのほうがよく知っているので、8時20分頃から待ち構えていました。
先頭集団が現れたのは8時45分頃だったでしょうか。

少し遅れて、真剣に走っているランナーのみなさんが続きますが、その後はこの大集団です。
衣装も、年齢も、性別もいろいろで、この大会に参加する気持ちもまたいろいろのよう…。
ただ、みなさん楽しそうです。元気をもらえます。

写真の方ではありませんが、
「あ、おとうさん ! 頑張って !」なんて声が飛んで、奥さんやお子さんと声を交わしている年輩のランナーとか、応援する人たちも、家族や、あるいは会社の同僚など、さまざまなケースがあるようです。

しかし、この人数では、応援の場所、服装など、あらかじめ打ち合わせていなければ、互いに見つけるのは至難の業でしょう。

横浜公園から日本大通りのほうへと移動してきましたが、大集団が通り過ぎるのに約30分、遅れたランナーたちが通るまでさらに15分、警察が交通規制を解除しないと、交差点を渡って駅へ向かうこともできません。
日本大通りの gooz でコーヒーとパンを買って待ちました。
この付近だけでこの人出です。全コースでお手伝いされる大会のスタッフ、警備や交通整理の警察官のみなさんなど、マラソン大会の運営がどれほどたいへんかということも、見ていてよくわかりました。
それにしても、Mさんはこの集団の中、どのくらいのところを走っていたのだろうか…。

4月10日の横浜公園です。DeNA横浜ベイスターズの本拠地・横浜スタジアムのある公園です。

上の写真は、公園から北側の「日本大通り」を見ています。
北側は南北に走る日本大通りとなっており、開国当時は、その東側が外国人居留地、西側に日本の開国関連施設が集中していました。
最寄り駅は関内駅。旧吉田橋のところに関所が設けられていたところから、その内と外で、関内、関外と呼ばれていたそうです。
毎年春にはたくさんのチューリップが植えられて、横浜の名物となっています。


この写真も見えているのは「日本大通り」です。
こういう広角の写真は、遠景に明るい事物が混在するとボケにノイズが入って汚くなりがちです。
最近ボケのノイズをコントロールする方法をいくつか憶え、今回の記事ではそのうちの2種類を組み合わせてボケをいくぶん柔らかく仕上げております。(じつはそのうちひとつは、ここ数日の記事ですでに試しております)

渋い色合いに惹かれました。
隣に黄色があるので明暗差が著しく、これが一番撮影の困難な写真でした。

公園の一部は日本庭園になっています。
チューリップの向こう側は日本庭園です。






上の写真、見えている建物は横浜市庁舎です。


ぼくの場合、チューリップの花そのものではなく、チューリップがたくさん咲いている公園の雰囲気のほう惹かれて撮影しています。
ブログ「退職教師の日本史授業」の YUMI さんが同じ横浜公園のチューリップを撮影した写真を拝見すると、ひとつひとつのチューリップの花を愛おしむ気持ちが伝わってきまして、とても素敵な写真だと思います。
同じ花を撮っても、カメラマンの気持ちやアプローチの仕方によって、写真の仕上がりはまったく異なったものとなります。植物関係の写真ブログは、そんなところもおもしろさのひとつだと思います。

横浜公園は横浜DeNAベイスターズの本拠地横浜球場のあるところです。
1997年以来、春にはチューリップの花でいっぱいの公園として知られるようになりました。南側は関内駅、西側は横浜市役所のあるみなと大通りに面し、北側は海岸通りまで日本大通りがつながっています。ここは安政6年から港崎遊郭のあったところで、火事で焼けた跡地に公園が作られました。
写真は背景に横浜球場を入れました。

写真は4月12日に撮影したものですが、公園は最寄りの関内駅からの通勤路になっていて、横浜中区役所ほかいろいろな会社の方たちが公園内を通っていきます。

写生をする方の姿も大勢見られます。
こちら、画家はどちらへ行かれたのか。

チューリップと「日本大通り」に面するビル街。

海岸通りへまっすぐ向かう「日本大通り」です。

東側には小さな日本庭園があります。
その付近は大きな樹木が多く、木漏れ日でチューリップが引き立ちます。




正面に見えているのが横浜市庁舎です。老朽化し、また手狭になったことから建て替えが検討されています。
しかし、市の財政は厳しい状態です。


横浜に住んでいると、チューリップの最盛期には一度は立ち寄りたい公園です。
本日は5月5日、ゴールデンウィークは終わりに近づいてきました。
わが家の庭では日本古来のイチハツが最盛期、毎日30〜40くらいの紫色の花を楽しめます。きょうはアヤメが咲きはじめました。また、バラが次々と開花し始めています。全体がミニ植物園のような感じになってきまして、家にいるだけで花々を楽しめます。

神奈川新聞で、バラやシャクナゲなどの花や苗木の展示、販売を行う「チューリップまつり」が17日まで横浜公園で開かれる、という記事を読んだ。
では午後から行こう、と家内に誘われて、出かけていった。
派手な色合いのガーデン。これが街中の、シティ・パークの雰囲気だ。
色合いを強調しているわけでもない、そのままの写真。





帰りに日本大通りを港のほうへ歩いて行く途中、「ここに新聞博物館というのがある」と話したら、そこも寄ってみよう、と。
横浜が新聞発祥の地だからと、2000年10月にオープンしたらしい。充実した展示内容だ。企画展もあり、写真展「沖縄・終わらない戦後」を見た。報道写真家の撮る写真には独特のものがあり、迫力を感じる。次回は震災関連らしい。料金500円。
またゆっくり見に来よう、と思う。

横浜公園と言えば、横浜ベイスターズの本拠地である横浜スタジアムのある公園です。
慶応2年の大火災で焼失した港崎遊郭の跡地に作られ、明治9年に完成しました。
毎年4月~5月上旬頃まで、たくさんのチューリップが植えられて開花し、市民の目を楽しませています。
奥のほうには小さな日本庭園もあり、上の写真は日本庭園側を背景に選んで撮影しました。

ソメイヨシノと同じで、最近は花壇をしつらえどどっと量を植えて、人々の目を圧倒するやり方が流行しており、古来からの日本人の美意識としては納得いかない面もありますが、まあ、米国式のやり方とでも言いましょうか…。
クスノキの大木が残っているので、「芝生に花壇」よりは洒落ていて、絵になります。

上の写真は横浜公園の北側から、港のほうを眺めています。
見えているのは「日本大通り」です。
日本初の西洋式街路として明治12年に造られました。
この「日本大通り」を境にして、右側が外国人居留地で、左側が日本人街と、はっきりと区分されていました。

上は、「日本大通り」を設計したイギリス人技師ブライトンの胸像で、日本大通りを見つめています。

ブライトンの胸像からカメラを少し左に振って撮影したのが上の写真です。
正面はシャクナゲのようです。
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日本大通りの右側、横浜公園と通りを挟んで横浜中区役所があります。
退職後の年金の手続き、亡父の健康保険関係手続きなどで、私は区役所を訪れることが多く、そのたびにこのチューリップの中を歩きます。朝9時頃は出勤する人たち、10時頃になると俄カメラマンが大勢集まってきて賑わいます。

茅ヶ崎にお住まいの職場のTさんが、長年横浜公園のチューリップのファンで、「朝6時半か7時頃に行くのがよい」と薦めてくださいました。
12日朝、早起きしたのですが、なかなか日が射してこないので、結局7時30分頃に家を出ました。

土曜日ですが、本町や海岸通りの会社へ横浜公園を通って出勤する方がけっこうたくさんいます。このような中を通っていくのは、気分的にはなかなかの贅沢ですね。

たくさんの種類があって、とても紹介しきれませんが、ひとつくらいはアップで残しておきます。

奥のほうにはこのような場所もあります。